パレードの違和感
第48話
「む…無理だ……」
レポートを書き始めてから数十分。燈は絶望した表情でレポート用紙を見下ろした。
十日前の事から書かなくてはいけないので、記憶を手繰り寄せないといけないのもあるが、何せ異世界の出張だ。どのようなレポートを書けばいいのかとても悩む。一日ずっと事務所の中にいた日だってあるのだ。その場合は、どのように説明したらいいのか……。
「ああ、分からない…!」
燈は頭を抱えた。それならまずはアンケートの方を書いていけばいいんじゃないかと思って挑戦してみるが、ミレジカの人々の職務態度についてなどサラリと書けるものでは無くて、ペンを持つ手はすぐに止まってしまう。
(レポートってこんなに書くのが大変なんだっけ?
もしかしたら自分の能力が低いから全く書けないのでは…)
「燈、終わった?」
自分の出来無さに落ち込んでいると、ウィルが笑顔で中に入って来た。
「そんなに早く出来ないよ…。……あれ、専務は?」
確かウィルと一緒にいたはずでは…?と疑問に思っていると、ウィルが「ああ」と思い出したように手を叩いた。
「ツクノならさっき私が元の世界へ帰した所だよ」
「ああ、そうなんだ。………ってええ!?」
あまりにサラリと言われたので聞き流してしまうそうだったが、燈は思わず目をひん剥いた。
「帰っちゃったの…!? 質問するなら今しておけって言ったのに……!?」
「? うん」
何故燈が驚いているか分からないウィルは、首を傾げながらも頷いた。燈は思い切り嘆息して力無くソファに身を預けた。
さすが築野専務。傍若無人専務とあだ名をつけられるだけある。けれど、築野がいなくなったので、張っていた気が一気に緩んだ。
「……良かった」
「? 今度は良かったの? 変な燈」
表情をころころと変える燈を見、ウィルはニコリと笑った。
「…もう、ウィル。専務が来るなら事前に教えてよ…。こっちも心の準備が必要なんだから…!」
ラビィから専務がここへ来た事があるのは聞いていたが、自分がいる時にやって来るとは思っていなかった。
「ツクノに会うのに準備が必要なの? 分かった、今度はそうするよ」
ウィルはすんなりと承諾してくれたが、多分何故心の準備が必要かは理解していないと思う。異常に鈍感な仮上司を見上げながら、鈍感なんだからと心の中で文句を言う。
正直、ミレジカの空気に馴染んでしまい、気が抜けていた所があったと思う。築野は、それを見越してやって来たのだろうか。ありそうで怖い。燈はこれ以上考えるのを止めた。
「はあ。今から行ってもパレードは終わっちゃっているよね?」
ファイルとパタリと閉じながら、燈はリュラのパレードの事を考えていた。とても楽しみにしていたのに、築野のせいで行けなくなってしまった。
「リュラさんのドレス姿見たかったなぁ。…あとヒュウさんも見たかった」
「……パレードに行きたいの?」
いつの間にか灰色の手帳の中身を凝視していたウィルが、そんな事を尋ねてきた。
「そりゃあ、行きたいよ。…でも、パレードはレイアスでやるんでしょ? ここ…トナマリからじゃ馬車で数十分かかるし、今から行っても間に合わないでしょ?」
「それなら、馬車を使わなければいい」
「え? でもミレジカで一番早い乗り物は、馬車なんでしょ?」
怪訝な表情でウィルを見上げると、彼はいつものように優しく微笑んだ。
「忘れたのかい? 私は魔法使い。レイアスなんて、一瞬で行けるんだよ」
*****
ミレジカの首都であるレイアスは多くの人々で賑わっていた。白を基調とした家の間にはカラフルな旗が飾られ、青空にはパレードを知らせる空砲がパンパンと音を立てている。道の端にはパレードの馬車を見る為、様々な種族の人々が場所取りをしていた。
「いやー絶景だね!」
すし詰め状態になっている道を見下ろして、ラビィが楽しそうに言う。
「リュラジョーがこんないい場所を用意してくれたから、ゆっくりと見えそうだね!」
柵にしがみつきながら、リックが年相応の笑みを見せた。子供のようにはしゃぐ二人の背中を見、ライジルは嘆息した。
「まだパレードが始まってないっていうのに…お前らはしゃぎすぎだろ…」
四人がいるのは三階建ての建物のバルコニー。パレードの馬車が通る道がしっかりと見える場所だ。
元々使われていなかった場所なのだが、女王のリュラが仕事を手伝ってくれた礼だと言って準備してくれたのだ。
まだパレードは始まっていないのだが、ラビィとリックは柵にしがみついたままはしゃいでいる。ライジルは用意されたリクライニングチェアでくつろいでおり、彼の太股の上ではオロロンが気持ちよさそうに昼寝をしていた。
「あー、本当に燈来れなくて残念だよねー…。あんなにパレードを楽しみにしていたっていうのに…。専務の奴…」
「仕方がないよ。燈も遊びに来ているわけじゃないからさ」
不貞腐れて口を膨らますラビィをリックが宥めた。
「それにしたって専務はいつも急すぎるんだよ! 前だって何も言わずに来たのよ! 私が一人でだらけている時に! 説教されて最悪だったし! タイミングが悪いのよあの専務は!!」
「それはだらけてサボっているお前が悪いだろう」
興奮して築野への不満を言うラビィに、ライジルが冷静に突っ込みを入れた。
「何よう、ライジル! あんただってあの専務嫌いでしょー? あの傲慢で人の事を考えなくて、格好良くて、頭が良くてスーツの似合う男が!」
「…後半、褒め言葉になっているぞ」
「だから余計むかつくのよ! 貶す所がないのも!」
一人で怒っているラビィが理解出来ず、ライジルは首を傾けた。
「僕は別に築野専務嫌いじゃないよー? たまにお菓子くれるし!」
先程まで景色を見下ろしていたリックも無邪気に会話に参加する。今日は帽子を被っていないので、動くたびに垂れ耳が揺れた。
「それはリックが優秀だからよ! あいつ、優秀な子にはすっごく優しいんだから! ひいきよ、ひいき!」
いつも厳しい表情の築野だが、リックに対する時だけは心なしか優しい。好奇心旺盛なリックの質問には面倒くさがらずに教えているし、笑顔だって見せるのだ。悔しそうに歯を噛み締めるラビィに、ライジルは呆れた表情で言う。
「築野に優しくされたいならお前も優秀になれるように努力しろよ…」
「あんな奴に優しくされたくないし!」
ブスッとした表情で、ライジルの隣の背もたれの無い丸い椅子に座る。
「色白で冷たい男は嫌いなの! それだったら、色黒で筋肉が程良くついていて、不器用でも優しい男が………」
「? 何だ?」
不自然に言葉を切ったラビィを不思議に思い、怪訝な表情で彼女の顔を覗こうとする。するとラビィは勢いよく顔を背けた。
「こ、こっち見ないでよ! 変態!」
「はぁ!? 何で見ただけで変態呼ばわれしなくちゃいけないんだよ!?」
突然変態と言われ、ライジルは憤慨する。ラビィは「変態は変態なの!」と言ってしばらくライジルの方に顔を向けなかった。その様子を真正面から見ていた少年リックは苦笑する。
あそこまで言われて、自分がラビィの好みの男だと気付かないなんて。ウィルを含め、あの屋敷の男達は鈍感過ぎる。ウィルは仕方がないとして、ライジルは気付いてもいいと思う。
リックからだと、ラビィの顔は横からだがよく見えた。林檎のように真っ赤で、恥じらう姿は恋する少女だ。この事を知っているのは、恐らくリックだけ。
「はあ。僕より年上なんだから、そういう事に疎くっちゃ駄目じゃん」
「リック、何か言ったか?」
「ううん、何もー!」
子供らしからぬ発言をぼそりと呟いたリックだったが、すぐに無邪気な笑顔を浮かべてリックもラビィの隣に座った。
「あーあ。でも、本当に燈来られないのかなぁ? まだ始まっていないから今から来れば間に合うのに」
気を取り直して、ラビィがそんな事を言う。
「はぁ? バカか、お前。トナマリからここへ来るのに馬車で何十分かかると思っているんだよ」
バカにされカチンと来るが、言い負かす自信のあるラビィはフン、と鼻を鳴らした。
「はー? あんたこそバカ? ライジル。燈にはウィルがついているでしょーが!」
「ああ? ウィル?」
未だにピンと来ていないライジルの代わりにリックが閃いた。
「ああ! そうだね、ウィルなら魔法を使えば……!」
「一瞬でこちらへ来れるんだよ」
リックが言う前に、穏やかな男の声が答えた。
三人が振り返ると、そこには見慣れた灰色のローブを纏った男と、ようやく見慣れたおどおどと周りを見回す女が。ついさっき話題に上がっていたウィルと燈である。燈の姿を確認するや否や、ラビィは物凄い勢いで燈に飛びついた。
「あっかりー!! 来れたんだね、よかったー!!」
「わ。ラビィ…!」
不意打ちだったが何とか受け止めた燈は見知った白髪の少女の顔を見、笑顔を見せた。
「ウィル、何で…」
こんなに早く来るはずがないのに、と驚きを隠せないライジル。そんな彼にクスリと微笑みかけるウィル。
「忘れたのかい? 屋敷の奥の部屋は私が魔法をかければ何処にでも繋がる事が出来る。あそこのドアとこのバルコニーへのドアの道を繋いだのさ」
「ああ…」
そういえば燈が初めて来た日、一緒にそこへ入った事を思い出す。その時は資料室のドアと繋がり、あの埃臭さがかなり嫌だった。
ウィルが開けたままの状態のドアの向こう側は、リュラが用意した空家の殺風景な部屋では無く、見慣れた屋敷の廊下が見えた。一度閉まり、リックが好奇心旺盛にもう一度扉を開けると、そこは元の殺風景な部屋に戻っていた。
「やっぱりすごいなー魔法!」
「そう? そんな大したものじゃないさ」
興奮気味のリックに、笑顔だが冷静に返すウィル。
「…大したものだろ。俺は一瞬で何処かへ行けないぞ」
ウィルがどうやってここへ来たのか理解するのに一番時間のかかってしまったライジルは、やや拗ねた様子でそう言い捨てた。そして女子二人。このような催し物が大好きな燈とラビィは目を輝かせてバルコニーの下を見つめていた。
「すごい人だね! まだ始まっていなくて良かった…!」
感動を隠せない燈。来られないと諦めていたから、興奮も倍増だ。
「ここ、リュラジョーが用意してくれたんだよ! この前手伝ってくれたお礼にって!」
「そうなんだ! リュラさんに今度お礼を言わなくちゃ!」
リュラのドレス姿を思い浮かべる燈。一体どのドレスでパレードに現れるのだろうか、そう考えるだけで気持ちが踊る。そしてまだ見ぬ彼女の夫であり王のヒュウ。あんなに素敵な女性を射止めた男の姿もとても気になっていた。
ほう、とうっとりとした表情で見下ろしていると、
「ねえ、燈見て! あの橋を通ってリュラジョーとヒューオが通るんだよ!」
ラビィが嬉々とした様子で柵から身を乗り出し、遠くに見える橋を指差した。燈は慌てて「危ないよ、ラビィ…!」と止めさせたが、ラビィが指差していた方向を見る。
川の上に架かる大きな橋だ。レイアスの建物と同じように白塗りにされている。遠くて確信は出来ないが、数十メートルの長さはありそうだ。
「あ。あの橋ってもしかしてライジルが手伝ったやつ?」
「ああ。よく覚えていたな、燈」
拗ねていたライジルだったが、覚えられていた事が嬉しかったのか、少々照れた様子で会話に入って来た。
「あれが無かったらパレードが今日出来なかったからな」
「ふふ…そうだね」
自慢げなライジルに、燈はクスリと笑ってしまう。
ライジルは年下の割には大人びている所があったので、こういった幼い面を見ると安心する。
「まあ、そこは褒めてあげるわライジル!」
「お前は何で上からなんだよ…」
フフン、と高圧的に言うラビィにライジルが呆れ顔で返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます