第43話

その時だった。


「何をしているの?」


男にしてはやけに高い、穏やかな声が背後から聞こえた。燈の動きがピタリと止まる。


「そこへ行ってはいけないよ。魔女に取り込まれてしまう」


歌うように話す背後の男の声は、やけに頭に響き、ぼんやりとしていた思考がだんだんとクリアになってくる。


「あ……え? 私……?」


正気を取り戻した燈は、慌てて鎖を離した。


「私、何でこんな所へ……」


記憶が曖昧だ。誰かの声が聞こえたと思ったら、思考がぼんやりとして……気付いたらここにいた。


「魔女に連れられたんだね。そこは牢へと繋がる階段。罪人を閉じ込めている所。危険な所だから行ってはいけない」

「牢……?」


そういえば、と燈は我に返る。背後の人の姿を確認していなかった。燈は慌てて振り返った。

そこに立っていたのは綺麗な顔立ちの男だった。

栗色の髪はややウェーブがかっており、触り心地が良さそうだ。男の性格を表したような優しく垂れた目で、瞳は髪色と同じ。白い着衣は、ローブのような寝間着に見える。


「あはは。そんなに見られると恥ずかしいな」


男ははにかんで後頭部に手を当てた。


「あっ……ごめんなさい」


ジロジロ見すぎてしまった。燈は慌てて謝った。


「君はお客かな? 見た事ないけど……」

「あ……私は柊燈です。リュラさんの依頼でここに来ました。……えっと、あなたは……」

「あ、もしかして異世界から来たの?」


男の名前を聞こうとしたら、質問で被されてしまった。


「そうです……何でその事を?」


燈がここでいう異世界から来たのを知るのは、数少ないはず。何故、寝間着姿の優男が知っているのだろう。素性の知れぬ男は、にこりと目を細めて笑う。


「話し方かな。それ、敬語っていうやつだよね。ミレジカに敬語を使う人はいないんだよ。久しぶりに聞いたなぁ…」


顎に手を添え、やや遠くを見つめる男。敬語を久しぶりに聞いたという事は、この人は現実世界の人を知っている。ミレジカと繋がっているのは、DREAM MAKERだけのはず。


「あの、あなたは……どなたですか?」


今度は尋ねる事に成功した。すると男はへらりと脱力した笑みを浮かべた。


「僕? 僕は……別に名乗る程の者じゃないよ。…というか、僕の姿を見て何とも思わないの?」

「………え?」


突然何を言い出すのだろう。確かに寝間着姿で彷徨いているのはおかしいと思ったが。


あれ?と燈は首を傾げた。気のせいだろうか、この人はーー


「まぁ、いいか。異世界じゃこれは普通なのかもね」


何かに気づきかけた燈だったが、男の一声で思考を止めてしまった。


「え? あの……」

「ん? あ。僕が何で君の世界を知っているか知りたいの?」

「それもそうなんですけど……」


それも聞きたいが、まずは男の素性を知りたい。……のだが、男は少しずれているのか、そんな事を言い出した。


「僕ね、君の世界に行った事があるんだよ。12年くらい前に」

「えっそうなんですか!?」


思わず驚いてしまう燈。男のペースにはまっている事に気付かず、聞き返してしまう。


「うん。……といっても君の会社と工場しか行ってないけど」

「え、工場?」


燈は更に驚く。DREAM MAKERは会社の隣に玩具を作る工場がある。12年前だと燈は10歳くらい。その時期は確か。


「私、その頃工場に社会科見学で行った事あります!ちょうど12年前に」


あそこに行って、 大好きな魔女ガールくぅちゃんのグッズが出来上がって行くのを目の当たりにして、 燈はDREAM MAKERに入りたいって思った。

あと、あそこで会った自分よりも年上そうな男の子が優しくしてくれたんだったと燈は思い返す。

確か燈が皆ととはぐれて泣いている時に、男の子が手を引いて連れていってくれた。恐らく、6年生か中学1年生くらいだと思う。


(……でも、何であそこにそれくらいの男の子がいたんだろう。あの人も、社会科見学で来てたのかな)

「じゃあ、僕達も会っていたかもしれないね」


男の言葉にハッと我に返る。


「そうですね」


返事をしてから、ふと男の子はこの人なんじゃないかと思ってしまう。……いや。この人はもう少し年上だろう。優しい雰囲気は似ていたが、見た目は20代後半か30代前半くらいだから、計算が合わない。

それに、そんな偶然あるわけがない。燈は一人で頷いて納得する。そんな燈を見て、男は不思議そうに首を傾げた。


「そういえば、燈はずっとここにいていいの?」

「あ! そうだウーラさん…!」


ウーラの事をすっかり忘れていた。もしかしたら必死に探しているかもしれない。


「……ええと、何処へ連れていってくれるって言ったっけ……」

「うーん…。君の格好から見ると、リュラの着せ替え人形にされたようだね。……休憩と言われてウーラに連れられたのかな? ……じゃあ行き先は中庭か」


必死に記憶を巡らせていると、男は燈が着ている紫色のドレスを見ながらそう言った。


「あっ…中庭! そうです、中庭に連れていってくれるって言ってました!」

「じゃあこの廊下を真っ直ぐ行って、そこの角を右に曲がったら3つ目の扉の反対側に道があるから、そこをずーっと真っ直ぐ行ってみて。窓から中庭が見えるから、そこまで行けば分かると思う」

「あ……ありがとうございます!」


城とリュラに対して随分詳しい人だと思った。この人はシェルバーと同じ従者だろうか。何故か寝間着だが。


「さぁ、早く行きな。ウーラはかなりの心配性だから、燈がいなくなった事にパニックになっているかもしれないし」

「……あ、はい!」


男に促され、燈はペコリと頭を下げて言われた通りの道を歩き始める。

不思議な人だ。何となく、自分の素性を知られたくないと言っているような気がした。一体誰なのだろう。ウーラに聞けば分かるだろうか。そんな事を思っていると、


「………ねぇ」


ふと、男から声を掛けられた。


「あ、はい……?」


条件反射で振り返ると、男から柔らかな雰囲気が消え、こちらを真剣に見据えていたので、思わず息を飲む。

ピシリと伸びた背筋。華奢だが、何処か頼もしさを感じさせる。寝間着なのに、何故か神聖さを漂わせる男。そんな立ち姿を見、燈はまた違和感を覚えてしまう。


「城の中にいる時は、ウィルから離れちゃ駄目だ。魔女に連れ去られてしまう。…リュラにも、その事を伝えておいた方がいい」

「…は、はい」


ある事に気付いたが、男に呑まれ、燈はつい返事をしてしまう。彼の正体よりも、まず話の内容が気になってしまう。

ウィルと離れてはいけない?それは、彼が魔法使いだからだろうか。男の登場ですっかり記憶の隅に追いやられていたが、燈は魔女の事が気になっていた。


『私はあなたを待っていたの』


燈を知る魔女。魔女は一体誰だろうか。


「あの……魔女って何なんですか? 魔女のいうあの人って……誰なんですか?」


疑問がするすると言葉になった。この男なら知っているような気がしてーー

中性的な顔立ちをした男は、少しの間無言だったが、ややあって口を開いた。


「……魔女は、大罪を犯した罪人。10年以上前にミレジカを混乱に陥らせた張本人。彼女のいうあの人は……魔女の愛する人、だよ」

「え……」


一つの国が混乱に陥るなんて 、余程の事だ。あの透き通るような声色の持ち主がするとは、とても思えなかった。だが、牢屋から燈を操れるくらいだ。力は相当強いのかもしれない。一体、魔女は何をしたのだろう。

真剣な表情のまま、男は続ける。


「そして……君は、その愛する人を知っている」

「えっ!?」


思わず声を上げてしまう。そんな怖い魔女の好きな人を、知っている?まだここへ来て数週間もないのに。


(……という事は、私が会ったミレジカの住人? シェルバーさん? ライジル? ………ウィル?)

「……ん。そろそろ時間が無いな。さぁ、早く行きな」


男の声にハッとした。時間が無い?それは、ウーラが心配しているから早く行けという意味だろうか。

既に優しい表情に戻っていたが、視線を左右にさ迷わせており、少しだけ落ち着きがない。……その姿を見ると、燈にではなく、男に時間が無いと言っているような。

大罪を犯した魔女。燈を牢屋へ誘おうとした理由。燈の知る魔女の愛する人。男から聞いたものはどれも分からない事ばかりだ。けれど多分、この人とこれ以上長い話が出来ない。

それなら。燈が一番聞きたかったのは……


「あのっ…あなたは一体……?」


彼の正体だった。城に詳しく、大罪を犯した魔女を知る人。寝間着なのにそれを思わせない程に綺麗に伸びた背筋。そして何よりこの人の違和感。この人は……


「僕? 僕は……」


男は柔く笑む。その笑顔には、憂いが混じっていた。


「その魔女に呪いをかけられた男さ」


それだけ言うと……男は消えた。


「……」


比喩ではない。男は燈の前から、消えたのだ。煙のように跡形もなく。


「……」


燈が感じていた、男への違和感。それがはっきりと分かった。

男によって阻まれて見えないはずの景色が、男の姿を通して見えていたのだ。……つまり、彼は透けていた。そして……その男は忽然と姿を消した。

さあ、と血の気が引いていく。穏やかな雰囲気と、話の内容に気を取られていたけど……彼の正体は幽霊という事になる。


「……」


燈は、すぅと息を吸い込むと、


「お、お化けーーーーっ!!」


城中に響き渡る叫び声を上げた。

燈が騒いで、近くにいたらしい従者が駆け寄る中………



『…………邪魔を』


憎しみを露にした魔女の声は、誰にも聞かれる事は無かった。

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