第15話

とりあえずスーツに着替えようと思ったのだが、ライジルに「あんな堅苦しい格好じゃなくていい」と言われた為、燈は仕事場の自分の机に座っていた。

始業時間はまだのようで、ライジルは仕事を始める気配は全く無い。背もたれの後ろに腕をやり、机の上に足を投げ出している。くぁっと欠伸をする彼の口に、やけに尖った犬歯がチラリと見えた。


「あの…ライジル?」

「ああ?」


沈黙に耐えられず、声を掛けるとライジルは顔を向けずに返事をした。


「いつもこんなに早く起きているの?」

「…まぁな。庭の手入れをするのも、俺の仕事だ」

「へぇ…偉いんだね」

「褒められる程の事でもねぇよ」


会話がすぐに途切れてしまう。ライジルが心優しいのは分かったが、他の人達と比べてなかなか距離を縮める事が出来ない。祥子だったら、ライジルみたいな人でもすぐに仲良くなってしまうのだろう。先輩の底抜けに明るい表情を思い出しながら燈は思う。

今日も電話してみようか、と考えているとウィルが部屋に入って来た。


「あれ? 今日は燈早いんだね」


燈がいる事に気付き、目を丸くさせるウィル。


「おはようございま……」

「んんっ」

「お、おはよう……ウィル」


きちんと挨拶をしようとしたが、背後からライジルの咳払いが聞こえ、燈はタメ口で挨拶した。


(うう…やっぱりウィルさんには言いづらいよ…)


そう思ったが、言われた本人は敬語が使われなかった事が余程嬉しかったのか、嬉しそうに微笑んだ。


「あ、敬語止めたんだね。おはよう。今日は見つかるといいね。願い事」

「そうしたら外にも出掛けられるしねっ!」


ウィルの後ろからリックがひょっこりと現れた。

いつものように野球帽を被り、尻尾を千切れんばかりに振っている。


「おはようリック」


燈が挨拶をすれば、リックから「おはよう!」と元気の良い挨拶が返って来た。


「ね、ね! 燈! 今日仕事が終わったら燈の国について教えてよ! 日本について知りたいな!」

「うん、いいよ」

「やったぁ!」


リックは両手を上げて嬉しそうに飛び跳ねた。今気付いたのだが、リックの手の平には犬の肉球のようなものがくっ付いていた。だから手を握られた時、妙に柔らかかったのか…と燈はリックの手の平を見ながら思った。

しばらくすると、ラビィが欠伸をしながら部屋に入って来た。


「おはよー」

「遅いよラビィ。遅刻ギリギリだよ」

「遅刻じゃないからだいじょーぶ!」


上司に注意されているのに、ラビィは反省する素振りも見せずにピースサインを見せた。そんな自由奔放なラビィは、自分の席に着く前に燈の所に寄った。


「燈ー! 今日燈の家に行ってもいいー?」

「あ、うん」


いいよ、と頷こうとした時、目の前にリックが現れた。


「駄目だよラビィ! 燈は今日僕と一緒にいる約束したんだから!」


まるで燈を守るかのように両手を広げてラビィの前に立ちはだかるリック。しかし、その壁にラビィは動じない。


「そんなの知らないー! ねー燈!」


リックの頭に手を乗せて、ニコリと同意を求めるラビィ。燈は少し悩んでから、「そうだ」と人差し指を立てた。


「じゃあ二人一緒に……」

「やだ!」

「嫌よ!」


あっさりと却下されてしまった。


「先に言ったのは僕だよ!ラビィは今度にしてよ!」

「それなら私だって始めの時に行きたいって言ったもーん!リックが今度にしなさいよ~!」


言い争いが勃発してしまった。自分のせいでこんな事になってしまっているので、おろおろしてしまう。


「あの…落ち着いて……」


とりあえず喧嘩を止めようと間に入ろうとした時、背後から肩を叩かれた。振り返ると、ウィルがにこやかに微笑んでいた。まるで私に任せろ…と言いたげに。頼もしいウィルの姿に、燈はホッと安堵した。良かった、これで喧嘩が収まる……と思った自分が馬鹿だった。


「仕方ないな……じゃあ間を取って私が行こう」


椅子から転げ落ちるかと思った。


「どんな間を取ったらそうなるの!」


先程まで敬語を使わない事に苦労をしていたはずなのに、自然にタメ口になってしまう。ウィルは完璧そうに見えて何処か抜けているところがある。


「はぁ!? 何を言っているのよウィル! 横取りしないでよ!」

「そうだよウィルの馬鹿!」


そしてその言葉は火に油を注ぐ形になってしまった。火はどんどん大きくなっていく。一人だけ不参加のライジルは巻き込まれたくないようで、素知らぬ顔で紙とにらめっこをしていた。こうなったら公平で決める為にあれをやるしかない、と燈は手を挙げると声高々に言った。


「じゃあ、じゃんけんで決めましょう!」


すると、今まで言い合っていたラビィとリックが急に静かになり、きょとんとした顔で燈を見つめていた。知らんぷりしていたライジルさえも不思議そうな顔をしている。


「……じゃんけん?」


三人が同時に首を傾げる。どうやらミレジカにじゃんけんは存在しないらしい。燈は皆にじゃんけんについて教える羽目になってしまった。



*****



「ふんふんふーん」


じゃんけんで勝ったラビィはとても上機嫌だった。


「燈……次は絶対……絶対僕だからね!?」


涙目で言うリック。しかしじゃんけんを教わっている時はとてもキラキラと輝いていた。少し日本の事が知れたから今日は我慢してくれるだろう。


「うーん…じゃんけんって聞いた事あったんだけど、難しいんだね」


少々残念そうに肩を落とすウィル。冗談で言ったのかと思ったが、どうやら本気だったようだ。別に大した物があるわけじゃないのだが、と苦笑して作業を始める。ラビィは燈の家に行ける事でやる気が出たのか、昨日よりペースが早かった。

しばらく黙々と作業を進めていく。そろそろ小休憩を取ろうかな…と思った時、「おっしゃー!」と隣のライジルが雄叫びを上げた。

何事かと顔を上げる。ライジルは軽い足取りでウィルの元へ行くと、持っていた紙を見せつけた。


「なあウィル! これは行ってもいいだろ!?」


ウィルの蒼い瞳が文字を読んでいく。最後まで読み―ウィルの首が縦に振られた。


「うん、いいよ」


その瞬間、ライジルはガッツポーズをした。上司のGOサインに、ラビィとリックも顔を上げる。


「ライジル、見せてよ!」


リックが言うと、ライジルは嬉しそうな顔で紙を見せてくれた。燈も一緒に見させてもらう。ラビィも気になったようで、わざわざこちらまで来て紙を覗き込んだ。

そこには、『トナマリとレイアスを繋ぐ橋の工事、人手が足りないので手伝ってほしい』と書かれており、依頼主の名前と地図らしきものが手書きで書かれていた。


「レイアス…?」

「トナマリの隣にある街だ。ミレジカの都市でもあるよ」


聞いた事のあるような単語に首を傾げると、ウィルがすかさず説明してくれた。そういえばウィルがミレジカについて話してくれた時、そんな単語を聞いたような気がする。明らかに話を聞いていないのが露呈したのに、ウィルは嫌な顔一つもしなかった。


「じゃあ行ってくる!」


ライジルは紙を握りしめ、すぐさま扉を開けて出て行った。


「早……」

「ま、橋の建設なんて力馬鹿のあいつにはぴったりじゃない?私には絶対無理だしねー」


ラビィはそう言いながら自分の席に着く。


「ああ、か弱い私にも出来るような面倒臭くない願いはないかなー」

「そんな願いなんて無いよラビィ!」


しっかりしてよね、と明らかに年下のリックに言われるが、ラビィは気にしていない様子だった。


「燈も早く見つかるといいね」

「うん…」


ウィルの言葉に頷くも、三日でやっと一つ願いが見つかったくらいだから、今日はもう見つからないんじゃないかと燈は思った。

ライジルが抜けた後、三人は黙って仕事をしていたが、ラビィが紙の山の向こう側から声を掛けてきた。


「ねぇ!そういえば燈って何歳なの?」

「21だよ。今年22」

「へえ!年上なんだぁ~。私は18だよ!ライジルが19で……」

「僕は11!」


リックがラビィの声を遮って元気よく言った。


「…ウィルは?」

「燈より少し年上だよ」


燈の問い掛けに、ウィルは優雅に微笑む。


「…どれくらい?」

「さあ。どれくらいだろうね?」


(何で教えてくれないんだろう。もしかして、意外にいっているのかな……?)


そう思っている隣の隣でリックが口を尖らせた。


「ウィルは秘密主義者だから、自分の事なかなか話さないの! 歳くらい教えてくれたっていいのにね!」


秘密主義者。彼にはとても似合う言葉だ。リックに言われても、ウィルはただ微笑むだけで何も言わなかった。

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