第32話
燈は花壇の前で、膝に顔をうずめていた。庭は闇に包まれているが、花壇に色とりどりの花が咲いているのが見える。けれど、燈が見たかった赤い花は、どこにも無い。落ち着いた声色で話す花は、もういない。
胸に大きな穴が開いてしまったかの喪失感。それに耐えきれず、両目から涙が溢れる。もっとここに来て、セイラとたくさん話をしたかった。もっとここに来るべきだった。後悔ばかりが燈を襲う。失ってから気付くなんて、何て愚かなのだろう。
「燈……」
「燈。元気出すろん…」
しばらく泣いていると、背後から声を掛けられた。オロロンとリックだ。けれど、燈は顔を上げる事が出来なかった。友達を失って、元気なんて取り戻せるはずがない。嗚咽を上げながらただ泣く。
「ラビィが食材にしちゃった花は、燈の大切な花だったんだね」
隣にしゃがみこみ、燈の背中を擦るリック。それを見たオロロンも短い両手で燈の背中を必死に擦った。
「……友達だったの。…信じてもらえないかもしれないけど」
震えた声でポツリと呟く。花が喋るだなんて、今となっては誰も信じてくれない。しかし、リックは優しく笑って首を振った。
「燈が嘘を言うとは思わないよ。友達を奪われたら、誰でも怒るよ」
「僕も怒るろん!」
オロロンの背中を擦る手が若干強まる。
「……」
燈は何も言わず、黙ったまま。ひんやりとした空気が三人の間を通り抜ける。しばらく沈黙があったが、やがてリックが口を開いた。
「ラビィはね、あの花が大好物なんだ」
あの花、とはおしゃべり草。セイラの姿を思い浮かべ、燈はきゅっと唇を噛み締めた。その隣で、リックは穏やかな笑顔を浮かべる。
「だから、大好きな燈に食べて欲しかったんだろうね」
「……」
ラビィはいつも、燈に引っ付いていた。あの仕事場で女の子一人だったから、燈が来た時は一番喜んでくれた。お揃いのストラップを買った時は、燈も嬉しかった。燈も、ラビィが大好きだった。
「悪気はなかったんだよ。もしあの花が燈の大切な物だと知っていたら、ラビィは絶対食材にしなかったよ」
分かっている。ラビィは私が喜ぶ顔が見たくて、自分の好きな物を作ってくれたんだ。………でも、
「ごめん、一人にしてくれる…?」
気持ちの整理が出来ない。ラビィも好きだし、でもセイラも大切だった。気持ちがぐちゃぐちゃで、しばらく立ち直れそうもない。
「でも燈」
「うん、分かったよ。気持ちが落ち着いたら戻ってきてね」
何かを言いかけたオロロンを遮り、リックは優しい口調でそう言った。かなり年下なのに、優しい口調で諭すリックは自分よりも年上のように感じられた。彼はオロロンを抱き上げると、屋敷の中へ入っていった。
また一人になり、辺りはまた静寂に包まれる。
「……ごめんね、セイラ」
ポツリと漏れたのは謝罪の言葉。もういないセイラに言えるのは、それしか思い付かなくて……自分が情けなくなる。あの時、こうしていれば。そんな思いが沸き上がってくるが、どんなに思っても……あの時は帰ってこない。そんなの、分かっている。けれど、思わずにはいられない。
「どうして謝るの、燈」
ふと、声が聞こえた気がした。落ち着いた、少女の声。ああ、あの子の声が幻聴で聞こえる。久しぶりに聞く声に、更に涙が溢れた。
「……だって、全然ここに来なかったし……」
声は震えていて、顔はもうぐちゃぐちゃだ。幻聴でも何でもいいから、セイラの声が聞けた事が嬉しく、悲しかった。幻聴が、クスリと笑う。
「そうね。全然ここに来てくれないんだもの。私寂しかったわ」
「本当にごめん…………え?」
ピタリと涙が止まった。この声………幻聴じゃない。セイラの落ち着いた声は、燈の耳にはっきりと聞こえた。
「セイラ!?」
燈は慌てて花壇の花を見渡す。
「久しぶりね、燈」
しかし、おしゃべり草はどこにも無く、ただセイラの声だけが聞こえる。
「ど、何処にいるの!?」
「ここよ」
そう言ったと同時に、花の影から小さな人影が現れた。
手のひらサイズの小さな少女だ。長い蒼い髪を高い位置に結っている。大きな藍色の瞳は、幼く見える顔立ちに反して、やや落ち着きがある。その背中には……半透明の四枚の羽根。
「え………妖精……?」
「そう。私は妖精よ」
妖精から発せられた声は、聞き慣れたものだった。
「セイラはおしゃべり草じゃ…?」
半透明の羽根をはためかせ、セイラは燈の目の前まで来る。年はラビィくらいだろうか。真っ直ぐに切り揃えられた前髪のせいか、やけに幼く見える。
妖精といったらワンピースのような可愛らしい服装のイメージだが、セイラは白い生地にに青色のラインが入ったシャツに、ダークブラウンのショートパンツを穿いていた。
「虎の彼が言っていたでしょ。植物はミレジカでも喋らないの」
虎の彼とはライジルの事のようだ。ライジルの言葉と喋る植物の矛盾が、ようやく解けた。
「燈が私の姿に気付かず、おしゃべり草に話し掛けていたから……つい、面白くなっちゃって。騙すような事をして悪かったわね」
「………」
「……燈?」
何も言わない燈を不審に思い、顔を覗き込もうとした時……頭に大きな水滴が降ってきた。今は雨など降っていない。水滴は……燈の瞳から降っていた。
「……よかった……。セイラ、生きていて……。私……セイラを食べちゃったのかと……」
「食べられそうになったら、さすがに声くらいあげるわ」
涙で濡れてしまった髪を払う事をせず、燈の涙を両手ですくう。温かい水。この温度は燈の思いが滲んでいるような気がして……セイラは僅かに目を伏せた。
「……不安にさせて悪かったわね」
「……ううん、セイラが無事ならそれでいいの……」
本当にセイラが無事で良かった。涙を袖で拭いながら、燈は顔を綻ばせた。しかし、セイラの次の言葉でハッとする。
「でも私のせいで兎の子と喧嘩をしてしまったでしょう?」
「あっ……! ラビィ…!」
先程、ラビィに酷い事を言ってしまった。きっと今頃何処かで泣いているはず。
「探しに行かなきゃ……!」
「ダメよ、燈」
立ち上がろうとした所を、目の前のセイラに制された。
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