第8話
お母さんどこ?
今日はもう絶対、残業なんかしないで、家に帰ろう、と思った。残業なんかしたら、またあの赤いワンピースの女の子に付き纏われる。いや、もう憑かれているのかもしれない。
私は今までに見たことのない集中力で仕事を片付けていく。
「小森さん」と吉永さんが声をかけてきた。
「はい? なんでしょう」と言いつつも画面から視線を動かさない。
「あの…神社はいつ?」
「じ…今週末にでも行きましょうか?」
(何ならすぐにでも行きたい)
「え? そんなに早く? いいの?」
「はい、もちろんです」と手を動かしつつ、画面を眺める。
(話しながらだとやり難いな)と思いながら、ミスがないようにチェックした。
「ありがとう。嬉しい。じゃあ、これ、俺の番号だから。登録しておいて」とメモを渡された。
そこで初めて、吉永さんを見る。
「…はい」
失恋した後に番号ゲットしたところで、とぼやきたくなるのを飲み込んだ。一気に力が抜けていく。さっきまでの集中力が一気になくなった。
「じゃあ」と言って、去っていく背中をぼんやり見ていると、あの赤いワンピースの女の子が見えてしまった。
(あぁ、気を抜いたばっかりに…)と思ってため息もつけずにぼんやりしていると、中崎さんが「大丈夫?」と声をかけてくれた。
「え?」
「さっき…喋ってたけど。昨日の今日だから…気になって。あの後も大丈夫かなって。だから本当はランチでゆっくり話でもって思ったんだけど」とあいかわらず仏様のような優しさを見せてくれる。
「あ…ありがとうございます。私は元気です。って何かの映画みたいですね。ははは」と乾いた笑いが全然大丈夫に聞こえない、と自覚する。
「今日、おごろうか?」
「…今日は家に帰ります。流石に…。あ、今週末です。神社に行くのは…ご予定なければ…ご一緒しますか?」とうっかり誘ってしまった。
後ろのシスターズが怖い顔で睨んでくる。
(そうだよね。神社、入れないもんね)
「本当? 行くよ。じゃあ僕も登録しといて」と言って、吉永さんのメモに自分の電話番号を付け足す。
「あ…はい」
いよいよ怒られ…いや、呪われそうなので、私はカバンの底の塩を手にしてから給湯室に行くことにする。
「コーヒー淹れようかな」と呟くと、「僕がするよ」とまたまたお優しいお言葉が出る。
「あの…私が中崎さんの分も淹れてきます。私が淹れると美味しいんですよ」と言って、振り切った。
「美味しいって…」という声は無視した。
それはそうだ。ボタンひとつでコーヒーができるのだから、誰が淹れようが同じ味だ。しかしもう変な人と思われようが、シスターズと距離を置きたい。そう思って、給湯室の隅の佇んでいる人を今日も確認しつつ、塩を舐め水を飲む。
「ふー」と深い息を吐いた。
席に戻ろうとして、コーヒーを思い出す。ボタンひとつでできるコーヒーを二つ作った。
そしてもう一度ため息をついた時、隅っこの俯いている人がビクッと肩を震わせる。そのまま無視して給湯室を出た。
「お疲れ様です」と言って、約束通り中崎さんにコーヒーを渡した。
ただそれだけなのに、視線が痛い。
「何あれ? 狙いでも変えた?」
「今日はなんかできる人アピールしてる?」と聞こえてくる。
私は黙って、そのまま自席に戻った。ため息ばかり増えてくる。仕事に取り掛かろうかと思いつつ、私はこのままでいいのかと悩んだ。何もかも上手くいかない毎日。私はただ普通に誰かに愛されたり、愛したいし、友達だって欲しい。ちょっと寂しい気持ちになる。
つんつんと二の腕辺りを押された。
「あ」
あの赤いワンピースの女の子がいる。
「お母さん…どこ?」
「…どこって。あなた、名前は?」
私はついに会話してしまった。
すると困ったような顔で「…分からない」と言った。
「え?」
「お母さん、どこ?」
そうだ。亡くなった人は結構、一方的だったなぁと思いながら「お母さん…いないのかぁ」と呟くと、女の子はぱたぱたと足を立てて、走って行った。そこには中崎さんのシスターズがたくさんいて、お母さんを探しているようだった。
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