第39話
お姫様抱っこ
青い空、人々が談笑しながらレストランのテラスで食事をしている。外国の港町にいて、私はカメラを構えてその風景を捉えていた。ファインダーに人が横切る。鮮やかすぎる赤いロングスカーフを頭に巻いて、紺色のシルエットのゆったりしたズボンを履いている。その人の美しさに心臓が大きく動いた。思わずシャッターを押してしまう。
(梶先輩…)
私の知っている梶先輩より若い。そして私の方を振り向いて、ゆっくり歩いてきた。
「ご、ごめんなさい」
思わず写真を撮ったことを謝った。
「見せて…」
私はカメラのモニターを見せた。風でスカーフが靡いて綺麗な横顔がはっきりと写っている。
「カメラマンなの?」
「…まだ…。でもいつか」
私はそんなことを言いながら、美しい梶先輩に心を捉えられてしまっているのが分かる。
「その写真で受賞したら…、連絡するわね」と笑って、梶先輩が去っていく。
それから、サグダラファミリアでもその美しい梶先輩と遭遇し、グエル公園でも遭遇した。グエル公園ではガウディの壁にもたれて空を写していた。
「それなら、どこでも同じ空じゃないの?」と忘れられない声がする。
思わず体を起こして、梶先輩を見た。
「あ、また会いましたね」と言う。
梶先輩は少し苦笑いしながら、私に聞いた。
「観光名所ですからね。でも観光名所ばかり撮ってても…そんな写真、もう他の誰かが撮っているでしょう?」
「まぁ、そうです。だから空を撮ってるんです」
「だから…ですか」と言って素敵な笑顔が弾けた。
(こんな梶先輩…知らない)と私はその笑顔に見惚れた。
(素敵な笑顔だ)
「名前を聞いても?」
今日は朝までぐっすりだった。昨日、泣いてしまったからかもしれない。コーヒーのいい香りがうっすら漂っていて、目を開けた。
「十子、おはよう」と梶先輩が私を見て挨拶をする。
それがなんとも言えず素敵だ。いつも素敵なのに、今日はなんだか、すごく胸がドキドキする。
「あ、おはよう…ございます」
「何? どうしたの? まだ具合悪いの?」
「そんなことないです。あの…お世話になっているので、パンでも買ってきます」と慌てて、スエットのまま、お財布つかんで外に出た。
マンションのエレベーターに乗り込む。
(何? 今の、何?)
エレベーターの鏡の自分を見る。頰が少し赤い。
(どうしてあんなに素敵に見えるの?)
鏡に手を伸ばす。
(中崎さん…好きだって言ったのに、一体、何?)
この胸の動きが理解できない。
パンを買って帰ると、すでにスーツ姿になっていた梶先輩から「ありがと」と感謝された。それだけで、私は胸が震える。
「これ…」と袋から出すと、すごく驚かれた。
「十子が買ったの?」とクロワッサンを取り出す。
「はい?」
「十子ならカツサンドとかかなぁって思ったから。早く準備しなさい。スープ温めるから」と言われる。
私は失礼だなぁ、と思いながら服を着替えて、化粧をする。
「十子? ふあふわじゃなくてもいいから、せめて髪くらい梳かしなさい」と言って、ブラシで私の髪を梳かしてくれる。
心地よくて、…そして涙が出た。
「あれ?」
「何? え? なんで泣いてるの?」
「なんでだろ? なんだかとっても気持ちよくて」
「何? もう、ティッシュ、そこだから取って。世話が焼けるわねぇ」と笑う。
不思議だけれど、中崎さんを好きだと泣いた私は一晩明けると、すっかり梶先輩が好きになっていた。会社に行く時、先輩腕組みましょう、と言って、私が腕を三角の空間を開けて腰に手を当てると「十子、身長差」と言われて、断られた。
(おかしいな…この体)と思って「この体?」と口に出してしまう。
「本当は具合悪いんじゃないの?」と顔を覗き込まれて、私の体温が一度上がる。
「そんなんじゃないよ」と変な口調になる。
「え? 十子?」
「あ、変でしたね。ごめんなさい」と謝る。
これはおかしいと会社についてこっそり鞄を見ると、いつも鞄にしまっていた塩がしっとりと湿度を含んでいた。
「もしかして…」
「おはよう」と中崎さんに声をかけられる。
「おはようございます」と振り返るが、私はイケメンを前にしても何も変わらなかった。
「大丈夫?」
「あ、はい。おかげさまで」と言うと「じゃあ、ランチで」と去って行った。
村岡さんがその隙に中崎さんのところに駆け寄って行ったが、私は気にすることもなく、仕事を始めようとした。でも何かがおかしいと思って、私はさらにお守りを鞄から取り出す。その瞬間、体がぐらっと揺れた。
「…な…」
床が近くに見えて、倒れてしまったようだった。
「十子ちゃん」と中崎さんの声がした気がする。
意識はすぐに回復する。床から抱き上げられて、中崎さんの膝の上にいた。
「え?」
「大丈夫? ちょっと医務室行こうか。歩ける?」
すぐ近くに中崎さんの顔がある。流石に心臓が激しく動き出す。
「あ、歩けます」と体を起こそうとしたが「いいから」とそのまま抱き上げられた。
(ちょっと)と私が思うより、周りから悲鳴が上がった。
多分、私が倒れた時より大きな悲鳴だ。
「あ…ある…」と私が言うのを無視して、そのままエレベーターで医務室の階まで運ばれる。
重たいのに…、と心の中で焦るが、中崎さんは無言で医務室まで運んでくれた。
「あらあら…何事?」と年配の看護婦さんが笑いながら、ベッドのカーテンを開けてくれる。
中崎さんが状況を説明してくれる。看護婦さんから靴を脱がされ、中崎さんによって私はまるで宝物のようにそっとベッドに下ろされる。
「お疲れ様。肉離れとか筋肉痛するかもしれないから、湿布持って行きなさい」と中崎さんに渡す。
「十子ちゃん…。無理してたんじゃない?」と心配そうに顔を覗き込まれた。
「あ、あの…ありがとうございます」と私の顔は真っ赤になっていた。
「さあ。戻って」と中崎さんを追い出す。
「え…あ、でも」と心配そうに言う中崎さんに「ちょっと服を脱がせるからね。男子禁制なの」と看護婦さんは言ってくれた。
カーテンを閉められ、本当に私はボタンを外される。下着は自分で外した。
「貧血かなぁ?」と聞きながら血圧を測る。
「はい…。多分」
「よくある? 生理中とかじゃない?」
「…もう少し先だと思います」
「もし頻繁にあるのなら…病院行きなさいよ」
「はい」
「少し休んで行きなさい」
私は三十分ほど休んでから仕事に戻ることにした。戻ると、嫌なことばかり聞こえてくる。
『わざと?』
『あー、私も倒れちゃおうかなぁ』
『でも優しいよねぇ。あんな子でも運んでくれるんだもん』
聞こえるように言われる。それでも聞こえないふりをして、私は「すみませんでした」と言って、仕事に戻った。同じ部署の周りの人は気を遣ってくれたけれど、他部署の女性からは刺さるような視線と言葉が向けられた。
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