第45話
ウィルがいなくなっても、部屋の重苦しさは無くならなかった。皆、顔を俯かせて……口を開こうとしない。オロロンも、壁際に立つシェルバーも。
先程まであんなに楽しい雰囲気だったというこに、それほど魔女という存在は脅威なのだろうか。
この空気を作ってしまったのは間違いなく燈。空気を変えないと思い、話題を考えるが、そんな時に限って、話題が全く思い浮かばない。ああ、どうしよう……と一人で焦っている中ーー
「待たせたな」
タイミングよく、リュラが部屋に入ってきた。赤い髪を一つに纏め、ライダースーツを着た姿は、いつもの見慣れたものだ。リュラが来た瞬間、燈は酷く安堵した。
「ん……何だか空気が重いな。ウィルとすれ違ったが、あいつも険しい顔をしていたし……。何かあったか?」
周りを見渡し、不思議そうな顔をするリュラにシェルバーが近寄り、耳打ちをする。その瞬間、リュラの片眉がピクリと跳ね上がった。
「……何、魔女が?」
そう呟くと、リュラの赤と紫の瞳が燈に向けられる。
「…ふむ。それほどまでに封印が弱まっていたか。燈に話しかけられるほど……」
リュラは額に手を当てて何かを考えていたが、突然「燈」と名前を呼んだ。
「は、はい…!」
「ちょっと話がある。ついてきてくれ」
そう言うと、リュラは入ってきばかりだというのに、部屋を出ていく。燈は慌てて後を追った。
燈が通されたのは、隣の部屋だった。客間と違い、やや狭く、本棚が立ち並んでいる。何かの資料室だろうか。部屋の真ん中には、木製の机と椅子がポツリと置かれていた。
ライダースーツに身を包んだ女王は、腕を組みながら難しい顔をしていたが、思い出したように一冊の本を手に取り、ポツリと言う。
「……すまなかったな」
「……え?」
何故謝られるか分からず、面食らった顔をすると、リュラは表情崩さずに、「怖い思いをさせてしまった」と言った。
「そ、そんな! リュラさん謝らないでくださいっ」
リュラは悪い事なんて何もしていない。燈はあわあわと胸の前で両手を振る。女王は僅かに口元を緩め、燈に「ここに座ってくれ」と一脚しかない椅子へ促した。「え、でも」と戸惑う燈の肩を押し、無理矢理座らせる。リュラは燈の向かい側に立ち、持っていた本を机上に置いた。
「…そろそろ話さないといけないと思っていたんだ。魔女の事は燈も知らなくてはいけない事だから」
「……私が?」
リュラは大きく頷いた。
「ああ。…心して聞いてくれ」
燈は戸惑いを隠しきれなかった。自分はただの会社員。異世界の魔女の事を知っても何も出来ないというのに。そう思うが……
“待っていたわ……あなたを、ずっと”
その魔女は、燈を待ち望んでいた。自分は知らないのに、自分を知っている魔女。リュラの話を聞いたら、もしかしたら何かが分かるかもしれない。燈は、ゆっくりと頷いた。頷くのを確認して、リュラは赤い唇を開いた。
「城の地下には牢があってな。そこに、一人の魔女を捕らえている。強大な魔力を持つ女だ」
「……魔女」
「昔は優しく気高い女性だったようだ。…だが、十年くらい前に、とある理由で彼女は気が狂ってしまった。その時彼女の魔力が暴走し、レイアスは炎に包まれた」
リュラは本のページを捲りながら話す。
「私は数年前にここへ来たから……当時の惨状を知らない。…だが、これを見ると……相当の被害だったのが分かる」
リュラが手を止めたページ。そこには、街が炎で覆い尽くされた、悲惨な状況が描かれた挿し絵があった。
黒焦げになっている家々、逃げ惑うミレジカの人達。それらはモノクロで描かれているのだが、猛々しい炎は、真っ赤な色彩で鮮明に描かれていた。
「ヒュウ……私の夫は、他の魔法使い達の力を借り、何とか魔女を捕まえる事に成功した」
「……ウィルも、ですか?」
「ああ。彼はまだ十代半ばだったようだが、魔女を直接捕らえたのはウィルらしい」
「え……」
十代半ばなら、まだ幼さが残っているはず。その少年ウィルが、強大な魔力を持つ魔女と対峙し、捕まえたというのか。
「……まぁ、彼もなかなかの魔力の持ち主。それに、彼女は彼の……」
「?」
言いかけて、リュラは不自然に言葉を切った。燈は不思議に思い、女王を見上げた。
「……あ。いや、すまない。ええと……そう。ウィルは、その魔女の動きを封印する魔法をかけられるほど、魔力が大きいんだ」
「そうなんですか…」
燈は少しだけ違和感を覚えた。リュラは、他の事を言おうとしていたのではないか。けれど問い質す事が出来ず、燈は頷く事しかしなかった。
「だが、彼女の魔力は桁違いに強くてな。ウィルの捕縛の魔法もだんだんと弱まってしまう。…だから、ウィルに定期的に魔法をかけ直してもらっているんだ」
今も、魔女の元へ行っている所だろう。と言ってリュラは本をパタリと閉じた。
「……とまあ、私が話せるのはこれくらいなんだが」
あまり為にならなくてすまんな、と苦笑しながらリュラは本を元にあった場所へ戻した。燈は「いえ、そんな…」と頭を振った。
「魔女に変な事を言われなかったか?」
「えっと…。あの人に会わせてって言われました。でも、私魔女が言う“あの人”に心当たりが無くて…。でも、お化けの人に言われたんです。その人は私の知る人だって」
「……お化け?」
訝しげに言うリュラに、燈は彼女に優男風の幽霊について言っていない事に気付いた。
「あ、そうなんです! その人は魔女から助けてくれたんですけど、優しい雰囲気だったから透けてる事に全く気付かなくて! その人、突然消えちゃったんです!!」
「ふむ。城内でそのようなものが出るとは初耳だな」
慌てふためく燈とは対象的に、冷静に呟くリュラ。
「見つけたら燈を驚かせた罪でいたぶってやろう。その霊の特徴を教えてくれないか」
幽霊には物理的攻撃が効かないと思うが、リュラが言うと本気でいたぶりそうで怖い。そんな思考が顔に出ていたのだろうか。リュラはフッと微笑んだ。
「何。燈が思っている事はやらないさ。霊には肉体的ダメージを与えられないだろうから、精神的ダメージを与えるだけさ」
それはそれで怖いと思ってしまう。驚かされたものの、魔女から救ってくれるのは変わりないし、そんな優しい人をリュラに差し出してしまっていいものか…と悩んだが、女王に優しく促されてしまい、燈は話してしまう。
ウェーブのかかった茶髪に、優しい笑顔が印象的の寝間着姿の男だと。話していく内に、リュラの美しい顔が驚愕の色に染まっていき……話終わった時には、思い切り肩を掴まれていた。
「本当か!?」
「え……?」
リュラのあまりの変貌ぶりに燈はビクリと肩を揺らす。
「本当にその男は、そのような姿だったのか!?」
鬼気迫る女王に何も言えるはずもなく、燈はただ首を縦に振るだけだった。
「その男は何か言っていなかったか!?」
「え…と…。地下室は行ってはいけないとか…。お城へ来る時はウィルと行動を共にした方がいいとか…」
「他は!? 他に何か……!!」
興奮したリュラの尖った爪が肩に食い込み、燈は苦痛の色を滲ませた。
「い…痛いです……リュラさん……!」
「……!!」
目の前の燈の表情が痛みで歪んでいる事にようやく気付き、リュラは肩から手を離した。
「す、すまない……。取り乱してしまった」
そう言って顔を覆う女王。燈にとって、彼女は強い女性だと思っていた。気高く、妖艶で大人びた落ち着きを持つ女性。だから、リュラが感情を高ぶらせて取り乱す姿なんて想像出来なかったのだ。
「私は大丈夫です…。リュラさんの方が大丈夫ですか…?」
「……フフ。年下の燈に心配されるとは、私もまだまだだな」
顔から手を離したリュラは、いつもの大人びた表情だったが、少しだけ無理をしているように見えた。
「…すみません。私…気に障るような事を言いましたか?」
「いや、燈に否は全く無い。私の未熟さ故、こんな醜態を晒した。…本当にすまなかった」
頭を垂れる女王に、燈は慌てて「頭を上げてください!」と言う。しかし、リュラは頭を上げる気配は無い。その代わり、彼女の聞きとれないくらい小さな呟きが、燈の耳に届いた。
「……こんな私だから、私の前には姿を現してくれないのか……?」
「……!」
いつもとは違う、彼女の弱々しくて切ない声。言葉の意味は分からない。…だが、女王では無く、一人の女性としての姿を見た気がした。
「……リュラさん」
燈はそっと彼女の肩に手を置いた。多分、彼女が大きく反応した原因は、優しい幽霊の容姿を聞いたから。あの人は、リュラに大きく関係しているという事は分かった。
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