第10話
借金返済計画
美湖と祥子が話に盛り上がっていて、チョコレートパフェを平らげた恵梨は暇を持て余したので、クラゲの世話をしている従業員のところに近寄った。
「クラゲの餌ってどうやってあげるの?」
「あ、教えってもらったっすよ。こうやってそっと別の瓶に移して…」と丁寧に救って、一匹だけクラゲを瓶に入れる。
そしてその瓶の水に餌を注射器で水の中に混入させた。クラゲがふわふわっと浮かんで、少しずつ体内に取り入れるのが見える。
「わぁ。クラゲの色が…」
「不思議っすよねぇ。なんでも丸見えで。嘘つけないですねぇ」とその従業員は言った。
恵梨はクラゲが嘘をつく必要があるのかは分からないが、その様子を面白く眺めていた。少しずつ餌が体内に吸収されるのが分かる。
「見てて飽きないっすよ。ふわふわで」
「お兄さんのお仕事はクラゲの飼育係なの?」
「あー、後、雑用もありますよ。買い出しとか、掃除とか…」と言って、餌を更に足した。
「ふうん。お仕事、楽しい?」
「まぁ…嫌いじゃないっす。クラゲの世話は楽しいし、買い出しだって、気分転換になるし…」と言って、またクラゲが餌を取り込むのを見て、声を上げる。
「私にもできる仕事あるかな?」
「へ?」と言って、初めて恵梨の顔を見た。
まだ小さいのに何を言ってるんだ、と思ってしげしげと眺める。
「お母さんの借金、返さなきゃ。お母さん、ここのオーナーにも、淳之介君にもお金借りてて」
「…あ。そうなんっすね。でも…子供はお勉強してた方がいいっすよ」
「でもお勉強してもお金にならないよ」
「うーん。でも目先の欲より…、俺、勉強してこなかったから…。今、思うと…もっと勉強してたら、一日中、クラゲと遊べてたんじゃないかって思うっすけどね」
「えぇ?」
「ほら、あのクラゲのお店の人、一日中、クラゲと遊んで過ごせるのすごいなぁって感心してるっすよ」
恵梨は淳之介が遊んでいるようには見えなかったが、確かにそう言われれば、一日中、クラゲと過ごしている。
「きっと、いい大学行ったから、そうできるんっすね。だから、お嬢ちゃんもちゃんとお勉強してたら、後からきっと返ってきますよ」
「うーん。でも後からって…。今のお金はどうしたら?」
「そりゃ、お母さんがなんとかするでしょ?」
「…お母さん。なんとかする前にお金、すぐ借りちゃうもん」
「困った人ですねぇ。きっと一生、働きたいんでしょう? そう言う人は。僕はクラゲと遊べる人生になりたかったなぁ」とまた瓶を覗いて言う。
恵梨は淳之介が楽しそうにクラゲを世話しているようには思えなかった。しばらくクラゲの食事風景を見ていたが、次はオーナーのところに行った。店は少し混み始めてきたので、何かお手伝いでもしようかと思ったからだ。
オーナーはカウンターでクスクスを作っていた。
「私にも手伝わせて」
「あ、恵梨ちゃん…。これね…。残念だけど、お手伝いしてもらうことがないくらい簡単なんだよ」
ボールにクスクスと塩を少し入れて混ぜて、お湯を注いで蓋をするだけでできるという。本当にそれだけだった。
「どうかした?」
「私に何かお手伝いできることない? お母さんの借金返済に」と恵梨が言うと、佐伯は頭を撫でた。
「いいのに…。そもそも借金なんかしてないよ」
「え? どうして?」
「あげたお金を勝手にそう言ってるだけだから」
「…でも」
「あ、じゃあ、ちょっと付き合ってくれない?」と言って、カウンターから出て、祥子のところに何か話に行った。
佐伯が何か話して、すぐに戻ってきた。
「恵梨ちゃん、僕とデートしよう」
「え? デート?」
「じゃあ、少し待ってて。仕事、片付けてくる」と言って、クラゲの世話をしていた従業員のところに行って、何やら話をしている。
従業員は手を止めて、驚いた顔し、慌てて餌セットを片付けた。
そして恵梨のところに行くと、「今日、一日、店長任されたっす。ありがとっす」と言う。
どうしてお礼を恵梨に言うのか分からなかったけれど、嬉しそうだったので、にっこり笑った。美湖と祥子も立ち上がって、「今日、一日働くことになったわ。美湖ちゃんは好きな時に帰っていいからね」と祥子が言う。
どうやら佐伯とデートしている間は祥子とクラゲ好きな従業員がお店で働くことになったらしい。
「なるべくゆっくり」
「なるべくはやく」
「帰ってきて」と従業員と祥子の声が重なったが、言ってることは真逆だった。
佐伯は恵梨に「行きましょうか? お嬢さん」と言って、手を出す。
恵梨はその手を掴んだ。暖かくて、少し乾いた手だった。
駐車場に停めているという高級車に乗り込む。革張りのシートに何だか緊張した。
「オーナーは…どうしてお金持ってるの?」
「あ、それはね。親がお金持ちだから」と言った。
「ふうん。お勉強たくさんしたからじゃないの?」
「え?」
「だって、さっきのお兄さんがお勉強たくさんしてたら、後から返って来るって」
「あぁ…。そう言う人もいるだろうけどね。僕はラッキーだったって話。もちろん、努力もしてるけれどね」と言ってエンジンをかけた。
恵梨はお金持ちになるにはいろんな形があるのだと分かったが、どうしてうちの母はお金に無頓着なのだろうと首を傾げた。
「お金、必要なの?」
「うーん。お母さん、オーナーさんだけじゃなくて、淳之介君にも借りてて…」
「あ、ねぇ、淳君だけ名前呼びしてるから、僕も名前を呼んでくれない?」
「名前?」
「うん。玲君って言って」
「分かった。ところでどこ行くの?」
「海、行こっか?」
「海?」
恵梨は黙って頷いた。途中、ジュースを買ってもらったりして、恵梨は学校のことや、淳之介のことを話したりして楽しく過ごした。
「へぇ。淳君、寝言言うんだ」
「そうなの。起きてるのかと思うくらいはっきり話すからびっくりした。純利益三パーセントダウンとかなんとか、なんか難しいこと言ってた」
「まだ会社行ってる夢見てるんだね」
「そっかぁ。まだ会社にいたかったのかなぁ」
「…さぁね。彼女はいたのかな?」
「振られたって言ってた。会社を辞める前に」
「はぁ。…優しくしてあげよう」
「あ、でも淳之介君…。玲君のこと、クラゲ見て、サブイボ立てて何してるんだろう? って言ってた」
「…」
「あ、これ、内緒ね?」と言ったところで遅かったと、恵梨は思う。
「淳君に優しくしようと思ったけど、やめておく」
ぷりぷりと文句を言い始めたので、恵梨は思わず笑ってしまった。すると隣で佐伯も笑う。海に着いたから、降りて見よう、と車を停めて、砂浜に降りた。
「わぁ、ふわふわ」と靴で歩いてても分かるくらい柔らかい砂浜だった。
あの日よりは暖かい季節になっている。海は太陽の光で煌めいていた。波打ち際に気の早い親子が浮き輪を持って遊んでいる。
「あの中に、クラゲも鯨もいるんだ」と目を輝かせている恵梨が隣にいた。
「そう思うと…意外と近しい存在なのかも知れない」
「近しい存在?」
恵梨が聞き返すと「サブイボの原因」と笑う。
その日は貝を拾ったり、波に触れたりして遊んだ。あの日のことが遠くなってしまったと言い聞かせるように、佐伯は何度も海に目をやった。
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