第13話

クラゲ王国


(ツッタカタッタッター。


 ここはクラゲの王国です。


 私はここのお姫様、エリイです。クラゲたちには朝と、夕方、たまに夜に挨拶をします。


 お姫様なのですが、それはみんなに内緒にして学校に出かけます。学校ではごくごく普通にして暮らします。

 

 たまに友達が「エリちゃん、お姫様みたいね」と言うので、驚きますが、彼女たちは本当にそうだとは思っていません。学校ではアイドルの話をしたり、好きなドラマの話をしたりして、一日を過ごします。友達の好きな人の話を聞いたりと、色々大変です。


 家に帰ると、クラゲたちが私を待っているので、手を振ります。あ、クラゲの王子もいます。淳之介君です。彼はいつも穏やかで怒ることは殆どありません。


 あれ? 王子がクラゲの世話をしていますって言うのは何だかおかしいので、彼は…うーんと、そうですね。クラゲの…隊長にしておきましょう。隊長なんですが、あまり怒りません。私にもこっそりおやつを用意してくれます。


 夜にたまに隣の国のお姫様、ミコさんがやってきます。彼女はどうやらクラゲの隊長が好きなようです。色々プレゼントを持って我が国にやってきます。馬が欲しかったら…欲しかったら…何かをプレゼントする? っていう…あれですね。)


「ねぇねぇ。あの…馬が欲しかったら何したらいいんだっけ?」


「馬? え?」と淳之介は突然、恵梨に話しかけられて、クラゲの餌をこぼしそうになった。


 恵梨は横で淳之介が餌をあげるの見ながら、黙っているかと思うと、突然、そんなことを言い出だして困惑する。


「いや…馬は流石にあげれる人は少ないんじゃないかな」と恐る恐る回答してみる。


「違うの、あの、ほら、昔の人の言い伝えみたいなやつで、馬を欲しければ、お金よこせ? だっけ?」


「…それは真っ当な貨幣経済だね」


 恵梨が頰を膨らませて、淳之介を見る。


「馬が出てくるの」と言って、怒り出す。


「馬の耳に念仏? じゃないか…。馬が欲しい…馬が…。馬? 将を射んと欲ればまず馬を射よ、のこと?」


「何それ?」


「将っていうのは敵の大将で、それをやっつけようとするなら、まず先に乗っている馬を狙えって言って、何か目的があるなら、直接そこに行く前に根回しするってこと」


「根回し? うーんと、好きな人がいたら、プレゼントするとか?」


「うーん? まぁ、そうかな」と言って、恵梨が何を考えているのかさっぱり分からないが、また黙ってしまった。


(うちのクラゲの隊長は頭もいいようです。


 そうです、『しょうをいんと…いんと…すれば…馬を…』というやつです。そういうわけでミコさんは私に色々プレゼントをくれます。その気持ちに応えて、私が隊長にミコさんの良さをアピールしなくてはいけません。)


「昨日…ミコさん…豪華なコロッケを持ってきました」


「ん?」


 淳之介は突然、恵梨が言い出す内容と豪華なコロッケということがさっぱり理解できなかった。人から頂いたものにケチをつけるわけではないが、ごく普通に美味しい肉屋のコロッケだった。もしそれが豪華だと言うのなら、祥子は一体、何を食べさせてきたんだ、と首を捻りたくなる。


「あのさ…コロッケとか、あまり食べなかったの?」


「え? コロッケ? うーん。あまり食べません」となぜか変な口調になっている。


「じゃあ、何食べてたの?」


「えっと。それはバランスのいい…。チキンのササミ梅肉和えとか…。ひじきの白和。ほうれん草のおひたし、きゅうりとわかめの酢の物」


「チキンのササミ?」


 ササミだけで鳥と分かるのに、何だか変だ、と思いながら、意外なことに古風なものを食べていたのだ、と思った。祥子が大切に育てていたことがメニューから分かる。


「はい。チキンが多かったです」


「あの、さっきから口調が…」と言うと、恵梨はハッとしたような顔で慌てて「うん」と言った。


「それで美湖ちゃんが…コロッケ持ってきてくれて…淳之介君は食べた?」


「頂いたよ」


「いい人だね」


「そうだね」


「…可愛いしね」


「そうだね」


「…。淳之介君は…」と言って、また黙る。


(うちの隊長は全く女性に興味がないのでしょうか。クラゲのお世話ばかりしています。でも少しほっとしました。隊長がいなくなってはこのクラゲ王国は困ります。たくさんのクラゲたち、私も困ります。隣国のお姫様と結婚したら、クラゲ王国は消えてしまうのですから。


 ツッタカター、ツッタカター、行進曲が流れてきてもクラゲたちは意に解さないようで、ふわふわしています。


 ふわふわ ふわわん。それでも私は構いません。


 足並みを揃えて行進してもらわなくても、みんなに手を振られて、私はここでプリンセスなのです)


「恵梨ちゃん? 今日、おやつ用意してないからって、ここで張り付いてたって仕方ないよ。宿題早く終わらせておいで」と淳之介が言うと、恵梨は軽く睨む。


(うちの隊長は鬼です。おやつの用意もしてくれないのに、お勉強を強要してきます)


「宿題終わらせたら…今日はファミレス行こう」


「え? いいの?」


「いいよ。今日は二人で晩御飯食べちゃおう」と淳之介が言うと、恵梨の顔が明るくなった。


「だから早くしておいで」


「うん」と言って、走って、二階へ恵梨が上がった。


「頑張って、早くするんだよー。こっちはもうすぐ終わるから」と恵梨の背中に声をかける。


(やはりうちの隊長は最高でした。街一番のレストランへ連れて行ってくれるそうです)


 二階へ上がる軽い足取りの音がリズミカルに聞こえる。淳之介はすぐに機嫌が良くなる恵梨が可愛くて、笑ってしまう。


「淳くーん」と明るい声がして、佐伯が店に入ってきた。


「いらっしゃいませ」と挨拶をする。


「別にサブイボ立てに来たわけじゃないから。恵梨ちゃんとディナーにでも行こうかと思って」


「今…宿題中だけど」


「そっか。じゃあ、仕方なくサブイボ立てて待っとこうかな」


「…どうぞ」


 しばらく放置していると、じっとクラゲを眺めて「いつまでそうしてるの?」と淳之介に聞いた。


 それに答えずに空になった水槽を表に出す。天気がいいので、明るさが眩しくて、一瞬目が見えなくなる。すぐに目が慣れて視界が広がる。水槽を綺麗に洗いながら、恵梨とのファミレスがなくなったから、一人で何を食べようかな、と考える。水を触っているのに、額に汗が滲んだ。


「いつまで…か」


 お金がなくなるまで、と最初から決めていたけれど、祥子にお金を渡したことで、予想外に早く店を閉めることになりそうだ、と淳之介は思った。きれいに洗い上げて、店内に入る。


「淳君。お節介かもしれないけど」とまだ水槽を眺めながら言う。


「お節介ですよ」


 佐伯は「頑固だな」と言って笑う。


 軽い足音がして、恵梨が降りてくる。


「あれ? 玲君?」


「ディナーに誘いに来たんだけど」


(隣の国の王子が来ました。どうしましょう。隊長との約束もあります)


「うーん。でも淳之介君とファミレス行くって…」


「あれ、そうなの?」と佐伯は淳之介を見る。


「どっちでも、行きたい方に行っていいよ」と淳之介は肩を竦めた。


「…眠り姫のところに行くの?」


「…付き合ってくれるなら」


「じゃあ、行く。ごめん。淳之介君」と恵梨が謝る。


「いいよ。気にせず楽しんでおいで」と言いながら、眠り姫ってなんだと思った。


「じゃあ、お姫様をお借りするね」と佐伯が言う。


(隊長が手を振ります。かわいそうですが、仕方ありません。私は眠り姫が目を覚ますかもしれない、その瞬間を見てみたいのです。それに隣国の王子が一番淋しそうな気がするからです。隊長にはたくさんのクラゲがいるのできっと大丈夫でしょう。それに…隣国の姫が…)


「あ、ねぇ。淳之介君も一緒じゃだめ?」


「え?」と佐伯は驚いたように言う。


「いいよ。僕は…」と淳之介が断るが、佐伯は「構わないよ」と言った。


「ただ眠り姫のところはロビーで待ってて欲しいな」と勝手に行くことに決まってしまう。


(隣国のミコ姫は昨日、お会いしたので、今日はもういいでしょう。決して嫉妬ではありません。隊長もたまには違う国を見るべきなのです)と思いながら、恵梨は淳之介の手を取った。


「…なんで」と言いながら、淳之介は恵梨に引っ張られながら店を出る。


 慌てて鍵を閉めた時、美湖が店の前に走ってきた。


「お店…終わりですか?」と息が上がったまま、美湖が言う。


 佐伯が「二人で行こうっか」と恵梨に言う。


(隊長が隣国のお姫様に…求愛されるかもしれません。どうするべきでしょうか)


「ご飯、ハンバーガーがいい?」と佐伯が動かない恵梨に言う。


「ハンバーガー?」


「それに…玩具屋さんに寄ってもいいけど…」


「玩具屋さん」と魅惑的な誘惑に恵梨は白旗をあげた。


(仕方ありません。

 どうか隣国のお姫様とお幸せに…と私は隊長に手を振りました。

 でもクラゲ王国はどうなるのでしょうか。

 私はおもちゃがたくさんあるという場所を視察してきます。

 クラゲさんたち…今までありがとうございます。


 きっとまた会える日が来ると思います。それまでどうかご機嫌よう)


 淳之介はずっと手を振る恵梨を見送ると、今閉めた鍵をもう一度開けた。


「あの…行かなくて、大丈夫なんですか?」


「うん。僕は別に…。どうぞ、ゆっくりしていって」とドアを開ける。


 暗い空間が広がって、ほっとした瞬間、後ろから美湖に抱きつかれた。


 ぷわぷわ ぷわわーん。


 クラゲたちはぼんやり白く光っている。何があっても同じように、変わらないままで。

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