第50話


 銀色の髪の毛の少年が「とーこちゃん」と呼びかける。にこにこ人懐こい笑顔が可愛くて、青い目はまるでモデルか、イラストのようだった。


 あまりにも綺麗で私は見惚れていたから、名前を呼ばれて嬉しくなった。


「とーこちゃん、ありがとね。美味しかった」


「何が?」


「あれ、なんかよく分かんないけど、ニュルッと出てくるの」


「ニュル?」


「まあ、いいや。あのね。とーまのこと好き?」


「とーま?」


「あれ? 好きじゃないのかな?」と不思議そうな顔をする。


「うーん…とーまって、あ、中崎さんのこと?」


「なかさきさんはパパとママ」


「…え? あなたは…」


「とら」


「トラちゃん? トラちゃんって猫じゃないの?」


「猫だけど、猫だと伝わんないじゃん」と言って、顔を手で撫でると、猫の姿になった。


「あー。トラちゃん。約束守ってくれたんだね」と私が思わず駆け寄ると「にゃん」と返事した。


(確かに…人間になってもらった方がよく伝わる)


 トラちゃんは鍵尻尾をピンと伸ばすと、人間になった。


「わー。すごい」


「えへへ。で、おしゃべりしたかったんでしょ? 僕と」


「そう、そうなの。トラちゃん、どうしてここにいるの? あっちに帰って、生まれ変わったりしないの?」


「僕ね。ずっと見てたよ。なかさきのパパとママととーまのこと。みんな大好きなのに、なんだかちょっと悲しい」


 私はじっとトラちゃんを見た。


「それで…。パパとママはとーまのこと心配してて。最後まで本当の家族になれなかったって…どこかで思ってて。だからとーまのこと見に来た」


「そう…なんだ。でもトラちゃん、ずっとここにいたらね。変なのに捕まって、トラちゃん、生まれ変われなくなるよ」


「変なの?」


「うん。だからお空に帰った方がいいと思うの。帰り方、分かる?」


「うん。でもね。まだ帰れない」


「帰れない?」


「とーまに妹いるの。それ、ちゃんと区切りがつけれたら、帰る」


「え、妹?」


「変なのに捕まらないように、この家にいるから」


「うん…。トラちゃん、とーまのこと好き?」


「まあね。でも…かわいそうに思う」


「そっか。じゃあ、ときどき、そこに餌を置いてもらうように言っておくね。後、おやつも」


「うん。おやつ大好き」と言って、トラちゃんは私にキスしようとしたから、私は慌てて「猫になってー」と叫んで、目が覚めた。


 体の上にトラちゃんが乗っている。そして丸い目で私を見て「にゃん」と言った。


「どうかした?」と中崎さんがソファから起き上がる。


 ベッドに寝かされていた私の上にいたトラちゃんはパッと消えた。


「あ…ごめんなさい。私、ソファで寝ます。交代しましょう」


「丁度いいから、一緒に寝よう」と寝ぼけているのか、中崎さんはベッドに入ってきた。


「え?」と私が慌てたが、そのまま私を抱き枕のようにして、眠り込む。


 これって、この間だって、中崎さんがしたことじゃないか、と私は疑った。だって、中崎さんは嘘つきだから。私がよじ登って、どうして抱き枕になってしまうのだろう、とぶつぶつと考える。


 中崎さんは私のこと抱き枕にしてぐっすり寝ているけれど、私は少しも眠れない。せっかくなので、至近距離の美形のお顔を楽しむことにした。長いまつ毛を形のいい顎。いいなぁと思いながら頭を胸に傾ける。いい匂いがする。

 こんなことしないで欲しい、と思いながらも拒否できない。中崎さんに包まれたまま、私は眉間に皺を寄せる。


「もう、一人だけぐっすり寝て」と私は呟いて、頭を胸に二、三回擦り付けた。


「うーん」と言って、抱きしめられる力が強くなる。


 目を閉じて、中崎さんに妹がいるってトラちゃんが言ってたことはまだ言わない方がいいと思った。中崎さんの妹ー、それで私はちょっと思い出したくないことを思い出した。



 小学生の頃だった。近所にお兄ちゃんと同じ歳の男の子、つよし君がいた。その子にも妹がいて、茉莉まりちゃんという名前で、私より一つ上だった。私はその近所の剛君が自分のお兄ちゃんより優しくしてくれたので、好きだった。初恋だったかもしれない。

 でも茉莉ちゃんは私のことを嫌っていた。自分のお兄ちゃんに他人がくっついて優しくされているのが、癪に触ったのかもしれない。


 ある日、修学旅行のお土産と言って、私と茉莉ちゃんに色違いのキャラクターがついたキーホルダーを買ってきてくれた。私は嬉しくて、ピアノのレッスンバッグにつけてて、喜んでいた。茉莉ちゃんもバレエに行く鞄につけると言っていた。


 それからしばらくして、家の前でお兄ちゃんが剛君と公園に行くと言うのでついて行った。剛君を待っている間に、先に茉莉ちゃんが出てきて、あのキーホルダーを無くした、と言った。

 何気なしに、私は「茉莉ちゃんの犬小屋にあるよ」と教えた。その時、ふっと見えたことを口にしただけだった。


「ねぇ? どうして知ってるの? まさか十子ちゃんが隠したの?」


「え?」


「そんなとこに隠した人しか分からないでしょ?」


 茉莉ちゃんに言われて、私は混乱した。剛君も後から出てきて、ことの顛末を聞いた。私は弁解も何もできずに立ち尽くす。そして私が言った通り、犬小屋からキーホルダーが出てきた。茉莉ちゃんは剛君に私がやったと避難する。


「昔から…こいつ、こう言うところあってさ」と私のお兄ちゃんは擁護するつもりで言ったようだが、捉え方によっては私がそういう意地悪をする人だというようにも聞こえた。


「ちが…。見えたから。犬小屋にあるのが」と必死で言った。


「十子ちゃんがそんなことする訳ないだろう」と剛君は茉莉ちゃんを宥める。


 私には茉莉ちゃんが犬小屋に入れたことも見えた。でもそれは言っちゃいけないと思って唇を噛んだ。


「でもじゃあ、どうしてここにあるの知ってるの?」


 茉莉ちゃんが激しく言う。


「ごめんなさい」


 私が謝るのが一番だと思って口にした。


「いいよ。十子ちゃん、そんな謝らなくて。どうせ…茉莉がしたんだろう」と剛君は言ってくれた。


 その時、私は心が救われた…と思った。わかってくれる人がいたんだ、と。


「どうして、茉莉がそんなことしなきゃいけないのよー」と茉莉ちゃんは怒っていた。


「さっき犬小屋に入ってるの見えたぞ」


「え?」


「二階から見えた。十子ちゃんは…いなかった」


 私は自分が容疑者から外れたことで安堵した。それに剛君が信じてくれたことが嬉しかった。ただ…私を見る目が『気持ち悪い』になった事を同時に感じた。


『俺は茉莉が犬小屋に入っていくのを二階から見てた。その時、十子ちゃんは近くにいなかったのに…。なんで知ってるんだ。なんでもわかるのか? 気持ち悪いな』とはっきり心の声が聞こえた。


 茉莉ちゃんの意地悪より、何より、胸が裂けた。私はその時、とぼとぼと自分の家に一人で戻って、二度と、剛君と茉莉ちゃんの家には行かなくなった。


 中崎さんの妹のことを考えて、思い出したくない記憶を思い出す。いつも優しかった剛君は他人だから優しくできたのだろう、と今なら分かる。それでも私は好きだった。他人から優しくされて、有頂天になっていた。


 でも結局、いつも最後は気味悪らがられる。


 中崎さんは私が幽霊を見えるのも気味悪がらない。昔のことを思い出すと胸が痛くて、頭を振って中崎さんのシャツをきゅっと掴んだ。


「十子ちゃん?」とうっすら目を開ける。


「中崎さん、起きました?」


「あれ? どうして?」


「もう、中崎さんが今度はベッドに入ってきたんですよ」と私は言う。


 ベッドの周りを見回して「そうみたいだ」と言って、また私を抱き寄せる。


「抱き枕じゃありません」


「そうなんだけど…ちょうどいいから。サイズと暖かさと…あといい匂い」


 いい匂いは中崎さんの方なのに、と思って、私は膨れた。すると「早く寝なさい」と言って背中を撫でられる。


(お母さん。孫はできそうにないです)と私も眠りについた。

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