第80話

レクチャー


 私が軽く落ち込んでいるのを見て、梶先輩は「冗談よ」と言って笑う。


「じゃあ、本当はなんなんですか?」


「それは人それぞれ…。セックスしたって、恋人じゃないって思う人もいるしね」


「そんな人…存在するんですか?」と血の気が下がる。


「でも…中崎は大切にしてるんじゃないの?」


 何を大切にされているのか、と首を傾げた。


「それで、何があったの?」


「あ、好きって言ってくれました」


「おめでとう」とお茶の入ったコップをテーブルに置いてくれた。


「ありがとうございます。…でも」


「でも何?」


「私…出向するし…」


「そう言えば、まだ辞令が出ていないのよ。おかしいわね」


「中崎さんもそう言ってましたけど…。今週頭には出ると思ってたんですけど」


「私も。…十子の席荒らしの事件もあったから、バタバタしてるのかもね」


「…そうですか」


「そう言えば、本田さんのこと聞いてきたけど、どうかした?」


「あ、それはあの給湯室の女の子をいじめてた人と結婚した人です」


「どうするの?」


「分かりません。彼女が納得してくれたら…きっと成仏できると思うんですけどね」


「でも本田さんは幽霊とか見えないでしょ?」


「そうなんです。でも本田さん、年齢のせいで大分変化していたみたいで。彼女、驚いてました」


「え? 幽霊も驚くの?」


「だから幽霊も元は人間なんです。別に変わりませんよ」


「じゃあ、怖くないの?」


「たまに怖くなるのもありますけど…」


 そんな話をしていると、中崎さんから電話が来た。


「迎えに行こうか?」


「あ、大丈夫です。もう少ししたら帰ります」と言って、電話を切る。


「もうちょっと喋ってたら、絶対、迎えに来るよ」と梶先輩は笑う。


「そうですか?」と私は慌てて、恋の手順を梶先輩に聞いた。


 梶先輩は苦笑いしながら、「人によるし、十子がしたくないことはしなくていいから」と言ってくれる。


 そして携帯の検索画面を見せてくれる。私は熟読してしまったけれど、実際のところよく分らないというのが本当だった。


「十子、分かった?」


「うーん。文字だといまいちよく分からなくて…」と言うと、ため息を吐かれてしまった。


 そんな訳で、無言で梶先輩の携帯の画面を眺めている時間が経っていたようで、インターフォンが鳴った。やっぱり中崎さんが迎えに来てくれた。


「とりあえず、今日、明日…ってこともあるかもしれないから。しっかり避妊だけはしなさいよ」


「え…」と私は固まってしまった。


「コンビニ寄って、買って帰りなさい」


 私は返事できずに、固まる。ドアのインターフォンが鳴った。緊張が急激に高まる。


「十子、今日はこっちに泊まる?」と言って、玄関に向かった。


(そうしたいのは山々だけど…。迎えに来た中崎さんを追い返すことは…)と躊躇してしまう。


「こんばんは」と中崎さんの声がした。


「あ…」とのろのろと席を立つ。


 中崎さんが梶先輩と何か話している。


「十子、どうする? うちに泊まってもいいけど?」と私に梶先輩が投げかける。


「えっと…あの…」


「十子ちゃん、帰ろう」と中崎さんに言われて、私は何だか断れなくなった。


「じゃ、また明日ね」と梶先輩に言われる。


 部屋を出て、振り返るとドアから顔を出した梶先輩が、口で「頑張れ」と言っていた。


(何を頑張れば…)と思わず縋るような目をしてしまった。


「十子ちゃん?」


「あ、すみません。お迎えまで来ていただいて」


「ううん。結構、遅い時間になってきたから…。何話してたの?」


「えっと…。両思いになったこととか…恋バナですね」と言って、別に嘘ではない、と思った。


「そっか。ごめんね。邪魔しちゃったかな」


「いえ。あの…あの今後のことも相談してました」と思い切って言うとエレベーターが来た。


 人が乗っていたので、その続きを話す気になれなかった。知らない人が乗っているエレベーターは気まずい。短い時間が重く感じた。

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