第24話

自己嫌悪


 恵梨を祥子のアパートの下まで送る。着いたので電話をかけると、降りてきた。


「ごめんね。ほんと、疲れたでしょう?」と祥子はお風呂上がりか髪が濡れていた。


「ちょっと話があるんだけど…」と淳之介は言う。


「いいけど…。じゃあ…恵梨、先に上がって、お風呂済ませて」と助手席から降りてきた恵梨言う。


「ダンボ」と恵梨は祥子にぬいぐるみを見せる。


「買ったの? 可愛い」


「プレゼントしてくれたの」と抱きしめて言う。


「え…本当にごめんね」と淳之介に謝った。


 恵梨はのろのろとアパートの階段を登って、部屋に入って行った。祥子は代わりに助手席に座った。


「話って、何?」


「恵梨ちゃんから聞いたけど、父親が来るとか…」


「うん。そうなの。彼女とうまく行かなかったのかな?」と祥子は首を傾げる。


「…恵梨ちゃんがそれでまたどこかへ行くのを嫌がってるんだけど。どうするつもりなの?」


「どうするって…」と祥子は何も考えていないようだった。


 淳之介はため息をついて「僕と結婚したいっていうくらい追い詰められてるんだけど?」と言う。


 祥子は淳之介の方を見て、瞬きをした。そして何かを言おうとして、言葉を探したが出てこなかった。


「ここの学校があってたのか、毎日、通ってるのに、また環境を変えるつもり? 祥子は好きに生きたらいいけど、もう振り回すのは辞めなよ」


「…分かった」


「相手が来て…もし困ったことがあったら、力になるから」と淳之介は言う。


「うん。ありがとう。…話はそれだけ?」


 少し語尾が揺れた。


「え? あ…。うん」


「じゃあ」と言って、祥子は車から出た。


 淳之介はちょっと言い過ぎたかな、と思って、そして祥子がアパートに入るのを見てから、エンジンをかけた。そして実家に車を置きに帰る。その間、胸がもやもやしていた。間違ったことは言っていないと思うけれど、なんだか自分が祥子を傷つけたような気持ちになる。なんでそんな気持ちになったんだろう、と何度もさっきの会話を頭の中で繰り返してみる。


 祥子の驚いたような顔から、歯切れの悪い言葉…。


 短い会話の中で祥子は何一つ否定せず、言い訳すら言ってなかった。一方的に淳之介が話して、祥子が頷いた。ただそれだけだ。よくよく考えてみれば…、祥子がどんな思いで恵梨をここまで育ててきたのか…それは淳之介にはわからないことだった。異国で子育てをするなんて簡単なことじゃなかったはずだ。それなのにそのことについて何も言わずに…。言わずに…ではなく、淳之介が言わせなかったのかも知れない。


 淳之介は部外者なのに、説教をしてしまったと自分が嫌になった。恵梨に対して何の責任も持たない立場から、分かったようなことを言った。今日のディズニーだって、たった一度連れて行っただけで、まるで父親の気分にでもなったかのようだ。子育ては日々の連続だというのに、たった一度、外に連れ出しただけで何を偉そうに…。

 車を返して、そのまま店まで戻る。その道の間ずっと、後悔した。



  天気がいいので、今日は病院の外に香里を車椅子で連れて出る。佐伯は香里の車椅子を押しながら、髪が風に揺れるのを見ていた。


「玲…。今日は風が気持ちいいね」


「うん。でももうすぐしたら、暑くなるだろうね」


「…海、行きたいな」


「海?」


「うん。なんか行ったことあるよね?」


「あるけど…」


「私、玲と一緒に海見てたの…記憶にあるよ」


「…櫂もいたんだけどな」と佐伯は行った。


 あの日、波打ち際で遊んでいる二人を見ていたことを思い出す。それも忘れてしまったというのだろうか。


「…か…い」と香里は呟いた。


 綺麗に櫂だけ忘れることができるのだろうか、と不思議になる。波打ち際ではしゃいでいるシルエットを今でも佐伯は思い出すことができるというのに。


「もし…覚えていたら…私、どんなだったかな」と香里は聞いた。


「…多分。泣いてたんじゃないかな」


「そうかな」


 そう呟く香里はどこか遠くを見るような視線だった。


「ねぇ、マスク取って。顔、見せて」


「整形したんだ」


「知ってる。お母さんに聞いた」


 香里の前に立って、マスクを下ろす。しばらくぼんやり見つめていたかと思うと、にっこり笑った。


「…よりハンサムになってる」


「櫂はハンサムだったから」


 目を閉じて「そう」とだけ呟いた。


 香里は思い出そうとしてるのか、少し眉間に皺を寄せた。覚えていない人を好きだと言われて、まるで自分が自分でないような気持ちになる。不安で仕方がない。その上、整形までしてくれた玲に申し訳ない。


「玲…。ごめんね。そのままでも格好良かったのに」


「もっと格好良くなったんだから、喜んでるんだ。でも元に戻した方がよければ、戻すけど」


「ううん。痛い思いさせたくない。きっと…もう十分してるはずだから」と香里は佐伯とそして空を見た。


 初夏の夏の青空が広がっている。香里は手を伸ばして、佐伯の高く整った鼻を触った。自分のために高くなった鼻を確認するように。

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