第79話
恋人未満
朝、目が覚めたら中崎さんがいる。今までもそうだったけれど、今日は中崎さんも私が好きだって分かったから嬉しくて、布団の中に一旦、潜って、また顔を出して見た。イケメンの寝顔がそこにあった。私はゆっくりベッドから降りてベランダのカーテンの中に入る。海が朝日でぼんやり光っている。白い光が散らばって、青い空も淡い色だった。
冷たいベランダのガラス戸に触れながら、心臓の鼓動を感じていた。夢だったのじゃないだろうか、と思ってしまう。自分にとって都合のいい夢。そう言われたら、色々符号は合うのだけれど、私はイケメンが私を好きになんてなるはずがないと思っていたから、そんなはずないと強く思っていた。
(でも…梶先輩も言ってたし…。他人から見たら分かったのかな)と思いながら、師匠に報告メッセージを送らなければ、とも思った。
携帯を取りに行こうかと思ったら、カーテンの手前に中崎さんがいて、そのまま後ろからカーテン越しに抱きしめられた。
「おはよう。隠れんぼしてるの?」
「ございます。…してません」
海を見たかったけれど、カーテンを開けると、中崎さんを起こすかもと思ってカーテンの中に入ったのだ。
「朝起きて、いないから…びっくりした」
「海…見たくて…」
「一緒に見ていい?」
「はい」
中崎さんも中に入ってきた。
(両思いの人)と思うと、嬉しくなってしまう。
「おはよう」と改めて言われる。
「ございます」と私も言った。
冬の海の白い光が眩しくて、目を細めた。隣の中崎さんを見上げる。
「キス…したいです」
背伸びをしたけれど、中崎さんに届かなくて、手を伸ばして肩に置いた。一瞬、戸惑ったような顔をしたけれど、中崎さんはキスをしてくれた。
息が止まった。唇が触れただけで、すぐに離れた。
(キス…)
初めてのキスは淡くて、冬の海みたいにぼんやり光っていた。
固まっていた私を胸に抱いてくれて、しばらくそのままくっついていた。
朝ご飯を食べて、私たちは私が借りる予定のマンションまで行ったり、美味しいお昼ご飯を食べたり、お土産を買ったりして、家に戻ることにした。長い電車も二人だと少しも長く感じなかった。途中で寝たりしてしまったけど、電車の中でいろんなことを話した。
中崎さんが育てられた故郷について。両親について。学生時代、身長が高いという理由だけでバスケットボールをしていた話。どれも私には未知の世界で聞いてるだけで楽しかった。
旅行の最後は寂しくなるけれど、私は帰る家も中崎さんのところなので、少しも寂しくなかった。
電車で揺られて帰ってきただけなのに、疲れが出てくる。ご飯も駅前で食べてきて、後はお風呂に入るだけだ。
「ただいまー」とトラちゃんに言うと、走ってきてくれる。
出した手に頭を擦り付けてくれる。中崎さんはそれには完全にスルーして、お茶を用意してくれた。トラちゃんの餌とお水を交換して部屋の端に置いた。
「十子ちゃん、お茶飲もう?」
「はーい」
温かいお茶はホッとする。
「シャワー先に浴びますか?」
「あ、そうしようかな」と中崎さんがお茶を飲んで立ち上がる。
そして洗面所に入ったのを確認して、私は検索の鬼になる。キスの後、あれで良かったのだろうか、と色々調べて、衝撃が走った。キスにもいろんな種類があることを…。そしてキスした後はお代わりをしたり、上目遣いするといいと書かれてあった。私は何一つしていない。
「あ…」
ただ唇が触れるキスだったからよかったものの…とあれこれ考えた。
(歯磨きを念入りに…しないと)と思って、さらに検索していると、梶先輩から電話が鳴った。
「もしもし?」
「帰ってきた?」
「はい。あの…先輩」
「何?」
「あの…やっぱり会った時でいいです」
「どうしたの?」
「電話では言えません」と言うと、「じゃあ、家に来る?」と言うから、思わず今から行くと言ってしまった。
中崎さんに「梶先輩のところに行ってきます。すぐに帰ります」と置き手紙を置いて、梶先輩へのお土産を手に出て行った。早足で向かったので、十分で着いた。梶先輩の部屋に入ると、すっかり綺麗な空気になっていた。本当に成仏したんだな、と安心する。
「お帰り」と言われて、思わず抱きついてしまう。
「ただいまです。これ、お土産です。美肌効果の石鹸です」
「いいのに…」と言いながら喜んでくれた。
お茶の用意をしてくれて「中崎は?」と聞かれた。
「あ、お風呂に入ってて…。置き手紙してきました」
「十子? 中崎と寝た?」とダイレクトに聞かれた。
「寝た? 一緒に?」と繰り返して、普通に寝ることじゃないことに気がつく。
梶先輩は苦笑いしている。
「あ…。まだ至らずです。あの…キスしたんですけど」
「はい?」と驚いたような顔を見せた。
「唇が触れるだけの…。あの…でも恋人って…どのキスするんですか?」
「それは…深ーいやつ」と笑いながら言われた。
(あ、まだ恋人未満…)と思った。
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