第8話

別人との再会


 佐伯は「どうして顔を変えたの?」という質問にはいつも楽しんで答えている。


「思い立ってアイドルになろうかと思って」


「フィリピンのマフィアに追われたから」


「開運の相にしたくて」


 でも決してどれも当たりではない。その時々の周りの反応を楽しんでいる。今日は何て言おうかな、と考えるだけでワクワクしてくる。


「婚活仕様に男前にしてもらったんだ。前は少し地味だっただから」


「前の顔の人に会いたいな」と恵梨が言った。


「え? 覚えてるの?」


「うん。黒髪で、鼻はそんなに主張してなくて…」と恵梨が言うと、佐伯は少し寂しそうな顔をした。


「そっか…。残念だなぁ。男前だから気に入ってるのに」


「前の顔も男前だよ…」


「まあね」


「それにいつも優しくしてくれたから。なんかお礼を言いたいなぁって、思ってたの。佐伯さんだとは気がつかなかった」


「そっか。でも…僕だから」


「うん。あの時はたくさんケーキありがとう」と恵梨は言った。


「前の僕を好きでいてくれてありがとう」と言って、佐伯は立ち上がった。


「じゃあ、追加もして良いからね」


 そう言うと綺麗な顔で笑った。


 少し気まずい空気になったが「ピザ食べない?」と祥子が美湖に言う。


「ありがとうございます」と言って、手を伸ばした。


 意外なことにピザは冷凍ではなくて、本格的なピザだった。


 祥子はそれを口にしながら「再会した時は…顔だけじゃなくて…中身も別人になってたの」と呟く。


「中身も別人?」


 祥子は恵梨を連れて日本に帰国するときに少し揉めた。恋人とは上手くいってなかったから、相手に新しい人が出来ても不思議と穏やかだった。


「恵梨は僕の子どもだから、定期的に会いたい」と言われて、困った。


「私は日本に帰るつもりだから、定期的って言うのは厳しいわ」


「…父親だから会う権利はあるだろう?」


「会いにきたら、会わせないっていうつもりはないの。でも私も仕事を始めるだろうし…あなたの都合には合わせられないの。分かって…」


 一瞬、祥子にハーグ条約が思い浮かんだ。国際結婚で、破綻した後、相手の承諾なしに子供と帰国した場合、誘拐だと見做されるという決まりだ。だからどうしても話し合いで帰国を認めて欲しい、と思っていた。でも祥子は結婚もしていなければ、認知もしてもらっていない。それはこんな日がいつか来るとなんとなく予想していたから…。ただDNA鑑定をされれば、間違いなく親子と認められるだろう。


 黙ったまま、いいとも悪いとも言われずに、祥子は荷物を詰めた。子供のパスポートはもちろん日本だった。何か言おうとしたのか、相手が祥子に近づいた時、呼び鈴が鳴る。新しい彼女が来たようだった。この時ほど、彼女に感謝したことはない。必要最低限のものだけ、放り込み、恵梨の手を握った。


「今から日本に旅行に行くよ」と言うと、恵梨は嬉しそうに飛び跳ねた。


「パパは?」と無邪気に聞いた時、ドアが開いて、新しい彼女が入って来た。


「お別れするの。パパとは」


 恵梨の目の前で彼女は父親に抱きついた。中国人だと言っていた。


「パパ、バイバイ」と恵梨がその時、まるで明日にでも会うような感じで手を振ったことを祥子は今でも覚えている。


 父親とのお別れだと言うのに泣きもせずに、祥子と一緒に家を出て、タクシーで空港に向かう。その間も恵梨は父親について何も話さなかった。祥子はタイでお金を貯めることもなく、貯金もほぼなかった。航空券は買ったものの、日本に着いて行く宛はなかった。勝手なことばかりして、実家からは勘当されていたが、連絡を取ろうか、どうかと迷って、止めた。お金もパートナーも無くなって、自由になれたのに、なぜ、窮屈な実家に戻らなければならない? と思ったからだ。


 そこで佐伯に連絡して、当面の住む場所と仕事がないかと聞くことに決めたのだ。


「日本に旅行できるの?」と嬉しそうに微笑む我が子を見て、「そう、すごい旅行よ」と祥子は吹っ切れたように笑った。


 佐伯からは時差があるというのにすぐに返事が届いた。


「お帰りなさい。空港で待ってます」 


 その一言がどれだけ嬉しかったか…。


 ただ久しぶりの再会はまるで別人との再会だった。

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