パレードと不思議な人
女王の誘い
第38話
ピリリリ、と目覚ましのけたたましい音に、燈は顔をしかめた。うう、と呻いて身じろぎをして携帯のアラームを切る。携帯の待受の時刻は、6時30分を表示していた。
「……もう朝……」
昨日泣きすぎたせいか、瞼が重い。腫れぼったい瞼を擦り、もぞもぞとベッドから名残惜しそうに出た。フラフラと洗面所に向かい、顔を冷水で洗う。顔をタオルで吹いて鏡の自分と目を合わせる。鏡に映る自分の目はやはり腫れていて、二重が一重になっていた。
こんな顔、誰にも見せられない。化粧で誤魔化せばなんとかなるだろうか。そう思いながら、燈はリビングに戻った。
ふあぁ、と一つ大きな欠伸をする。ふと、コーヒーの香りがし、まだ寝惚けている燈は肺一杯に空気を吸った。
「よく眠れたかい、燈」
「うん、眠れた」
燈は椅子に腰かけて頷く。
「そう。それならよかった。コーヒーを煎れたから、ここに置いておくね」
「うん、ありが…………」
目の前にコーヒーを置かれ、礼を言おうとした時……やっと脳が覚醒した。
「って何でいるの!!?」
目の前の椅子に座る男は、ここにいるはずのない仮上司様だった。自分に用意したコーヒーを飲み、優雅に微笑む。
「鍵が開いていたから。不用心だね、燈は」
知らない人が入ってきたらどうするんだい?と言ってくるが、知っている人でも勝手に入るのはどうかと思う。
「で、でもドアの向こうにはウィル達しかいないじゃん!」
「でも君の世界だったらそうはいかない。ミレジカに住む事に慣れてしまって不用心になってしまっては、こちらの責任もあるからね」
「……あ。そ、そう……」
それを注意したかったから、勝手に入って来たのかもしれない。しかし、寝起きの姿を男の人に見せるのは気が引ける。しかも、ウィルに。今さら自分の状態が気になり、燈は手櫛で髪を整え、パジャマの裾を引っ張った。
そういえば目も腫れている。こんな酷い顔晒せないと燈は慌てて顔を俯かせる。
「? どうしたの燈」
ウィルはきょとんとして顔を覗き込む。燈は両手で顔を覆った。
「いや、寝起きの顔を見られるのはちょっと……」
「そう?」
無神経なのか、天然なのか…ウィルは心底不思議そうに首を傾げた。顔はこんなに格好いいのに、女心があんまり分からないのだろうか、と思っていると。
「!!」
突然顎を持たれ、くいっと顔を上げさせられた。その拍子に顔を隠していた両手も外れてしまう。ウィルの蒼い瞳と、目が合う。間近でウィルの綺麗な顔を見てしまい、燈は顔を真っ赤にさせた。
燈の心臓は激しく脈打っている。それを知ってか知らずか、ウィルは顔を更に近付け、燈の顔をまじまじと見つめた。
「確かに…ちょっと目が腫れているね?」
毛穴一つ見当たらない肌。色気のある蒼い瞳。シュッと筋の伸びた鼻。やや薄いが、形の良い唇。あまりにも魅力的なその顔に、燈は目を反らせずにいた。
「目、瞑って?」
「!! ……え!」
突然そんな事を言われ、燈は大きな瞳を更に見開かせた。このシチュエーションで考えられるのは一つしかなくて、燈はあわあわと慌てる。いくら何でもそれは急展開すぎる。
「いいから」
「ーっ!」
ウィルの有無を言わせない言葉に、燈は思わず目を閉じてしまう。
(え、でもこういうのって恋人になってからするものであって、急にするもんじゃあ…!!)
ドキドキとモヤモヤが燈の心の中を占領していく中……唇ではなく瞼の上に感触が。感触から指だという事が分かった。指が両方の瞼に触れると、その箇所がほんのりと暖かみを感じた。「もういいよ」と言われ、恐る恐る目を開けると、そこにはウィルの満足そうな顔。
「ほら、これでもう大丈夫だ。腫れは取ってあげたよ」
どうやら魔法で瞼の腫れを取ってくれたらしい。
それはとても有り難い。有り難い事なのだが……
「あ、ありがとう…」
少しだけ、残念に思ってしまう燈がいた。
「さぁ、コーヒーを飲もう。早くしないと冷めてしまうよ?」
「…あ、うん」
何事も無かったように自分のコーヒーを啜るウィルを不満に思いながら、燈もカップに手を伸ばした所でピタリと止まった。
そういえば、ウィルが突然登場したのですっかり忘れていたが、昨日の事をウィルは怒っているのだろうか。今は変わりない笑顔を浮かべているが……ここに来た理由は、自分を叱る為なんじゃないだろうか。
「あ、ウィル……?」
「うん?」
目の前でコーヒーを飲むウィルは、いつも通りだ。
でも、本心を表情に出さないような人だから、実は静かに怒っているのかもしれない。そう思った燈はおずおずと話を切り出した。
「あの……昨日の事なんだけど」
「昨日?」
ウィルはきょとんとする。ウィルの態度に燈は不安になる。さすがに昨日の事は覚えているはずだ。もしや、自分の仕出かした事はきちんと声に出せという事なのか。
「ラビィに怒った事、なんだけど…」
「あぁ、その事ね?」
声に出したはいいものの、ウィルは怒りもせずコーヒーを啜っている。静かに怒っていたわけではないようだ。だが、その笑顔はどうでもいい、と言っているような気がしてならない。不安に思いながら、燈はポツリと呟いた。
「昨日、仲直り出来たよ…」
「そう。良かったね」
笑顔ではある。でも、その笑顔と言葉には感情がこもっておらず、燈は酷く不安に思った。
コーヒーを飲み終えたウィルは、カップを片し始めた。いつも魔法を使っているわけではないようだ。スポンジを持って、きちんと洗っている。そんなウィルの背中に、話し掛ける。
「……ウィル、怒ってる?」
「何故?」
振り返らないまま、ウィルが聞き返す。
「だって……部下のラビィに、あんな酷い事……」
言い掛けた所で、ウィルがクルリと振り返った。綺麗な蒼い瞳と目が合う。純粋で、穢れのない綺麗な瞳。ウィルは形の良い唇をゆっくりと動かした。
「そんなに酷い事言った?」
「……え?」
一瞬、聞き間違いかと思った。自分がラビィに放った言葉は、誰が聞いても酷いものだと思うはず。なのに目の前の彼は、そうでもなかったと言いたげな事を言う。綺麗な瞳が冗談を言っていない事を物語っていた。
燈の持っていたカップを取り、一緒に洗ってやるウィル。だが、あまりにも衝撃的すぎて、燈はお礼を言う余裕も無かった。食器を全て洗い終わり、ウィルはタオルで手を拭きながらいつもの笑顔を見せた。
「まぁ、いいじゃないかその話は。もう仲直りしたんでしょ?」
「そ、そうなんだけど……」
「みんなもう出勤しているよ。早く着替えておいで」
そう言うと、ウィルは部屋から出ていった。
「……」
一人残された燈。その胸中は複雑なものだった。
優しく穏やかに笑う彼。でも、ウィルには表情に見合う感情が抜け落ちている。何となく感じていたが、ここへ来て確信的なものになっていた。
ふと、牛のモウの言葉が甦る。
『他人に全く関心を示せないお前が、この子に手を貸すなんてなぁ…』
『ウィルは可愛そうな奴なんだぁ……。こいつは、昔魔女に』
あの言葉は、一体どういう意味なのだろうか。
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