初仕事

第14話

燈はいつもより早い時間に起きた。朝日を浴びられないのが残念だが、目覚めはいい。カーテンが開かず、外の景色が見れない事以外、この部屋に不便は無い。水も出るし、電気も点く。ガスも通っている。……つい癖でカーテンを開けようとして、腕を痛めてしまったけれど。

携帯電話を確認すると、メールが一通届いていた。燈の同僚、瀬野秀哉からだ。


『お前出張行っているんだって? 大変だな。何処に行っているんだよ? 橘部長に聞いても教えてくれないんだ』

「……そりゃあそうだよ」


思わずメールに突っ込む。今いる場所は会社が隠し続けていた、地球上に存在しない異世界“ミレジカ”なのだから。すぐに来れないような県名を適当に打ち込み、返信する。

本当は瀬野に本当の事を言って、相談に乗ってほしい。……瀬野の事だから「やっぱり頭おかしくなったのか?」と笑い飛ばすだろうが。

昨日部長の電話が終わった後、先輩の祥子に電話をかけた。祥子は深くは聞いて来なかったが、「柊ちゃんなら大丈夫、頑張って!」とエールを贈ってくれた。頼りになる祥子に側にいてほしいと思ってしまう。でも、それはできない。一ヶ月。この世界で、誰にも頼らずに働いていかなくては。


「……あ」


違う。一人じゃない。この世界には、頼れる人がたくさんいる。友達も出来た。

紙に埋もれた部屋で働く魔法使いと獣人達……そして花壇に咲く友達を思い出し、燈は一人微笑んだ。

朝ご飯を適当に済ませ、いつものスーツに着替えようとして…手を止めた。

今は動きやすい格好にしよう。Tシャツとジーンズというラフな格好に着替える。そして…


「これも忘れちゃ駄目だよね」


そう言いながら手にしたのはスコップと小さな鉢植えだった。鉢植えの中には何も入っていない。…何故なら、今からここに一輪の花が入る予定だから。家を出て辺りを見回す。廊下に人の気配は無かった。燈はそろそろと階段を降りて仕事場ではなく外への扉を開いた。

燈は脇目も振らず、花壇へ一直線に向かう。花壇の隅っこには、昨日と同じ場所に赤い花が咲いていた。花弁は口のようにパクパクと動いている。燈は口元を緩めると、その場にしゃがみこんだ。


「あら、燈じゃない」


落ち着いた声が赤い花から聞こえる。燈はニコリと歯を見せて笑った。


「おはよう、セイラ」

「朝早いのね」

「セイラこそ」

「私は陽の光があればいつでも起きているわ。…で、どうしたの? 私に何か用?」


燈は笑顔のまま、手に持っていたスコップと鉢植えを見せた。


「昨日の約束を守りに来たよ」

「もしかして、私を燈の家に入れてくれるの…?」


嬉しそうな、戸惑っているようなセイラの声。燈はスコップを構えて頷いた。


「そう。セイラとはゆっくり話したい事あるし……」

「話……?」

「うん、また私の暮らす世界の話とかしたいし」


本当は、セイラの知る昔来た人間についてなのだが、ここで話すのも何なので言わないでおく。


「……」


セイラは何も言わず、ただ口をパクパクと動かしていた。


「痛かったら言ってね。じゃあ、始めるよ?」


そう言ってスコップを土に入れようとした時だった



「おい、何をやっている?」


低い声が燈の動きを止めた。


「あ、ライジル…さん」


声がした方に顔を向けると、そこには不機嫌そうな顔のライジルが立っていた。手には象の形をした赤いじょうろ。どうやら花壇の水やりに来たようだ。


「さんはいらねぇ。それより……俺の花壇に何をしているんだ…?」


明らかに花を観賞している様子では無い燈にギラリと睨みを利かせるライジル。スコップを持っている時点で、言い逃れは出来ない。燈は乾いた笑みを浮かべた。


「あ……いや、ちょっと……この花が気に入ったのでちょいといただこうかと」

「何堂々と泥棒宣言しているんだ! 駄目に決まっているじゃねぇか!」


ライジルに怒鳴られ、燈はビクリと肩を跳ね上げ畏縮した。

家に持ち帰って話をしてからこっそりと戻しておこうと思っていたのだが、見つかってしまってはどうにもならない。ライジルは舌打ちをしながら燈の隣に座り、赤い花を覗き込む。その花を見て、ライジルは眉根を寄せた。


「これはおしゃべり草じゃねぇか。こんな変な花が気に入ったのか?」

「おしゃべり草……?」


燈は首を傾げた。この花はセイラという名前ではないのか。おしゃべり草というのは種類の名前で、セイラは個別に付けられた名前なのかもしれないと納得しようとしたが、ライジルの次の言葉に、燈は酷く動揺する事になる。



「花弁が口みたいにパクパクしているからおしゃべり草。まぁ、植物だから喋るわけねぇけど」

「喋ら……ない?」


ゾクリと鳥肌が立ったような気がした。


「当たり前だろう? …燈の世界では植物は喋るのか?」

「いや、喋らないです……」


ならば何故セイラは喋るのか。ライジルに聞きたかった。…でも、誰にも言わないでというセイラの言葉を裏切るわけにもいかず、燈の頭の中で疑問が消化されずにぐるぐると廻る。ライジルが横で花に水をやっている。燈は花が水に濡らされていく様を呆然と見つめていた。


「よし、行くぞ」


水やりを終えたライジルが立ち上がる。燈はじぃっと赤い花を穴が開くほど見つめていた。


「おら」


いつまで経っても立ち上がろうとしない燈にしびれを切らし、腕を持って無理矢理立ち上がらせる。


「あ…ごめんなさい……」


ハッと我に返り、申し訳なさそうに謝ると、ライジルの細い眉がひくりと動いた。


「謝る程の事じゃない。……っていうか敬語やめろ。俺達に敬意なんて必要ないから」

「……え?」


思わずライジルの顔を見ると、彼の頬は照れでほんのりと赤くなっていた。


「俺達は仲間なんだから、そんなものいらねぇんだ。分かったか」


ぶっきらぼうに言うと、ライジルは大股で歩き出した。燈はポカンとライジルの背中を見つめていたが、彼の優しさに気付き、顔を綻ばせた。


「あ、ありがとうござ……ありがとう、ライジル」

「ほら、行くぞ」

「う……うん」


燈はチラリとおしゃべり草を見つめてから、ライジルの後を追った。

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