第20話
夢の国へ
恵梨は急いで宿題を済ませて、下に降りる。淳之介も仕事が終わったようで、出かける用意をするから待ってて、と言われた。その間、恵梨はクラゲの水槽の周りを歩く。歩きながら、また妄想をする。
(ツッタカター、ツッタカター。
クラゲの兵隊隊はふわふわしてます。
「みなさん。隣国のお姫様が国にお帰りになったようです。お見送りはされましたか?」
ふわふわと見送ったようです。
「どうして突然、国にお帰りになられたのでしょう? 隊長が何か失礼なことをしたのでしょうか」
ふわふわと頷いてます。
「それはいけません。失礼なことをしたのならば罰を与えなければ」と恵梨は足を高く上げ下げして、歩き回ります。
隊長は別のところで所用をしているそうですが、早急に呼びつけなければ行けません)と恵梨は二階へ上がった。
淳之介は電話をしているようだった。
「はい。…えぇ。お話は太田会長から伺いました。…はい。…でも…。そうですね。…少しお時間もらえますか? はい。来週中には…。はい。ありがとございます」
失礼します、と電話を切るのを待って、恵梨は「淳之介君」と呼びかける。
「お待たせ。行こうか」と言うので、恵梨は慌てて階段を降りた。
(ツッタカター ツッタカター。
「罰は後にします。今から隊長とレストランへ行ってきますので。どうぞお留守番、頼みましたよ」
ふわふわとクラゲは守備配置に着きました。
「よろしい。みなさんは本当に優秀な兵隊さんです」
ふわふわと手を振ります)
恵梨もクラゲに手を振りました。
「恵梨ちゃん?」
いつも恵梨はクラゲに手を振るのだが、それがまるでイギリス王室のような気品ある手の振り方をしている。
「行きましょう」
そういう時は喋り方も少し変わっている。そして店を閉めてから、歩いて駅向こうにあるファミレスに行った。
「淳之介君が一番好きな人は誰?」と恵梨が聞く。
「え? 一番好きな人?」
「うん。美湖ちゃん?」
「…うーん」
「美湖ちゃんにひどいことした?」
「え?」と思わず固まってしまう。
「だって…。どうして帰ってこないのかなぁって思ったから。淳之介君がひどいことしたのかなぁと思って」
「…うーん」
悩むということは否定しないということだ。でもひどい事だったのだろうか、と淳之介は自問するが分からない。
「…ファミレス行ってから美湖ちゃんに謝りに行く?」と恵梨は淳之介に聞く。
「…ファミレス前でもいい? 家分からなくて。駅で待って、みんなでファミレス行こう」と言うと、恵梨の頬がむくれて、大きくなった。
「じゃあ、駅でグミ買ってあげるから」と言うと、仕方なくついてきてくれることになった。
恵梨と一緒だとストーカーにはならないだろう、と淳之介は思って、二人で切符を買う。電車に乗ると恵梨の容姿に目が惹かれる人が多いのか人の視線が気になる。容姿からして血のつながりのなさそうに見えるから、淳之介のこともジロジロと見る人も多い。
「ねぇねぇ。美湖ちゃんの駅にもファミレスあるかな。あったら、そっちに行きたい」
「うん。分かった。そうしよう」と恵梨がファミレスのことで頭がいっぱいらしいので、そちらを優先することにした。
美湖が言っていた駅について、駅のキオスクで約束どおりグミを買う。改札前で買ってもらったグミをすぐに開けて、食べ始める。グレープの香料の匂いがふわっと香る。
「淳之介君もいる?」と恵梨に差し出された。
「いや、いらない」と断ると、明らかに安心したような顔を見せた。
一応の心遣いで勧めたようだったというのが分かって、淳之介はちょっと可愛く感じて笑ってしまう。
「淳之介君は結婚したいと思わないの?」
「結婚かぁ…。今は考えられないかな。収入が不安定すぎるから」
「仕事が決まったら、したいと思う?」
「…そうだなぁ。恵梨ちゃん見てたら、ちょっと子供って可愛いなぁって思ったけど、子供を育てるのって本当に大変だよね。最初は…どうなるかと思ったけど、君のお母さんはよくやってると思うようになった」
「お母さん? お母さんの事好き?」
「え? 嫌いじゃないよ。でも振られたのは僕だし。…ちょっと時間が空き過ぎたよね」
「でも淳之介君がパパになるのは嫌だなぁ」と恵梨が言うので、淳之介は軽く落ち込んだ。
「そっかぁ…。せっかくファミレス連れて行ってあげようかと思ってたけど…」
「あ、そういうんじゃなくて、淳之介君はパパじゃない方がいいの」と慌てて恵梨が訳の分からないことを言う。
「パパじゃなかったら、なんだ?」
「パパもママも怒るから。怒らない人のままがいい」
「怒らないかぁ…。でも親になったら確かに…怒ることがあると思うよ」
「だーかーらー絶対嫌!」と恵梨は地団駄を踏んだ。
「まぁ、僕だって、怒りたくないけど」
「淳之介君はファミレスやコンビニ、ケーキ屋さん、ディズニーランドに一緒に行く人でいて欲しいの」
「…最後にさりげなくものすごい願望入ってない?」
「…だって行った事ないもん。…一度も」と言って、俯く。
淳之介は今どきの女の子が行った事ないというのはかわいそうにも思えて「じゃあ、行く?」と言ってしまう。
「え? いいの? 本当に?」とグミを握りしめて淳之介に聞き返してくる。
「いいよ。休みの日に…」
恵梨が淳之介に飛びついて来た。抱きしめるわけにもいかず「分かったから、ちょっと」と淳之介が焦っていると、電車が着いたようで、人が改札口からたくさん出てきた。ハーフの美少女に抱きつかれて一目を惹いてしまう。
「淳之介さん…」と美湖が驚いたような顔で声をかけてきた。
「あ、美湖ちゃん…あの大丈夫?」と抱きつく恵梨を離そうとしながら、返事をする。
「美湖ちゃん、ファミレス! ファミレス行こう!」と恵梨は振り向くや否や、誘った。
二人に同時に話しかけられて、美湖は思わず頷いた。夕方の混雑している改札口で大人は一瞬、固まったが、恵梨のファミレスへの誘導が激しかったので、なんとなくそちらへ流れて行った。
ファミレスに入ると、恵梨は今回はキッズ用メニューをじっくり見ていた。でも結局、大人のメニューから選んだのだが。
「昨日、祥子の家に帰らなかったって?」
「あ…はい。自分の部屋に戻ってみたんです」
「大丈夫だった?」
「はい。元カレ…来てる気配はありませんでした」
「そっか」
「美湖ちゃん、日曜日クッキー作りに来るんだよね?」と恵梨が聞くと、美湖は首を横に振った。
「え?」と思わず淳之介が聞き返す。
「…私、祥子さんに色々言われて…、気づいたんです。淳之介さんのためにクッキーを作ったんですけど、それじゃあ売れないなって。本当にクッキーを欲しいって思ってもらえるような魅力あるものを作ってなかったなって。だから…専門学校に通おうかなって。淳之介さんはきっかけをくれた人で、私は自分でクッキーを作って売りたいなって。昨日、一人で考えたんです」
「そう…なんだ」
「会社が辛いって元婚約者にも愚痴ってましたけど…。でも私はそれに対して何の努力もして来なかった。クッキーを作って、会社を辞める方向にできたらいいなって今は思ってるんです。お菓子屋さんでアルバイトしながら当分はこっちで学校に通ってもいいし、お店は…実家の近くでもいいかなとか」
「美湖ちゃんの実家はどこなの?」と恵梨は聞く。
「山梨の湖の綺麗なところ。そこでクッキー屋さんしてもいいかなって」
「…すごいね」と淳之介は感心した。
自分の道を考えて進もうと決めた美湖に淳之介は素直に尊敬した。ずっと深海にいた自分もそろそろ決めるべきじゃないかと思っていたけれど、結局、まだ何も動いていない。
「淳之介さんに会ったから…。そんな風に考えれたのかも」
「僕は何も…」
本当に何もしていない…と思った。ただ深海でクラゲと過ごしていただけだった。
「いいえ。私もあのお店で少し蹲ってたら、ちょっと癒されましたから。クラゲのお店がなくなるのは寂しいですけど、私はあのお店に行けてよかったです」と美湖が笑う。
淳之介も本当に決めなくては行けない時が来ているんだな、と思う。
「え? クラゲのお店、やめちゃうの?」と慌てて恵梨が淳之介に聞いた。
「…まぁ、元々そんなに長くやるつもりはなかったんだ」
「だって、クラゲさんたちはどうするの? お母さん食べちゃうの?」と恵梨は不安そうな顔を見せる。
「いや、食べないと思うけど」
「クラゲさん…。だめだよ。だって…。いつも手を振ってくれるのに」
「…うん?」
「淳之介君はクラゲの…クラゲ隊長なんだから、ずっと…クラゲのお世話をしないと」
「クラゲ隊長?」
「そう。クラゲ隊長…。絵を描いてるの。クラゲと隊長とお姫様の…」
それを美湖が「素敵」と言った。スケッチブックの中にいろんな色のクラゲがいたのを思い出す。絵本ができそうだった。そう。恵梨はクラゲ王国の話をいつも妄想していた。
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