第94話
再会
朝から降る雪は延々と続いていた。
昼休憩から戻るとお茶を会議室に運ぶようにお願いされた。たまたま総務の女性が休憩に入ったからだった。
「小森さん、三つお願いできる?」と課長から言われて、返事をする。
吉永さんに「喜んで」と言ってた日々が懐かしいと思いながら、お茶を淹れる。
お茶を運んでいると、川田さんが「あ、見て、見て。この真ん中の子」とスマホを見せてくる。
夏の海を背景に水着姿の男性三人で写っている。腹筋は割れていて、さらに上腕二頭筋が逞しい男性の写真があった。日に焼けた肌と笑顔で友達と楽しそうに写っていた。
「うちの人の後輩。いい子よー。一回会ってみない? 彼女と別れて一年になるって」
一年経ったら、私もそんな気持ちになれるのかな、とふと思った。私は彼女ではなかったけど、まだ恋愛したいという気分にはならなかった。もし中崎さんと会ってなかったら、私は飛びついてたな、とちょっと可笑しくなった。
「あ、お茶運び中だね」と川田さんが会議室のドアをノックして、開けてくれる。
「また…後で」と言った時、川田さんはにっこり笑って、
「イケメン、さらに健康でいい子だし、小森さんとお似合いよ」と笑う。
いくらのんびりした会社とは言え、お客さんに聞かせる話ではない、と慌てて会話を切り上げることにした。
「そんな…」と言って、私は会議室に入った。
「失礼します」とお客の方を見たら、中崎さんがいて、手が震えそうになった。
お茶を落とさないように必死に指先に力を入れる。課長と主任と中崎さんは新しい缶詰の話し合いをしていた。
「久しぶり」と言われて、私は上手く微笑めなかった。
「あぁ、小森さんは中崎さんと同じところにいたんだよねぇ」と課長が言う。
「あ、はい」と言って、お茶を置いた。
「小森さん、紹介受けるの? イケメン、健康優良男子と」と主任に聞かれてしまった。
私は「あー、えーっと」と言って首を傾けながら「失礼します」と言って、部屋を出た。
仕事があると言ってた、と私は思った。心臓が忙しくなる。私は慌てて、外に出た。降ってくる雪に体を晒す。冷たい雪が頭や体、手をゆっくり濡らしていった。近くの自販機で冷たい水を買い、数分、外で頭を冷やして戻る。会社はとても暖かくて、泣きたくなった。
それでも冷たい水を眺めながら仕事をした。
「小森さん、髪の毛濡れとるけど…」と川田さんが心配する。
「あ…」
「帰り、靴屋さん寄ろうか? 雪靴買わんと困るよ」
「すみません。お願いします」と私は言った。
「手も、鼻も赤いけど?」と慌てたようにタオルを持ってきて、拭いてくれる。
「雪が珍しくて…ちょっと」と言うと、川田さんは笑った。
「そう? すぐに嫌になるよ」と優しく水分を拭き取ってくれた。
こんなに優しくされて、私は嬉しいはずなのに、胸が苦しくなる。
「ありがとうございます。もう大丈夫です」
「本当? 風邪ひかんようにね」と言われた。
そう言われて心が温かくなる。雪はどんどん降り積もって、私を一人閉ざしてくれたら良いのに。中崎さんが近くにいるというだけで心臓がせわしなく動き出した。
三時になるとここではお茶とちょっとしたお菓子が配られる。いつもは総務の人がお茶を淹れてくれるのだけれど、私に声をかけてきて、会議室に一つ運んで欲しい、と言われた。
「あ…はい」
「ごめんねぇ。うち、ここの人にお茶を入れるから、一つだけ小森さん、お願いできる? なんか雪がすごくて、帰られんらしくて、ここで仕事するって言うてて。前、同じ職場の人やったし。これ、お菓子」と言われて断れなかった。
「…あ、わかりました」
「ごめんねぇ。今日は…小森ちゃんにお菓子二つ置いとくから」と笑顔を見せられた。
気まずい気持ちでお茶とお菓子を会議室に運んだ。
「失礼します」と言って、会議室の中に入る。
「…ありがとう」と中崎さんが微笑みかけてきた。
相変わらずのイケメンで私は息が止まりそうになる。ノートパソコンで資料を作っている。
「今日は雪で帰れなくなりそうなんだ」と話しかけてくる。
「…泊まられるんですか?」
「今から宿泊先を探す予定」とスマホを取り出す。
「まさか雪が…こんなに降るって思ってなくて…」
「僕も…。でもちょっと期待してたかな…。出張先から帰られないこと」
私はどう返事していいのか分からない。でもほんの少しだけでも会話がしたかった。
「中崎さん…お変わりないですか?」
「十子ちゃん…」
他人行儀な私の言葉に一瞬、固まる。でも私は悲しませたいわけじゃないし、傷つけたいわけでもない。
「…お変わりなく過ごされてることを…ずっと…ここで願ってます」
私に出来ることはそれだけだから、と微笑んだ。
「紹介…されるの?」
「え?」
「さっき…健康優良男子って聞こえたけど」
「…あ、それは…断ろうかと」
私はまだ他の人を好きになれそうにない。
「話したいことがあるから、今夜は時間ある?」
「えっと…靴を買いに行こうと約束してて。普通の靴じゃ…歩けないから」
「そっか」と中崎さんは寂しそうに笑う。
「靴…買ったら連絡…しましょうか?」と、つい言ってしまった。
悲しませたくなかったし、何よりやっぱり少しでも会いたかった。
「そうしてくれる?」と笑顔を見せてくれる。
「はい」と私は言って、会議室を出た。
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