第31話

それから数分して、ようやくライジルが食堂に入ってきた。


「ライジル、来たね」

「ああ」


ライジルは風呂上がりのままここに来たようで、いつも立っている髪が額に張り付いている。前髪があるので、何だか幼く見える。首元には白いバスタオルが掛けられていた。オロロンの隣に座るのと同時に、ウィルの魔法で料理が宙を滑って目の前に現れた。


「橋の建設、終わったの?」

「ああ。何とかパレードには間に合った」


リックの問い掛けにそう答える。橋の建設はパレードの為に行われたものらしい。ライジルは数日しか行っていないが、大規模な工事だったようだ。


「お疲れ様、ライジル」

「ああ。……お前もな」


ライジルが一番疲れているはずなのに、気遣う事を忘れない。しかめっ面の中にライジルの優しさを感じ、燈は微笑んだ。


「んだよ……。葉っぱしかねぇじゃねぇか」


料理を見てのライジルの感想は予想通りだった。


「うるさいわよライジルー! 野菜は栄養があって身体にいいんだよーだ!」

「俺には肉の方が栄養があんだよ!」


やはりこの二人は顔を合わせるとすぐに喧嘩を始めてしまう。きっとどう言っても二人の仲が良くなる事は無いのだろう。はぁ、と溜め息を吐いたライジルだったが、料理をしっかりと見た瞬間、ピタリと動きを止めた。


「……おいラビィ。これ何だ?」

「ええ? 何ってシチューとスープでしょ? 見て分かんないー?」

「………」

「……ライジル?」


急にライジルが静かになり、燈は不思議に思う。隣のオロロンも、その隣のリックもきょとんと彼の様子を見つめている。けれど、ウィルだけは優雅にスープを飲んでいた。


「そうじゃねぇ。……このスープに入っているのは何だ?」


そう言ってスープの中身を指差す。中で浮いているのは……赤い花弁。燈は思わず自分のスープの中を見た。これが一体何なのだろう。疑問に思っていると、隣のラビィがペロリと舌を出した。


「……あ、やっぱりバレちゃった?」

「……てめぇ! あれほどあそこから採るなって言っただろ!?」


ライジルが鋭い牙を剥き出しにして怒鳴る。


「ら、ライジル怖いろーん」


するとライジルの迫力に圧され、隣のオロロンが泣き出してしまった。リックが「よしよし」とオロロンのつるんとした頭を撫でてあやす。その様子を横目で見、舌打ちをしてからラビィに視線を戻すライジル。怒鳴られた当の本人は慣れているのか、ケロリとしていた。


「だってイロノ草原に採りに行く時間がなかったんだもん! いいじゃん! 後で代わりの採って来るから!」

「そういう問題じゃねぇだろ!? あれは俺が種から育てた奴だぞ!?」

「ねぇ、どうしたの?」


話が見えず、燈は二人に問い掛ける。すると、ライジルが声を荒げながら言い放った。


「ラビィが、俺の花壇の花を食材に使いやがったんだよっ!!」

「………花壇の、花?」


ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。ライジルの花壇に咲いていたパクパクと花弁を動かす赤い花。おしゃべり草という、喋る花。あそこの花壇に咲いていた赤い花は、一つだけ。さあ、と血の気が引いていく中、ラビィが頬を膨らませながら言った。


「だってー! 美味しいんだもん、おしゃべり草! 燈にも食べてもらいたくって!」


目の前が真っ暗になったような錯覚を受けた。


(このスープに浮いているのは………セイラ。私の友達。友達を………食べちゃった?)

「………っ」


酷い吐き気に襲われ、燈は口元を押さえた。


(やだ……セイラが、セイラが……! どうしよう、こんなにバラバラになって……!)


目の前で赤い花弁が揺らめいている。きっと少し前まではパクパクと動いていた花弁が。震える手で自分のスープから花弁を救出する。必死に花弁をくっつけようとするが、それはするりと燈の手から落ちて。セイラはいなくなってしまったんだ、自分の腹の中にいるんだ、と思うと急に吐き気を催して手で口元を覆った。胃から食べた物がせり上がってくる感覚を感じた時だった。


「………燈?」


温かい手のひらが、燈の手の上に覆い被さった。ゆるゆると青白い顔を上げると、澄んだ蒼い瞳と目が合った。


「………ウィル」


何故だろう。ウィルの顔を見たら不思議と吐き気が無くなった。彼は怪訝な表情を浮かべながら燈の手の甲を擦った。


「どうしたんだい? 顔色が優れないみたいだけど……」

「………ぁ」


目の前にある花弁が友達だったから……そう言ってもいいのだろうか。セイラがこんな姿になってしまっても、『ウィルにセイラの事を言わない』という約束を破る事に躊躇してしまう。それに、頭の中がぐちゃぐちゃで上手く言葉が出てこない。


「燈、どうかした…?」

「お腹壊したのかろん?」


燈の異変に気付いたリックとオロロンが不安げに声を掛ける。その声で、言い合っていたライジルとラビィもやっと気付いた。


「何だ? 何があった?」

「燈ー? 気分でも悪いの?」


ラビィが心配そうに眉尻を下げながら燈に近寄る。


(気分が悪い……? 違う。ラビィが……ラビィがセイラをっ………!)


自分に向かって伸ばされたラビィの手を、燈は思いきり叩き落とした。


「え……燈……」


振り払われた手を握って、戸惑った表情を浮かべるラビィ。何が起こったのか、まるで分かっていないかの表情。その表情が、燈の怒りを高ぶらせた。

そして感情のままに叫んだ。


「どうしてこんな事をしたのっ!?」

「……え、こんな事って……。燈、何で怒っているの…?」

「私は! ……この花が大好きだったのに!! 何で……何でこんな事……!!」


じわり、と視界が歪み、ラビィの表情が上手く見えない。ただ、彼女が動揺しているのは感じられた。


「あ、燈……」


ラビィはあのおしゃべり草が喋っていたとは夢にも思わないだろう。それでも。例えその気が無かったとしても。燈はラビィが許せなかった。


「ラビィなんか大嫌い!!!」


燈は思い切り叫ぶと、食堂から飛び出した。


「あっ……燈っ……!!」


ラビィのか細い声が聞こえたが、燈は足を止めなかった。



✱✱✱✱✱



 燈が飛び出し、食堂の中は静寂に包まれる。痛いほどの沈黙。それを破ったのはラビィだった。


「燈……燈怒っちゃった……どうしよう…どうしよう……」


赤い瞳から透明な雫がポロポロと零れる。初めて見た彼女の涙に、ウィル以外の男達はギョッとした。


「だ…大丈夫だ。話し合えば仲直り出来るから……な?」


先程まで自分が怒っていた事も忘れて、ライジルはラビィを宥める。しかし、彼女の涙は止まらない。


「う……うわあああん!!」


ラビィは声を上げて泣き出すと、燈の後を追うように食堂を飛び出した。


「ラビィ!! ……チッ。世話の焼ける奴だ……。おい、ウィル!!」

「何だい?」


あんな光景を見たというのに、未だに優雅にスープを飲むウィルはのんびりと返事をする。


「俺はラビィを追うから……。お前は燈の所に行け!」


まだ渇ききっていない自分の髪を、バスタオルで乱暴にかき乱しながら言い放つライジル。しかし、ウィルは心底不思議そうな表情を見せた。


「……何で?」

「何でって……!!」


言い掛けてから、ライジルはハッとした。そして荒々しく舌打ちをすると、上司の頭を戸惑い無く叩いた。


「……本当にお前は近くに#あれ__・__#がないと元に戻るんだな!!」

「……」


叩かれた頭を擦り、それでもその場から動こうとしないウィル。


「もういい! リック! お前が燈の所へ行け!!あいつは多分花壇にいるから!」

「う…うん!」

「ぼ、僕も行くろん!」


出で行く直前のライジルにそう指示され、リックとオロロンは慌てて彼の後を追った。

食堂に一人残された上司のウィル。彼はこてんと首を傾げると、何事も無かったかのようにスープを飲み始めた。

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