第2話
他人とファミレス
時刻は夜の七時半を過ぎていた。この目の前にいるクラゲのお姫様が行くあてがないということはわかったので、現実的にそれをどうにかしなければいけない。
「明日の朝、お母さんの病院、行くから」
「うん」
「うちに客用布団とかないけど…。まぁ、ソファで僕が寝るからいいか」
「ソファで私寝れます」
「どっちでも良いけど…。明日、朝、早くから病院行こう。君のお母さんと話しよう」
「…うん」
「その後のことは、明日、考えよう。あ、ご飯、食べた?」
「あ…まだ…です」
「じゃ、食べに行こう」
そう言って、恵梨の鞄を店の奥に置いて、ファミリーレストランに向かう。男の子だったら、ラーメン屋とかで良いだろうけれど、女の子は何を食べるのか分からない。好きなものを注文できるファミレスはありがたかった。
十分位歩くと、ファミレスがある。歩きながら、年齢、名前を聞いた。名前は桃田恵梨、十一歳だった。今までどうしてたか話を聞いた。星が綺麗な夜だった。可愛い見た目と違って、あまり幸せな人生とは言えなかった。小さい頃は両親の愛情を受けていたが、父親が他の人とデートするようになり、母親は少し娘にきつく当たるようになったらしい。
「でもお母さん、好き。パパは…どっちでもないかな」
「そっか」
「お母さん、死んじゃわないよね?」
「大丈夫だよ」と適当なことを口にしながら、何も分からないが、そう言うしかない、と淳之介は思った。
「よかったー」と医者でもなんでもない淳之介の言い分を信じている恵梨にまだ幼さを感じる。
「明日、行ってみよう。昨日まではどうしてたの?」
「昨日まで、お母さんと…漫画がたくさんのところにいたの。でも具合が悪くなって…」
「え?」
「小さな部屋みたいなところで、寝たり、ジュース飲んだりしてた」
淳之介は想像しただけで、何とも言えなくなる。ファミレスが見えてきた。空には星が輝いていたけれど、何というか、現実は厳しいな、と感じた。
そんな話を聞いていたからか、席に着くと
「好きなものを頼んでいいから」と言った。
まさかステーキを注文するとは思わなかったけれど、今更キッズメニューを渡すわけにはいかなかった。
「学校は?」
「行ったり、行かなかったり…。だって、友達もいないし…」
生活基盤が安定していないのに、確かに学校まで…とは考えらえなかったのかもしれない。それにしても母子手当や何か手立てはあったのではないか、と淳之介は思う。
「…学校は行こう」
「え?」
「それから…お母さんと相談してからだけど、君はどこかの施設に行くことになるかもしれない」
恵梨は驚いた顔で淳之介を見た。
「し…せ…つ?」
「…うん。親がいない子供や、育てられない人の子供が暮らす場所だよ」
「…。わかった」
意外とすんなり受け入れたので淳之介はむしろ驚いたが、同情したくもなった。
「淳之介君は祥子の恋人?」と目を大きく開かれて、薄い色のビー玉みたいな目で言われる。
「うーん。いや、違う」
「でも祥子、淳之介君は優しいから…って言ってたよ」
「優しい…か? なんか、多分、断れないと思って」と言うと、恵梨は少し悲しそうな顔をした。
「私…迷惑?」
「…そんなこと考えなくていいよ。だって子供だから」
「子供じゃないよ。もうレディなんだから」と眉を吊り上げて言う。
祥子の顔に少し似てると思った。
「外国ではそうかもしれないけど…ここではまだ子供で、何もかも子供料金だから。子供はそんな心配しなくていいの」
ステーキが運ばれて、淳之介の前に置かれるが、慌てて、恵梨の方だと店員に言う。淳之介はクラブハウスサンドを頼んだ。もぐもぐとステーキを食べる様子を見て、何だかおかしくなった。母親が病気で、行くあてがないと泣いていたのに、美味しそうに食べている。子供は素直な生き物なんだな、と淳之介は思った。
祥子に似ているような、似ていないような…と食べる姿を見ながら思い出していた。
祥子とは付き合っていた。
美人の祥子は人目を惹く容姿で、みんなの憧れだった。だから淳之介に「どっか行こう」と言ってきた時は心底驚いた。
「え?」
「どっか。どこでもいい」
そう言われて、淳之介は慌てた。それはすぐに返事をしなければ、違う人と「どっか」に行くって言いそうだったから。
「水族館行かない?」と思わず言った。
「え?」
祥子は驚いた顔していた。まるで高校生のデートみたいだ、と思われたのかもしれない。その頃から、淳之介は海の生き物が好きだったし、クラゲは特に見ているだけで不思議な気持ちにさせられた。
失敗したかな、と思った瞬間、祥子が笑いながら承諾してくれた。
デートは意外と楽しめた。水族館デートは初めてだ、と祥子が言う。きっとおしゃれなカフェとか映画とかだったのかもしれない。
「…なんか地味だった?」とちょっと申し訳なく思って、淳之介は聞いた。
「え? ううん。ちょっと歩き疲れて、私も泳ぎたいって思ったけど」
「泳ぐの好き?」
「好きじゃないけど、あんなにスイスイ泳げるなら、泳いでみたいって思った」
「イルカみたいに泳げたら楽しそうだなって思う」
「うん。だって、走るのだって、大変だし。海の中をあんなに泳げたら…私も得意げに泳いじゃう」
そしてイルカはきっと、人間に泳ぐのを見せつけているのだ、と祥子は笑った。きらきらした笑顔を淳之介はただ呆然と見ていた。あの日、イルカのぬいぐるみをプレゼントしたら、嬉しそうに抱いて持って帰って行った。
それから二年ほど、付き合っていた。小さな喧嘩はあったけれど、幸せだった。
終わりはごく普通に、何の変哲もなくやってきた。淳之介が想像していた終わり方だった。祥子の前に航空会社に勤める年上のエリート男性が現れて、去っていった。
なんとなく予想がついていたから、悲しいけれど、祥子と結婚する未来は全く見えなかったから変な感じだけれど、納得していた。
「淳之介君、食べないの?」と恵梨に聞かれた。
「あ、一つ食べる?」というと、小さくて白い手が伸びてきた。
「好きなだけ食べていいよ」
「本当?」
余程、お腹が空いていたのだろうか、美味しそうに三つ食べた。
「よかったらデザートも」と言うと、顔が明るくなる。
「全く…。君のお母さんは…」と思わず呟くと、眉毛を上げて「お母さん、悪くない」と言う。
「そっか。ごめん」
子供が真剣な顔で母親を守る発言をするから、淳之介は胸が痛くなる。でも淳之介が謝ったから、恵梨はちょっと申し訳なさそうな顔になった。お互い、少し気まずくなって、しまったから、淳之介がデザートメニューを渡す。恵梨はちらっと見たけれど、首を横に振った。
「じゃあ…僕は食べようか。何にしようかなぁ…。どれが美味しそうかなぁ」と言うと、恵梨も真剣な顔でメニューを見ている。
「どれが美味しそう?」と聞くと、チョコレートパフェを指差した。
「なるほど。じゃあ、それにする。君は? 食べる?」
「…い…らない」
そう言うので、一つだけ注文した。チョコレートパフェなんて何年のぶりだろう、と淳之介は思う。結局、届けられたパフェは恵梨がじっと見るので、あげた。もともと恵梨に食べてもらおうと思って注文したから良いのだが、恵梨は嬉しそうな、申し訳なさそうな、でも美味しそうな顔で食べた。
明日、久しぶりに祥子に会ったら、どんな話をしようか。煩わしい気持ちよりも何だか会ってみたいという気持ちが大きかった。
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