第21話

あの日の救世主


 ふわふわふわわん


 クラゲの棲家。恵梨は一人で水槽の前でクラゲを眺めた。


 あの日、病室で母にわずかなお金と携帯を渡された。お金がなくて入院費が払えないと、出ていってもらわなければいけないということを恵梨の目の前で会計事務の人が祥子に話す。恵梨はお金が無くて、入院できなかったら、母が死んでしまうと、震えた。事務の人がいなくなると、祥子は恵梨を手招きする。


「どうしたらいい? 私にできることある?」と恵梨は必死で聞いた。


 パパと別れてから恵梨はずっと祥子と一緒だった。何があっても祥子は明るくしているので母がいればなんとかなるだろう、とそんな気持ちになれた。いろんな国を旅したり、生活したりして、いろんなものを見て、自分の家はどこだろうと思っていたけれど、祥子が自分の家なのだ、と思っていた。だから漫画の本がたくさん並んだ小さなスペースで二人で寝るのも少しも嫌な気持ちはなかった。たくさん本が読めて楽しい…とすら思っていた。

 ご飯だって、恵梨にはしっかり食べさせてくれていた。


 点滴を打たれた祥子から


「きっと助けてくれるから」と携帯のSNSを開けて、誰か選んで頼りなさいと言われた。


「うん。待ってて。きっとママを助けるから」


 久しぶりにママと呼んだと思ったが、そうしていられない、と恵梨は慌てて病院を出た。携帯を眺めて、今から行ける範囲の人を考えて、淳之介に決めた。やはり家の住所を載せている人はいなかったし、会社は行っても会えない可能性が高く、淳之介はお店だったから行ってみようと思った。


 携帯電話で経路検索して…、でももし会えなかったらどうしよう。お母さんが死んでしまうかもしれない、と不安で胸が押しつぶされそうになる。知らない街を電車で通り過ぎて行く。


(どうか助けて、助けて)と祈るような気持ちで電車に揺られた。


 乗り換え駅でも、ずっと祈っていた。日がもすぐ落ちる。


(早く、早く、行かなかきゃ)


 駅に着いて、店までの道もお店が閉まらないように、と祈って、歩いた。知らない街を急足で歩いて、胸が苦しくなる。


(間に合いますように、間に合いますように)とそれだけ考えて、お店の前に「closed」の看板を見た時は何も考えずにノックした。


 コンコン、コンコン


(開けて、開けて)


 コンコン、コンコン


(どうか、開けて。助けて)


 コンコン、コンコン


 何度目かのノックで扉が開いた。初めて淳之介を見た時、


(この人が助けてくれる)と直感で思った。


 そう言えば、ずっと昔に「ママの一番好きだった人は誰?」と聞いたことがある。


「淳之介君。優しかったよ」と言ってたことを思い出した。


 そして恵梨の直感通り、淳之介は助けてくれた。家も借りてくれた。学校にも行かせてくれたし、放課後の居場所にもなってくれた。我儘も聞いてくれる。


 ふわふわしたクラゲを眺めながら、恵梨はクラゲのお店が無くなることを考えていた。


 (ツッタカター ツッタカター


「クラゲのみなさん。今日はお話があります。この国は…もうすぐ無くなってしまいます。私は…皆さんに本当に助けられました。特に隊長には色々と助けて頂きました。

 あ、隣国のお姫様は隊長が何か酷いことをしたわけではありませんでした。クラゲのみなさん、心配しないように。隣国のお姫様は…祖国に目的ができたそうです。でもしばらくはこちらにいるようですので、またお会いすることもあるでしょう」


 私はクラゲたち一人一人に挨拶をします。


「えぇ。とっても良い働きでした」


「いつもありがとう」


「あなたは…最近、入ったのですね」


「隊長は…隣国のお姫様のことを好きではないのでしょうか? 仕事、仕事を言い訳にして、自分の気持ちを…。えぇ。私もそうですけれど」と言って、水槽に手を触れます)


 水槽越しにクラゲと触れ合ったような気持ちになる。


 キスをしようと、水槽に顔を近づけた時、後ろから「恵梨ちゃん?」と淳之介に声をかけられた。


 恵梨は恨めしそうに振り返って、「何しているの?」という問いに「お別れのキスです」と答えた。


「お別れ?」


「そうです。だってこのお店…やめるんでしょう?」


「うーん。まぁ、いつってまだ決まってないけど」


「私がオーナーになって…。っていうわけにはいけませんね」とまた変な喋り方になってるなぁ、と淳之介に思われる。


「まだすぐ閉めるってわけじゃないから、そんなに心配しないで。…ところでいつ行こうか?」


「ディズニー!」と言って、恵梨はすぐに嬉しそうに笑う。


「うん。ファミレスは内緒にできるけど、流石にディズニーは…内緒にできないよ?」


 恵梨はそれでも嬉しくなって、淳之介に抱きついた。ちょうどその時に、祥子が帰ってきた。


「ただいま…って。何してるの?」


「あ…おかえり。えっと。ディズニー行こうかなって…」と淳之介が慌てたように言う。


 恵梨は絶対行きたいので、淳之介にしがみつく。


「ディズニー?」と祥子は恵梨の様子を見ながら、聞き返す。


「そう。ランドに」と淳之介。


「…誰と?」


「恵梨ちゃんと…」


「そう? 二人で?」


「祥子も行きたい?」


「ごめん。行きたくない…けど…淳之介君が恵梨を連れて行ってくれるの?」


「いいよ。祥子は行きたくないんだ」


「うん。ごめん。なんか乗り物が怖くて」と小さく笑った。


「え? お母さん、それで連れて行ってくれなかったの?」と恵梨がようやく体を離して聞く。


「…うん。ごめんね。お金も…なかったけど」と言って、恵梨の方に来て、頭を撫でる。


「ううん。淳之介君と行っていい?」


「もちろん。淳之介君、ありがとね。さぁ、お腹空いたー。ご飯は何かな?」と祥子が言うと、二人は固まってしまった。


 ファミレスで済ませたことを白状しなければならなくなった。

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