第29話
シェルバーの言葉が燈の脳内で繰り返される。
(女王? 女王って……女の王と書いて女王!?)
「ええええ!!?」
燈は腹から思いきり声を上げてしまった。
「ど、どうしたの燈! 突然大声出して…」
「い、今シェルバーって人がリュラさんの事女王って……!」
「お前やっぱり知らなかったのかよ…」
ライジルは呆れながら後ろ頭を掻いた。
「リュラはこの国の女王だ」
さぁ、と血の気が引いた。一国を治める女王に、何か変な事をしてしまったのではないかと頭をフル回転させる。そしてラビィの両肩を勢いよく掴んだ。
「な、何で言ってくれないのラビィ!」
「だってリュラジョーが言うなって言うからー!」
燈の剣幕に若干引きながら軽い調子で答えるラビィ。もう少し責めようと思ったが……燈ははたと止まった。
「……もしかしてリュラジョーのジョーって…」
「リュラ女王だからリュラジョーだよ!」
にぱっと笑うラビィを見て、目眩を感じた。いくら敬語のない世界だとはいえ、女王にあだ名を付けていいのだろうか。本人は気にしていないようだったが普通はそんな失礼な事をしてはいけないはずだ。……というのは、燈の世界の常識であってミレジカの常識ではないのだろう。一気に疲れを感じてしまった燈は、肩を落として深い溜め息を吐いた。
「んまぁ、分からなくても仕方がないよねー? リュラジョー、普段あんな格好だし」
「……そういえば、リュラさんって何の獣人なの?」
鱗があり、コウモリのような翼を持った動物なんて皆目見当がつかない。
「リュラジョーは龍だよ!」
「……龍!?」
燈はまた驚愕する。龍といったら架空の生き物だ。ミレジカでは龍も生息しているのか。女王であり架空の生き物である龍のリュラ。彼女との出会いで、燈の心臓は緊張で高鳴ってしまっていた。
「じゃあ、ミレジカの時間を決めているのはリュラさんなの?」
「ううん。それはヒューオだよ!」
「ヒューオ?」
「ヒュウ王だ。リュラの旦那」
聞き慣れない名前に、思わず首を傾げると、ライジルが捕捉してくれた。リュラの旦那。リュラから聞いた時は深く考えなかったが、まさか旦那が王だとは。
「ヒューオとリュラジョーは二人で王の仕事をやっているんだよー」
「へぇ……夫婦で頑張っているんだ」
二人で協力しあって国を治めている。何だかヒュウの事がすごく気になってきた。
「ヒュウさんはどんな人なの?」
「ひょろくて頼りにならねーような男だよ。リュラが何であいつを選んだか全く分からねぇ」
ラビィに聞いたのに、何故かライジルが答えた。
何故か酷く不機嫌そうだ。眉間の皺がいつもより深い。燈が不思議に思っていると、ラビィがニマニマと笑い始めた。
「あらあら、ジルちゃん嫉妬?」
「はぁ!? 何で俺が嫉妬なんか……!」
ライジルが過剰に反応した時、ラビィが燈の耳元に寄った。
「知ってる燈? ライジルはリュラジョーに一目惚れして、女王なのも知らずに告白してあっさり玉砕したんだよー!」
「え……?」
「おま……余計な事言うな!」
ライジルは真っ赤な顔でラビィを燈から引き剥がした。
「あはは! ジルちゃん顔真っ赤ー!」
「うっせ! っていうか変なあだ名で呼ぶな!」
ケラケラと笑って走り出すラビィを、顔が赤いまま追い掛けるライジル。あの恋愛に興味無さそうなライジルがリュラに一目惚れ。まさかの衝撃的事実に、燈の目は点になっていた。それほど、リュラに魅力があるのだろう。じゃれあう(?)二人を見つめながら、燈は一人でうんうんと頷いた。
*****
「あれ、女王じゃないか…?」
「本当だ。今日も綺麗だなぁ…」
ミレジカの住人達は、城門前に立つ女王の姿を見、ひそひそと話していた。女王らしくないライダースーツに身を包んだリュラは、住人達の羨望の眼差しを受けながら、堂々と一服していた。
見られる事には慣れている。むしろ、見られる事も仕事の内だと思っていた。ふぅ、と赤い唇から紫煙が吐き出される。城門前には二人の門番がいるのだが、女王が突然現れた為、隅っこに追いやられていた。女王が城門ど真ん中で待ち人を待っていると、「ああっ、やっと追い付いた…!」とシェルバーが息を切らしてやってきた。相当走ったようで、リュラの前に辿り着いた途端、膝に手を当てて肩で息をしている。
「遅いぞ、シェルバー」
「す……少しくらい……気遣ってくれてもいいじゃんか…!」
しかし、そんなシェルバーに気遣う事なく、リュラは上手そうに煙管を吸う。
「ああっ…また身体に悪いもの吸っちゃって…!」
シェルバーが煙管を没収しても、リュラはまた新たな煙管を取り出す。まるでいたちごっこだ。煙管をくわえながら、リュラは難しい表情でシェルバーを見上げた。
「……シェルバー、お前のせいでラビィ達に言う事を忘れてしまったではないか」
「ええっ? 何それ俺のせいなの!?」
シェルバーがぎょっとすると、リュラは首を縦に振った。
「そうだ。…全く、お前はいつもタイミングが悪い……」
「えええ……。何か、ごめん」
「まあ良い。許す」
シェルバーが謝ると、リュラは満足そうに微笑み、「中に入るぞ」と城門の大きな扉に体を向ける。門番は慌てて城門の大きな扉を開いた。リュラは門番達に礼を言うと、城門の中へと入っていった。
「女王、何か腑に落ちないんだけど!」
シェルバーはふてくされながらも、リュラの後についていく。城門の中は見事なまでに整えられた庭園で広がっている。花が鮮やかに咲き乱れ、大きな噴水まで設置されている。それに目もくれず、リュラはずんずんと進んでいく。が、突然周囲を気にする素振りを見せた。付近に自分達しかいない事を確認すると、リュラはゆっくりと口を開いた。
「……で、何か手掛かりは見つかったのか?」
主語の無い問いだが、察する事の出来たシェルバーは、表情を引き締めた。
「……何も。姿形も分からないから、探すのにも手間取っているよ」
「……そうか」
シェルバーの言葉に、リュラはやや顔をしかめた。それから沈黙があったが、耐えかねたシェルバーがリュラの前に立ち塞がった。
「ねぇ女王、本当にあいつの分身が牢から逃げ出したの?」
あまりにストレートな問いに、リュラは眉間に皺を寄せた。周りに知られたくないから、はっきりと言わなかったというのに。呆れて溜め息も出ないリュラ。思慮の浅い家来の胸を軽く叩いて、リュラはまた歩み始める。
「…ヒュウが嘘を言うわけないだろう」
王であり自分の夫である男。彼の事は、リュラは絶対の信頼を寄せている。しかし、王の名前を聞いた途端、シェルバーの表情が曇った。
「……でも王は…」
「何を言う気だ? シェルバー」
酷く低い声に、シェルバーは身を強張らせた。目の前を歩くリュラ。蝙蝠のような翼が畳まれている後ろ姿は誰もが羨む程のプロポーションだ。その美しい背中には、怒りが滲み出ていた。
「ヒュウは生きている。……こうして私の夢枕に出て、危機を知らせてくれる」
「……女王」
シェルバーは憂いを帯びた瞳で女王の後ろ姿を見る。自分より小さいのに、強さを失わない女性。……例え最愛の夫が呪いに掛かって深い眠りについてしまっていても、彼女の強さは揺らがない。国民に知られてはいけないと、動揺した素振りも見せない。
「仕事は全てヒュウに任せてきた。…責任感の強いあいつの事だ。きっと今頃目覚めて、終わらせてくれているはずだ……」
いや、その強さは夫が目覚める事を信じているからもっているのかもしれない。ミレジカの女王は振り返る。赤と紫の混じった瞳は凛としていて、彼女の強さを再認識する。その姿があまりにも美しく、そして悲しく……シェルバーは唇を噛み締めた。
「……奴の分身は、絶対に姿を現すはずだ。見つけ次第、私の前に突き出せ」
「……分かった」
シェルバーは深く頭を下げると、踵を返して走り出した。
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