第22話

優しい彼


 家に着くと母がびっくりしたような顔で私を迎えた。


「中崎さんは?」


「えっと…今日はちょっと具合悪くて…」


「中崎さんが? それで一人で帰ってきたの?」


「あ、うん。お風呂入るね」と私は自室に行ってお風呂の用意をする。


 あの時、一瞬見た映像は中崎さんがデータを消去している映像だった。誰もいないのを確認して、私のパソコンを覗き、そして入力中のデータを消去した。


 その映像はシスターズが嫉妬したから私に虚像を見せたのかも知れない。でも私の感覚ではそれが真実のような気がした。私と鉢合わせした時に、異様に驚いていた様子…。あれは幽霊が怖かったんじゃなくて、突然帰ってきた私に驚いたとしたら…、辻褄が合うんじゃないだろうか。


 どこにも証拠がない。私の見た映像の話で、中崎さんに問うことはできなかった。ただ私は逃げるしかできなかった。

 中崎さんがそんなことをしたのがショックだった。私は中崎さんの優しさが好きだった。失くなったデータ入力を一緒に手伝ってくれたのも、夜中のラーメンにデザートを付け足してくれたことも、私が冷たくしたのにトマトジュースを買ってくれたのも…好きだったのに。そして私がどれだけ避けようとしても…いつも優しく微笑んでくれている笑顔も。


 そんな優しさを見せてくれていた中崎さんが…なぜ?

 まだ確証はないが、データを消したのが中崎さんだとして、どうしてその必要があったのだろうか。


 消したデータをわざわざ一緒に残って仕上げてくれた理由は…。


「私と一緒に…」


 思い返せば、やたらと私に近づいていた気がする。

 穿った考えだと思うかもしれないが、中崎さんは私に必死だった気がする。

 でも私はシスターズが怖いので近づかない努力をしていたけれど、本当はそればかりじゃない。それを理由に私はあえて避けていた。

 分かっていた。優しい笑顔に隠されているのは私への気持ちがゼロだということを。これは別に霊能力を使ったからではなく、いつも優しい言葉の裏に社交辞令の匂いがしていた。

 私に優しくしなければならない、という義務のような。

 だから…恋に落ちれなかった。

 優しくされる度に、必死に落ちてはいけないと踏ん張っていたのだ。


 それは中崎さんも分かっていた。…だからデータを消してまで、私に親切に…。


(どうしてそこまでして私を好きにさせようと…)とため息を吐く。


 ふわっと甘い砂糖のような匂いがした。振り返ると、女の子が部屋に来ていた。


「心配してくれてるの?」


 すっと近寄って頭を撫でてくれる。


「…帰ろうね。お家に」


 そうだ、私はこの子の家も探さなきゃいけない、と頭を振る。そして机の引き出しを開けて、いちごミルクの飴を渡す。


「あのお菓子はもうなくて…。期間限定だったから買うこともできないの」と言うと、少ししょんぼりして、そして頷いていちごミルクを食べた。


 一年後に箱で買ってくれると言っていた中崎さんのことがまた思い出されて頭を振った。


「お風呂入ってくるね」と頭を撫で返して、私は下に降りた。


 母はもういなくてがらんとしたリビングが広がっていた。私はお風呂場で、ゆっくりと体を洗う。この場所に中崎さんが来たから、ここでの彼を思い出す。ただただひたすら優しかった彼は思惑を抱えていた。

 湯船に浸かりながら私は優しい中崎さんのことを思って涙を流した。


 疲れと泣いたせいもあって、その日はすぐに眠りについた。寝ているといちごミルクの匂いがする。


「大丈夫…」と私は呟いて、また眠りに落ちた。

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