第26話

失われた記憶


 綺麗な光がそこかしこに溢れて、爽やかな風が吹き抜ける。神社だからと言うのもあるのかもしれないが、梅雨に入る前なのか…今日のお天気は心地い風が吹いている。私は自ら中崎さんに手を差し伸べた。


「お母さんに昔言われたことがあるんです。誰かを傷つける人は深く傷ついてるって…」


「え?」と言いながら、私の手を取る。


 ゆっくりと歩きながら話した。


「私、こんな…変なところがあるから、友達うまく作れなくて…。小さい頃は見たことそのまま言って、怖がられたり、思春期は一番辛かったなぁ。周りが恋とか楽しそうなのに、私一人だけ違う世界にいるみたいで…。今は一人に慣れてしまって…。社会人デビューしようかとあれこれ頑張りましたが、結局それもうまく行かず」


 だから中崎さんが怖かった。どんどん近づいてくる中崎さんが嬉しくて、怖くて仕方がなかった。


「目的があって近づいてきてくれてるんだったら…ちょっと安心しました」と私は去勢を張った。


 やっぱり少し悲しいことだったから。この人に恋しそうになるのと必死で止めていてよかった、と思う。


「ごめん。本当に…」


「良いんです。お母さんがいつも言ってたから。傷つける人は深く傷ついてるから、許しなさいって」


「…許せないことだってあるだろう」


「そうですか?」


「例えば僕が…人を殺してたら?」


 私は中崎さんを見た。


「人を?」


 中崎さんは目を細めて辛そうに話してくれた。


 幼少期、川に溺れたことがあると言った。


「気がついたら病院で…。近くにいたホームレスが助けてくれたらしい」


「そうなんですか…」


「それで…僕はそれ以前の記憶がない」


「え?」


「誰も僕を探しに来なかったし、僕には全く記憶がなかった。名前も…住所も。だから中崎透馬っていう名前も本当の名前とは違うんだ」


 中崎さんは児童相談所に引き取られ、里親制度によって中崎さんという親切な人に育ててもらったらしい。


「本当の家族は…どうしてるのか全く分からない。大人になってから…色々考えたよ。一家心中しようとして、僕だけ助かったのか…とか。でも他の人の死体は見つかっていない。家族から必要とされず捨てられたのか…。全く記憶がないから…。ただ朧げに小さな女の子がいたような気がするんだ」


「…今は見えませんけど」


「そう…。君が何か見えてたら…って思って」


「見えてるのは…中崎さんはたくさんの人に愛されてるってことです」と私は言った。


 駅の売店のおばちゃんから、会社の美人秘書、通りすがりの大学生…、みんな、中崎さんを好きになっている。


「十子ちゃんは本当に…優しいね」と微笑む。


 その笑顔は本当に素敵で、誰もが好きになる理由だ。


「…でもどうして人を殺したなんて思ってるんですか?」


「…最近、夢に見るんだ。水の中でこっちをじっと見ている目。そして朧げな記憶の小さな女の子。もしその子が妹だったら…僕だけが助かったとして…。見殺しにしてたんじゃないかって」


「そんな…。中崎さんだって、小さかったし…助けられなかったはずです」


「…全く記憶がないって、嫌なことを蓋してる気がして」


「私の力で、女の子がいるか見て欲しかったんですか?」


「まぁ…、そう。できれば僕が誰なのか、何をしたのか、してないのか…知りたかったから」


 切実な思いが胸に刺さる。


「分かりました。じゃあ…お手伝いします。溺れた川に行ったら、何か見えるかもしれません」


「ありがとう。僕も協力するから」


「あの…。普通に言ってくれても私…お手伝いするのに。どうしてデータを消してまで…」


「…それは十子ちゃんに距離を置かれているのすごく感じてたから」


 確かに私は避けていた。会社でいろんな女性社員に冷たくあしらわれるのが嫌だったのだ。


「恩を売ろうとしたわけですね」


「まぁ…そう。でもどうして…距離置かれたのかなって」


「それは生きてる人間の方が…ずっと」と言うと、梶先輩たちが遅い私たちを心配して戻ってきてくれた。


「中崎、大丈夫?」


「あ、すみません。もう大丈夫です」と言って、私の手を離した。


 それを見た吉永さんが梶先輩に「お守り買いに行きませんか?」と私たちから離れるように言う。


「十子ちゃんと手を繋いでるのまた梶先輩に怒られるかと思った」と小さな声で私に言う。


 二人がまた先に進んでるのを見て、私は聞いた。


「足…大丈夫ですか?」


「うん。なんとか…」


「手を繋いでも大した支えになりませんか」


 背の高い中崎さんを支えるのに、私では力にならないだろうが、少しでも役に立ちたいという気持ちになっていた。


「良いのかな」


 私は中崎さんの大きな手を掴んだ。


「ごめんなさい。私がもっと優しくしてあげれれば…そんなことせずに済んだんですよね」


「え?」


「私…自分可愛さに…中崎さんに近づけなかったんです」


 ずるいのは私だ。

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