築野専務

第47話

そしてパレード当日。ミレジカの街はパレードで大盛り上がりだ。住人達は王とリュラを間近で見ようと一生懸命場所取りをしている。鉄也した者もいるらしい。ラビィ、ライジル、リック、オロロンも朝早く出掛けていった。私も行きたい!と思っていた燈だったのだが……


「パレードを楽しみたいところ、悪いな。柊」

「……いえ、大丈夫です…」


燈は酷く落ち込んだ表情で黒いソファに小さく座っていた。その向いにいるのは、奏も数度しか会った事の無い人物。

ダークグレーのスーツをピシリと着こなした三十代半ばくらいのオールバックの男。男は眉間に皺を寄せてコーヒーを飲みながら睨むように目の前の燈を見つめている。


「ここは大分慣れたか」

「…はい、大分慣れました……。築野専務」


築野専務と呼ばれた男はハ、と高圧的に鼻を鳴らした。


「まあ、慣れていない方がおかしいがな」


築野雄也は燈の勤める会社DREAM MAKERの専務取締役だ。三十代半ばで専務にまで上り詰めたやり手の男だが、高圧的な態度が原因で内部に敵が多い。…だが、顔は整っており女性社員から人気があり、それが更に男達の勘に触っているようだ。

ちなみに燈はこの男が苦手だ。鋭い視線は全てを見透かしているような気がして、真っ直ぐに彼の顔が見れない。


「突然こちらに来て悪かったな。…だが、伝え忘れた事があったからこうして来たわけだ」

「…はい」


この応接間は燈の世界のものではなく、屋敷の中のものだ。紙に埋もれた仕事部屋の奥に扉があるなんて知らなかった…というか、見えなかった。燈もパレードに行こうと、皆についていくつもりだったのだが、何時の間にかいなくなっていたウィルが築野を連れて来たのだ。

ミレジカで和やかに過ごしていた燈だったが、築野の顔を見た瞬間一気に現実に引きもどされた。そして燈はパレードに行けなくなり、築野とこうして向かい合っているわけだ。

今頃、パレードが盛大に行われているのだろうか…。


(リュラさんから絶対に来てくれって言われていたのに…)


昨日取り乱したところを見てしまっているので、何だか心配だ。悩み事があるのかと思って聞こうとしたらウィルが帰って来て、すぐに帰ろうと言って何も聞けなかった。


「ウィル、砂糖」

「分かった」


専務に投げやりに命令されたが、ぼうっと突っ立っていたウィルは気にせずににこにことドアの向こうへと消えた。

昨日のウィルは様子がおかしかった。魔女の元から帰って来ても、クスリとも笑わず黙っていた。ラビィ達は気を使っているのか、それともいつもの事だと気にしていなかったのかは定かではないが、ウィルには何も言及しなかった。

屋敷に着いたらさっさと自分の部屋へ行って籠ってしまった。一体、何が彼の笑顔を奪ってしまったのだろうか。それを聞いても、ラビィは気まずそうに笑って誤魔化すだけ。

気になって気になって、昨夜はほとんど眠れなかったのだが、朝、ウィルに会うと、彼は何事も無かったように「おはよう」といつもの笑顔で挨拶してきたのだ。あまりに眩しい笑顔で、燈は拍子抜けしたが、その笑顔に安心した。

ああ、良かった。今日も変わらない平和な日になるんだ…。そう思っていた矢先に現れたのが、我が会社の専務、築野雄也だ。平和な草原に猛獣を放たれた気分だ。


「…あの、専務が直々に私の元へいらっしゃったのは何故ですか…? 専務はここへよくいらっしゃるのですか…?」


築野は戻って来たウィルから砂糖を受け取りながら顔をしかめる。


「質問が多い」

「す、すみません…」


相変わらず人を威圧してくる。燈は反射的に謝ってしまう。


「燈は砂糖いる?」


ウィルの方は相変わらず空気を読まない。


「……一つだけ」


燈がそう言うと、角砂糖が勝手にコーヒーに入り、ご丁寧にティースプーンがかき混ぜてくれた。


「お前が言いたい事は分かる。…何故橘ではないのか、だろう。簡単だ。このミレジカへは取締役しか来る事が出来ない。部長の橘は存在のみしか知らない」

「そ、そうなんですか…」


そういえば、行った事が無いって言っていた。こちらの世界に随分興味を持っていたようだが。


「柊、お前はここへ来て何日になる?」

「えーと…十日になります」


濃い毎日を送っているから、まだ十日しか経っていないなんて、と信じられない感じだ。


「そう、十日だ」


築野は燈にA4サイズのファイルを手渡す。背表紙には『ミレジカについての報告書』と書かれており、中を開くと細かい目次が連なっていた。


「え…と、これは」

「お前の馬鹿な上司が渡し忘れたものだ。ここでの出来事を報告書に書いとけ。…勿論、十日分も含めて…な」

「ええ!?」


レポートなど全く書いていない燈が素っ頓狂な声を上げると、甘めのコーヒーに口を付ける築野が鋭く睨んでくる。


「…出張に報告書は付き物だ。こんな非現実な世界だからといって、出張に変わりないんだ。……雛型を渡さなかったとはいえ…まさか、書いてないわけないよな?」

「め…滅相もありません!!」


今書いていないなどと言ったら間違いなく怒鳴られる。危機を察知した燈は勢いよく首を振った。


「…まあ、いいがな」


角砂糖を追加しながら、築野はフッと鼻を鳴らした。


「その資料に質問があるなら、今のうちに言っておけ。…俺は忙しいから、電話に出ないかもしれないからな」

「は、はい…!」


燈はピシッと背筋を伸ばすと、パラパラとファイルを捲る。数ページ捲って、燈は疑問を思った。


「あ、あれ……?」

「どうした?」

「何だかこれ……質問事項があるんですけど?」


最初のページから質問事項が何問もあり、書きこむ為の空欄が設けられている。それも……ほとんどのページに。レポートを書く所なんて、最後のほんの数ページだけだ。

報告書と書いてあるのに……このファイルはアンケートのように見える。

例えば、「ミレジカはどんな所ですか?」や「ミレジカの人々はどんな感じですか?」など他愛の無いものだったり、「ウィルの就業態度は如何ですか?」という個人のものだったり。……心なしかウィルに対しての質問が多い気がする。


「ああ、ついでに答えておけばいいから」

「…ついでの量では無いような気が……」

「何か文句でも?」

「と、とんでもありません!!」


燈はあわあわと両手を振った。築野はジトリと燈を見つめていたが、突然思いついたように口元を歪めて悪どい笑みを浮かべた。


「…丁度いい。今すぐこの質問事項に答えろ。俺が見てやる」

「え、ええ!?」


今すぐと言われるには質問事項が多すぎる。少なくとも百問はありそうだ。


「…何か文句でも?」

「……イエ、アリマセン…」


築野専務には逆らえない。燈は身を小さくさせて、黙々と質問事項に答えを書き始めた。



✱✱✱✱✱



燈が資料に目を通して数分が経った頃……


「……なあ、ウィル」

「何だい?」


必死の形相で資料を見つめる燈に視線を送りながら、築野はウィルに話しかけた。


「…ちょっといいか?」

「いいよ」


集中しているのか、燈は築野とウィルが部屋を出て行ったのに全く気付いていなかった。応接間を出て紙で埋もれた仕事部屋に入り、築野は顔をしかめた。


「…この紙の山、何とかならないのか?」

「何で?」

「効率が悪い。…整理しないと、大切な願いとやらも埋もれているんじゃないか?」

「そうかな?」


少しも考える素振りを見せないウィルに、築野は嘆息する。


「……その様子だと、お前の目的は果たせていないようだな」

「うん?」

「お前の無くした物は取り戻せたのか?」

「……」


そう言った瞬間、ウィルから笑顔が消え、蒼色の瞳に殺気が宿り、築野を睨む。


「…まだのようだな」


燈だったら竦み上がってしまう視線に晒されながら、築野は怯みもせずにニヤリと挑戦的に笑った。


「……君には関係ないだろう、ツクノ……」

「関係あるに決まっている。お前はうちの会社の大切なパートナー。…いつまでも心を失ったままじゃ困るんだよ」


そう、魔女に奪われた“人を想う心”が無いままでは。


「そんなもの無くても、こうしてやっている。…私にはこれがある。人の心が分かる手帳が……」


そう言って取りだしたのは灰色の手帳。築野はそれを取り上げて中を見るが、呆れたように溜め息を吐いた。


「こんな“手作り”の手帳じゃあ、限界があるんだよ。こんなものより、心を取り戻した方が早い」

「……」


ポイッと投げ返された手帳を掴み、ウィルは下唇を噛んだ。何で心が必要なのか、ウィルには分からない。

心なんて無くても何の支障もない。ただ……燈が時々見せる、自分を恐れるような視線がどうして注がれるのか、分からない。

自分はちゃんと、笑えていないのだろうか。口角を上げ、目を細める。他の人と何の変わりも無いはずだが。心があれば、彼女の考えている事が理解出来るのだろうか。

分からない。理解して、何になるというのだろう。心を失ったウィルの思考では、堂々巡り。結局答えは見つからないのだ。

ウィルから望ましい答えが返って来ない事を悟った築野は、深く息を吐いてから「そういえば」と話を切り出した。


「柊燈はどうだ?」

「どうって?」

「……何か思い出したのか?」

「……何も」


ウィルは静かに首を振った。


「私の顔を見ても、何も言わない。私と初めて会ったと信じて疑わないようだ」

「……そうか」


築野は眉間に皺を寄せて渋い表情になる。


「あっちからやって来たから探す手間が省けたが……。"あの事件”を忘れているんじゃ、どうにもならないな。……柊が、心を取り戻す……お前を救う最後の手段だっていうのにな」


「……救う?」


本人は理解していないような表情だった。自分では、救われる意味が分からないのだ。

築野はチラリと応接室のドアを見る。ドアの向こう側では、柊燈が無意味なアンケートを必死に埋めているのだろう。


「あの小娘が、本当にお前の心を取り戻す鍵になるのか? …親父……現社長の言う事は、俺には全く分からん」


DREAM MAKER社長、築野忠志。築野雄也の、実の父親だ。初代である前社長とは友人であり、彼が退任するまで、補佐として隣で支えていた男。柊燈に固執し、彼女が面接に現れなければ探偵を雇って捜索しようとしていたらしい。


「私も分からないよ。……ただ」

「…?」

「燈はきっと私を思い出すさ。…あのネックレスを持っているからね」


ウィルはにこりと笑う。その笑顔はいつもの張りついたような笑みでは無く、ごく自然に見えた。


「……ネックレス、ね」


ウィルの瞳と同じ色をした石が埋め込まれているネックレス。今日の燈は水色のYシャツに濃紺のフレアスカートという格好。Yシャツは第一ボタンまでしっかり止めていたので、ネックレスを付けていたかは判断出来なかった。


「……ったく、本当に親父の考えている事が分からん」

「私も分からないよ」


ウィルも続けて言う。彼と話をしていても、何も得られない。無駄な時間は極力少なくしたい築野は、腕時計を見る。ミレジカの時間はあべこべだが、腕時計はきちんと自分の世界の時刻を指していた。


「俺は帰る。…これから本社で大切な会議があるからな。…柊に、アンケートは翌日迄にやっておくよう伝えておけ」

「うん、分かったよ。ツクノ」


そう言うとウィルは扉に魔法をかけ、DREAM MAKERへと繋いだのだった。

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