ミレジカの童話
第35話
『龍に恋した王様』
ミレジカの西の奥の森に、それは美しい銀色の龍が住んでいた。
数百年生きる大樹より大きく、咆哮はレイアスに届く程。そんな龍は、ミレジカの住人に恐れられていた。
鱗を求めて訪れた者達が現れた時、龍は怒りで森の大半を炎で焼き尽くしたからだ。西の森は更地になり、人々は更に銀色の龍を避けた。
龍は孤独だった。この何もない更地で、一人で朽ち果てる。その未来に絶望して、龍は毎夜月に向かって咆哮をあげていた。その咆哮は、レイアスの城に住む王にも聞こえていた。
そんなある日。ミレジカの王が数人の家来を連れて西の森へ行くと言い出した。
住人達はもちろん反対した。あそこは人の行く所ではないと。龍に殺されてしまうと。しかし、王様は頑なだった。
「ミレジカの者が恐れるものを見て見ぬふりして何が王だ。私が人々の恐れを取り除く」
そう言い、王は勇ましくレイアスを出発した。
レイアスを抜け、王様達はひらすら西へ西へ。夜通し歩き続け、王達はようやく龍の住む更地に到着した。
龍の巨体は、遠くから見ても分かった。羽ばたけば強風吹き荒れる大きな翼。鋭い牙が揃う大きな口からは全てを焼き尽くす炎が吐かれる。
近づけば近づくほど、龍の恐ろしい姿が鮮明になってきて、家来達は恐怖で身体を震わせた。
「何だ。また私の鱗を奪いにやってきたのか」
龍から発せられた言葉は、女性のものだった。
「私はミレジカの王だ。君の鱗を奪いに来たわけではない」
家来達が怯える中、王様だけは勇敢な表情でそう言った。
「王が私に何の用だ。…龍退治にでもやってきたか」
「退治してきたわけではない」
王の言葉を聞き、家来達は驚いた。龍退治をしに来たのじゃないのかと口々に問う。しかし、王は首を振った。
「私は会いに来たんだ。…毎夜呼ぶ声にひかれて」
「悪いが、私は王を呼んだ覚えなどない」
「ああ、君は私を呼んだわけではないのだね。じゃあ、毎夜誰を呼んでいたんだろう?」
「……誰でもない」
「誰でもないか」
王は自分より遥かに高い所にある龍の顔を見上げて、優しく微笑んだ。
「私でなくても、君は誰かを呼んでいた。誰かを求めていた」
「お前に、何が分かる!!」
龍は激昂した。口から炎が溢れ出る。龍は誰かを求めていた。誰かと共に生きたかった。こんな朽ち果てた場所で一人で死にたくなかった。だが、初めて会った人間などに自分の気持ちを分かって欲しくなかった。
「分かるよ。君の声はいつも哀しみに溢れていた。私も似たような立場だから、君の気持ちは分かるつもりだ」
王の周りにはいつも人がいた。けれど、周りは家来だけで、心から話が出来る人は皆無だった。人が周りにいても、王は孤独を感じていた。龍の哀しい声を聞いた時、王はどうしても彼女に会いたくなったのだ。
「私も誰かを求めていた。君のように。同じものを求める君に一目会いたかった」
「………」
王の言葉を聞き、次第に龍の口から溢れていた炎が消える。王は、自分の孤独に震える叫びに気付いてやってきてくれた。王も、孤独を抱えていた。
「私は、君と友達になりたいと思ったんだ」
「お、王! 何を言っているんだ!」
王の言葉にぎょっとした家来達は、慌てだした。
「この龍は森を焼き尽くす程凶暴で危険なんだ。そんな猛獣に友達になろうなどと……!」
「私には、そうは見えない」
「でも、王…!」
「私が決めた事だ。君達の意見は聞き入れない」
そう言ったら王は頑として言うことを聞かなくなる。
「今日から私と君は友達だ」
「人間が、龍の私と友達になりたいだと?」
「友達に種別は関係ない」
「……勝手に、しろ」
こうして、王と龍の奇妙な関係が生まれた。
王は家来を連れては、龍に会いに行った。たまにこっそり一人で行った時は城中が大騒ぎになったりした。そして、今日も王は一人で龍に会いに来た。
「また来たのか」
「風が気持ちいいね。今日は日向ぼっこに最適な日だ」
「いつも日向に当たっているだけではないか」
「それがいいんだよ」
「変わっているな、お前は」
普通の会話をして、ただ時が流れるのを見つめる。最初は鬱陶しいと思っていた龍も、段々とこの時間が好きになっていた。
毎日、毎日。王がやって来るのを待つのが、龍の日課になっていた。
「私の住むレイアスはね、家が白で統一されていて、それはそれは綺麗な街なんだ」
「どれくらい白いんだ?」
「うぅん……あの雲くらいかな」
王が指を差したのはわたあめのような雲。
「そうか…」
王様がレイアスの話をする度、龍はそこに行きたいと思う気持ちが膨らんでいった。けれど、自分は皆から恐れられる龍。行ったら街が大混乱に陥ってしまうだろう。
「私の住む街に来たい?」
「……いや。私は無理だ」
度々問い掛けられる王の言葉に、龍は何度も首を振って断った。
「……」
王は気付いていた。龍がレイアスに来たがっている事を。そして……自分の心に芽生えた気持ちの名前を。
ある日の事。王は一人の家来を連れて龍に会いに来た。金髪で左手を包帯で包んだまだ少年に見える家来は、いつも持っている荷物とは別に大きな布袋を持っていた。
「大事な話がある」
そう言う王の顔は真剣だった。
「……何だ」
いつもと違う様子の王に、龍は低い声で尋ねた。
「私はもうここには来ない」
その言葉は、龍をどん底に突き落とした。王と過ごす日が無くなるという事は、龍の楽しみが無くなるという事。
「一応これでもミレジカの王だから、あまり城を空けるわけにはいかないんだ」
「……私を、一人にするのか」
鋭い眼光とは裏腹に、龍の声は震えていた。
「友達になりたいと言ったのに……お前は、また私を一人にするのか?」
一人は慣れていた。でも、王に出会ってから、龍は一人が酷く怖いものだと思い知らされたのだ。
死を宣告されるより怖いものがあるなんて知らなかった。
「……私もね、色々考えたんだ」
王は龍の脛あたりを擦る。銀色の鱗がびっしりとついた肌はざらざらとしていた。
「そしてある考えに達した」
そう言うと、王は振り返って大きな荷物を持つ家来に目を向けた。視線に気付いた家来は、慌てて王様に大きな布袋を手渡した。王は布袋から中身を慎重に取り出して、それを龍に差し出した。
龍の目に映ったのは、鮮やかな色彩。龍の鼻孔をくすぐったのは、甘い匂い。それは、花束だった。
王はにこりと笑って言った。
「君を妃として私の城に迎えたい」
「……何だと?」
龍は困った。王は頭がおかしくなってしまったのだろうかと思ってしまう。
「冗談を言っているのか? 私は龍。お前は人間。……種族が違う事くらい、お前だって分かるだろう……?」
「分かっている」
しかし、王様は頭がおかしくなったわけではなかった。
「君は、人間と龍が一緒になれないと思っているんだね。……君、ちょっと来て」
王は家来を手招きして呼んだ。金髪の若い家来は王様の視線に気付くと、慌てて歩み寄った。
「包帯を取ってくれる?」
そう言われ、家来は左腕にある包帯をほどく。家来の左腕が露になった。
「………これは」
龍は声を詰まらせた。驚きを隠せなかった。何故なら、人間の左腕があるはずのそこには、鳥の様な鋭い爪があったからだ。そして腕は羽で覆われている。
「この子は、人間と鳥の血を半分ずつ受け継いでいるんだ」
「………まさか」
信じられない。だが、その腕は作り物ではないという事は、見て分かる。龍と王の視線に恥ずかしくなったのか、家来は顔を赤くして大きな体を縮めた。
「ミレジカでは種族なんて関係ない。そこに愛があれば、結ばれるんだよ」
「……お前、恥ずかしい事を堂々と言うな」
「そうかな? 私は本当の事を言ったまでだよ」
王は屈託ない笑顔を見せた。
「それで、私の妃になってくれるかい?」
「……」
龍は赤と紫に見える瞳をすぅ、と細めた。自分よりも小さい人間。大口を開けてしまえば、こんな小さな人間は一呑みできるだろう。
なのに、何故だろう。こんなに小さな男は、龍の心を大きく揺さぶった。
「……だが、私は人々から恐れられている者だ。私を快く迎える者はいないだろう」
「何故?」
「この姿だからだ。この巨体では貴様の住む城にも住めない」
「ああ、何だそんな事か」
王はもう一度家来を呼び、ある物を出すよう頼んだ。
「……そんな、事?」
龍の口から、チロチロと炎が見え隠れする。これまでこの巨体から人々に恐れられてきた。それが嫌で嫌でたまらなかったのに、“そんな事”で済まされるのは龍は許せなかった。
「言い方が悪かったかな、ごめんね」
龍の様子に家来は怯えたが、王は少しも動じていなかった。
「みんな君の見てくれしか見ていないんだ。何回も会って分かったよ。君は人一倍心優しい。そんな君に、傍にいてほしいんだ。……もし君が私の傍に来てくれるというのなら」
言いながら、王は家来からあるものを受け取る。
それを龍に見せた。
「これを付けて欲しい。とある魔法使いに作らせたものだ」
「これは……?」
それは赤く大きな宝石が付いたイヤリングだった。
陽に照らされている箇所は、紫に輝いているように見える。
「人の姿に変化する事が出来る、魔法のイヤリングだよ」
「人に……?」
王の手のひらにすっぽりと収まるような大きさのそれは、そんなに優れたものには見えない。
「本当は、こんな事をしたくないんだけど……。残念ながら、今のミレジカではみんな君の外見だけで判断してしまうだろう」
だから……と王様は悲しげに笑った。
「少しの間だけでいいんだ。…みんなが君の中身を見てくれるまででいいから……人間の姿でいてほしい」
王は優しく微笑み……再度同じ言葉を言う。
「君を、私の妃に迎えたい。……君の答えを聞かせてくれ」
「……」
こんなにも。こんなにも自分を求めてくれる人がいるなんて。外見だけで判断せず、王様は心を見てくれた。自分の悲痛の声に気付き、駆けつけてくれた。誰が断ろうか。
「私で……いいのか?」
「うん」
「私は龍だぞ……?」
「知っている」
「後悔、するだろう……?」
「しないよ。そんなもの」
「……」
「……」
ポタリ、と大きな滴が王様の頭に落ちた。王様の髪はびしょびしょに濡れてしまったが、彼は全く気に止めていなかった。
「……よろしく、頼む………」
「うん、こちらこそ」
こうして、ミレジカの王に龍が妃として迎えられた。
住民は最初は戸惑い、恐れていたが、彼女の強さ、優しさに触れ、自然と慕う人が増えていった。
最初は暗かった龍だったが、王や家来、住民達と触れあっていくうちに明るい表情を見せるようになった。
龍は元の姿に戻る事なく、王の傍に居続けた。もう今は龍の妃に怯える者はいなくなった。
王と龍の妃。二人は幸せに暮らしたとさ。
あの日、王様が呪いにかかるまでは。
終
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