第44話

リュラのドレスも決まり、男達も仕事を終えたようでゾロゾロと戻ってきた。

力仕事だったようで、いつもローブ姿のウィルが青いタートルネックに膝下あたりから広がっている灰色のズボン、その上に紺色の腰布を巻いた格好。腕捲りをしているなんて、何か新鮮だ。力仕事は魔法に頼るかと思ったのだが、そうでもないみたいだ。


「礼としては何だがお茶でも飲んでいってくれ」


というリュラの言葉で、燈達はお茶をいただく事になった。通された客間は屋敷の食堂より少し大きい。真ん中のテーブルは燈達が座るには随分大きく、椅子が何脚も余ってしまった。一脚ずつ開けて座ればいいのに、皆で隅に集中してしまうのは、仲がいい証拠なのだろうか。


「シェルバーさんは座らないんですか?」


案内で一緒に入ってきたシェルバーは椅子に座る事なく壁際で突っ立っていた。


「そこはお客が座るところだから、俺は座らないよ」


シェルバーはニカリと爽やかに笑う。きっと力仕事をして疲れているはずなのに、彼は全くそんな素振りも見せない。


「ふああーっ僕疲れちゃったよー」


リックはぐてんとテーブルに突っ伏した。いつもは野球帽を被っているのだが、客間に通された為か、テーブルの上に置いている。野球帽を外した姿は意外にも初めて見る。ふわふわの栗色の髪。そこにはビーグルのような焦げ茶色の耳が。


「…それで? 燈はお化け見たのー?」


右隣のラビィに言われ、燈は慌ててリックから目を離した。


「そ、そうなの! お化け見ちゃって!」


お化けである男が目の前にいなくなってから大変だった。燈は動揺してしまい、平静を取り戻せなかったのだが、異変を知り駆け付けたラビィに宥められ、燈はやっと落ち着いたのだ。


「こんな真っ昼間に幽霊なんて出るかよ」


コーヒーのような黒い液体を飲みながら、ライジルが苦々しげに言った。


「ほ、本当に出たんだよ!」

「一体どんなお化けが出たんだい?」


興味があるんだか無いんだか、紅茶を飲みながら、ウィルは落ち着いた声色で尋ねてきた。


「えっと……! ふわふわの頭でっ茶色くてっ寝間着が白くてっ!」


興奮した燈の説明は全く要領を得ない。髪の毛のふわふわ加減を表したいらしく、燈の両手が半円を描くように動く。


「ちょっ……燈落ち着きなよ」


燈の大袈裟な動きに若干引きながら、ラビィが彼女の腕を軽く引っ張った。


「とにかく……とにかく透けていたんだよっ!」


全く頭に入らない説明を熱弁している燈。周りが呆れた表情をしている事に気が付かない。


「おろろーん。お化けなんて怖いろーん!」


理解出来たのか、ただ漠然とお化けが出たという事に恐怖したのか、オロロンだけはポロポロと涙を流した。


「雰囲気に呑まれて、普通に話しちゃったよーっ」

「怖かった?」


うわああっとテーブルに額をぶつけていると、いつの間にか愛用している手帳を取り出して凝視していたウィルが尋ねる。


「怖かったよっ」

「うんうん。怖い思いをしたんだね、燈」


手帳をパタリと閉じて、柔らかく微笑むと、ウィルは燈の頭をぽんぽんと叩いた。

一見子供扱いされているように見えるが、ウィルの手のひらがあまりにも優しくて、燈の気持ちが徐々に落ち着いていく。気持ちがよくなって思わず目を瞑ると、ラビィがクスリと笑った。


「燈可愛いー! 子供みたい」


そう言われて、燈は思わずバッと頭を上げた。


「わ、私はラビィより年上だよっ」

「分かっているよ! ムキになっちゃって、可愛いー」


ラビィにまで頭を撫でられてしまった。年下のラビィにも気を使わせてしまった。童顔なので年齢より下に思われてしまう燈は、子供扱いされる事を少しだけコンプレックスに思っていた。だけど、今はそんなに嫌だとは思わなかった。


「幽霊なんて不確かなもの、僕は信じない! ……って思ってるけど、燈が嘘つくわけないしなぁ…」


突っ伏したままだったリックがムクリと頭を上げ、焦げ茶色の耳の後ろをコリコリと掻いて難しい顔で言う。


「ねぇ、幽霊と何を話したの?」

「何を話したって………」


ーようこそ、ミレジカへ。

魔女の透き通った声を思い出し、燈はハッとした。

また幽霊に気をとられ、魔女の存在を忘れていた。ふと、ウィルに視線がいく。彼は不思議そうに笑って、首を傾げた。


「魔女…!」


燈の言葉にウィルの笑顔が強張った。


「……え、魔女?」


突然の言葉に、ラビィは怪訝そうに燈を見つめる。


「魔女に呼ばれたの…! こっちへおいでって…!」

「魔女って……あの魔女か? だけどあいつは地下牢にいるんだろ。お前を呼べるわけねぇじゃねぇか」


今まで黙っていたライジルが、鋭い瞳をやや丸くさせた。ミレジカを混乱に導いた魔女は、やはり有名なようで、ライジルですら周知していた。


「……そうなんだけど!」


頭へ直接声が届いたの!そう言おうとした時……


「思念を飛ばしたんだろうね」


隣から、抑揚のない声が聞こえた。声のした隣を見ると、ウィルが無表情で紅茶を啜っていた。


「……っ」


燈はたじろいでしまう。蒼い瞳に輝きは無く、真一文字に結ばれた唇。この表情は、牛のモウを見下ろしていた時と同じ。


「遠くの人に自分の言葉を伝達出来る。…テレパシーって言った方が分かりやすい? 高度な魔法だけど、牢の魔女には容易いだろうね。あの女は最低最悪だけど、魔力だけは群を抜いていたから」

「……っ、そうなんだ…」


つらつらと無表情で述べるウィルが、恐ろしいと思った。あの穏やかな笑顔が嘘なのかと思うほど、彼の顔に表情が存在しない。そして、悪口をあっさり言う彼の姿は酷く違和感があった。

穏やかで、いつも微笑んでいる。惚けた所はあるけど、人を蔑む事は決してない。そう、思っていたのに……

ウィルの雰囲気にやられてか、先程まで和やかだった空気が氷のように固まっている。

魔女が具体的に何をしたのか分からない。ウィルにここまで言わせる程の事って何なのだろうか。


「……その魔女は、何をしたの?」


自分の発した声は無意識に震えていた。怖い。これ以上ウィルの顔を見ているのは。もしかしたらウィルに突き放されてしまうかもしれない。けれど、燈は知りたかった。数週間しか過ごしていないけど、愛着がわきはじめたこのミレジカの事を………

ウィルは黙って紅茶を啜る。なかなか口を開こうとしない。燈が不安で押し潰されそうになった時………ウィルはようやく言葉を紡いだ。


「このミレジカを消そうとした」

「え………」


燈は驚愕のあまり、声が出せなかった。文字を消しゴムで消す、くらい軽く言われたその言葉は、酷く重たかった。


「12年前、この辺りは火の海だった。魔女の魔法の大火は、ミレジカを覆いつくしたんだよ」


ウィルが淡々と述べる。前髪で目が隠れてしまっているので、表情は窺えなかった。ミレジカがどれくらいの大きさなのかは知らない。けれど、一国が消えるなんて、とても簡単な事ではない。

しかも、一人の魔女の手によって。平穏な国に生きている燈には、到底想像出来ない話だ。

そんな非現実な話は、ゲームの中の話だと思っていた。けれど、ミレジカには、その非現実が現実なのだ。燈が見たミレジカの平穏の裏には、暗い過去があった。

現に、ラビィ達は過去を思い出してか辛そうに唇を噛み締めている。まだ産まれていないリックも、話を聞いた事があるのだろう。大きな瞳を潤ませていた。その唇から、震えた声が零れた。


「で、でもウィル。あれは魔女が精神を保てなかったから魔力が暴走しただけで……」

「違う。あいつは……ミレジカを、私を、消そうとしたんだ……」


リックの言葉をバッサリ切り捨てると、ウィルは席を立った。


「何処に行くんだ、ウィル」


今まで黙っていたライジルが、低い声でウィルの背中に声を掛ける。ウィルは振り返らずに冷たく言い放つ。


「魔女の元へ」

「お前、まさか……」


何かを予感したライジルが、思わず腰を上げると、ウィルがやっとこちらを振り返った。ウィルの顔は、やはり表情が抜け落ちていて……この場にいた全員が息を飲んだ。


「封印が緩まっているから、それを強めに行くだけだよ。……殺しはしないさ。あいつは私が手を出さなくても、消える運命なのだから」


それだけ言うと、ウィルは扉の外へと姿を消してしまった。

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