第23話

悲しいね


 翌朝、私が待ち合わせ場所に向かおうとしたら、最寄駅の改札に中崎さんとシスターズがいた。

 私は驚いて、足を止める。

 中崎さんは柔らかくて綺麗な笑顔で微笑んで近づいてくる。嘘偽りのない、美しい微笑み。それを見ていると私の思い込みではないかと思ってしまう。実際、何の証拠もない。


「おはよう。体調は大丈夫?」


「…おは…よ…う…ございます」と私は質問にすら答えられなかった。


「どうかしたの?」


 もしこの人が本当に私の仕事を消去したとして…、この優しい微笑みを作ることができる人だったら、相当怖いと思った。


「まだ具合悪い? 遅れるって連絡しとこうか?」


 私はシスターズを見る。彼女たちは目を合わせない。


「…どうして…消したんですか?」


「え? 何を?」


 否定されたらそれ以上、聞いても無駄なことをわかっているのに、私は否定して欲しくて聞いてしまう。


「私の仕事の…データを消したのは…中崎さんですよね?」


 違うと言って…と私は思いながら、視線を真っ直ぐ向けた。


「あそこに、幽霊いた? 幽霊にでも聞いた?」


 思いがけない回答に私は頷くしかできなかった。


 っち。


 舌打ちする音が聞こえる。一瞬、本当に僅かな時間だけ眉間に皺を寄せたかと思うと、すぐに美しい笑顔を作ると


「厄介な能力だな」と呟いた。


 朝の休日の改札はまばらな人通りで、私と中崎さんだけがずっとその場所で動かない。私は何かを言おうとしたけれど、何も自分の中から出てこなかった。すっと私の目の前に大きいな手を出して、そのまま頬を撫でて、顎で止まった。その間もずっと微笑みながら私を見ている。


「…十子ちゃん。どうして簡単に好きにならないの?」と言う。


「…すき?」と掠れた声がようやく出た。


「吉永のことは好きになったのに? そんな風に簡単に好きってなってくれたら良かったのに…」


 私はやっとの思いで、顎を持ち上げている手を掴んで、顔から離す。


「どうして、私があなたを好きになる…」と声が震えた。


「待ち合わせ…間に合わないよ。続きは今晩に、君の家ででも…」


 一貫して美しい笑顔のまま手を引かれて、改札をくぐった。そう。側から見れば、まるで少女漫画のようなヒーローに見える。でもそんなイケメン男性に手を引かれて歩いている私は手が震えていた。手だけじゃない、足もなんとか歩いているといった具合だった。


 好きでもないのに、好きになってほしいと言う中崎さん。

 優雅な笑顔ではあるが、そこに私を好きだという情熱は少しも見えなかった。


 電車が来た時もずっと手を繋いでいるが、それは私がまた逃げないようにするためだった。そのまま自動ドアが開くと、電車に乗り込む。席が空いていたので、並んで座ったが、座っても手を握られている。それなのにシスターズも不思議と大人しくしている。

 窓から流れていく風景を中崎さんはぼんやり見ていた。

 

「手…離してください」


「十子ちゃん、また逃げるでしょ?」


「一つだけ、どうして私が中崎さんと好きにならなきゃだめなんですか?」


「…それはね」


「私を利用するためですよね?」と言うと、微笑んでいた目が大きくなる。


「まあね」


「…それだったらそんな変なことしなくても…。言ってくれたら、何かできることがあったら…私…手伝います」


 そう言うと、中崎さんからあの柔らかな笑顔が消えた。


「だって…友達だから」と言ったものの、犯罪だったらどうしようと一瞬、不安が頭をよぎる。


 そんな私から目を逸らすと、無表情なまま


「十子ちゃんは優しいね」と言った。


 乾いた悲しい声だった。

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