初仕事と新たな出会い

話す花

第11話

けたたましい目覚ましの音に、燈は顔をしかめて身動ぎをした。寝ぼけ眼で時計の針を見ると、時刻は8時を差していた。


「え!? もうこんな時間!?」


いつもならもう出掛ける時間だ。一気に目が覚め、燈は飛び起きた。


「もう!何て時間に起こしているのよ!」


燈は目覚ましに悪態をつくと、洗面台に駆け込み、顔を洗った。朝食は諦めよう。とにかく着替えて化粧をしないと。急いでスーツに着替え、簡単に化粧を済ませる。チークとリップは会社のトイレでする事にする。化粧ポーチをバックの中に放り込み、急いで玄関に向かう。


(この前遅刻したばかりなのに、またしたら部長に雷を落とされる……! 急がなくちゃ!!)


そう思いながら、燈は勢いよくドアを開けた。


「………え?」


目の前には住宅街が見えるはずなのに、視界に入ったのは真っ白な壁。窓から見えるのは大きな庭園だった。


「…………そうだった」


寝ぼけていてすっかり忘れていた。燈は今、ミレジカという異世界に来ている。


「あ、燈おはよー!」


声を掛けられ、顔を向けるとそこには白髪赤眼の少女、ラビィが立っていた。


「あ。ラビィさん…おはようございます」

「どうしたのそんなに慌てて! 寝癖立っているよ?」


そう言われ、燈は慌てて髪を触った。昨日髪を乾かさなかったから、結構すごい事になっている。


「燈、意外にお寝坊さんなのね」

「……ううう。すみません…朝苦手で……」


髪を手櫛で必死に整えていると、「これ、使う?」とラビィが丸型のコームを差し出してきた。ピンク色で、とても彼女の雰囲気に合っている。バッグの中に化粧ポーチを放り込んでおいたので、櫛は持っていたのだが、お言葉に甘え、「ありがとうございます」とコームを受け取り、使わせてもらう。

そういえば今気がついたが、応接室に置いてきたはずのバッグもご丁寧に部屋に置いてくれていたようだ。気が利くのか、利かないのか……燈はひっそりと長い息を吐いた。あまり癖のつかない髪質なので、何度か髪に通したら、大分良くなった。


「うん、もう大丈夫だねー!」

「はい、ありがとうございます」


コームを返すと、ラビィは顔を綻ばせた。とても可憐な子だと思う。表情が豊かで、人懐こい。少々人見知りの燈は、そんなラビィを羨ましく感じた。一緒に行こうと言われ、短い距離だがラビィと共に行く事に。


「今日から初仕事だね。どう? 緊張する?」

「そうですね……どんな感じで仕事をするのか分からないので少し緊張します…」


それにしてはぐっすりと眠ってしまったのだが、それは言わないでおく。


「そうだよねー。でも私がバッシバシ教えるから、安心してね」

「ありがとうございます…」


何だか頼もしい年下の女の子。少し可笑しくて、燈はほんのりと微笑んだ。

階段を降りて事務所の中に入る。既に全員揃っているようだ。……曖昧なのは、紙の山が事務所の中を埋め尽くしていて、人の姿が全く見えないからだ。

しかし、ガサガサと紙を漁る音と三人の話し声が聞こえていた。


「あ、ラビィと燈おはよう!」


リックが紙の影からひょっこりと顔を出した。


「おせぇぞお前ら!!」


何処からかライジルの怒声が聞こえたが、昨日の事があってか、あまり怖いとは思わなかった。


「おはよう。来たね」


ウィルが綺麗な笑みを浮かべながら燈の前までやってきた。今日は紺の刺繍の入ったフードを被っておらず、背中に垂らしていた。


「……おはようございます」


昨日の事を思い出し、燈は声を低くして棒読みに挨拶をする。


「どうしたの? そんな不機嫌そうな顔して」


不機嫌な燈を見て、ウィルは目を丸くした。怒りの見当が全くついていない仮上司。そんな彼を見て、燈は思わずウィルに詰め寄った。


「あの扉が私の家に繋がっているって何で教えてくれなかったんですか!」

「え? 書き置きが置いてあったと思うけど…」

「部屋に入る前に教えてくれたっていいじゃないですか!」


燈がそう言うと、ウィルはようやく「ああ」と納得して頷いた。


「なるほど。教えた方が良かったんだ。それはごめんね」


悪びれる素振りも見せず、彼はニコリと微笑んだ。全然気持ちが込もっていない言葉に、燈は恨めしげにウィルを見上げた。


「え? あの扉燈の家に繋がっているの? 行きたーい! 今度行ってもいいー?」


その話を横で聞いていたラビィがピョンと飛び跳ねて燈の腕に抱きついてきた。腕から伝わるラビィの体温は、人間よりも温かかった。


「あ…いいですよ」

「やったー!」


ラビィは嬉しそうにその場で飛び跳ねた。高校生くらいに見える彼女だが、行動や言動で幼く見える。ラビィを見ていたら、ウィルに対する怒りも音を立ててしぼんでいった。


「おい! 喋ってねぇで早く仕事しろ!」


そうこうしていると、何処からかまたライジルの怒声が飛んできた。


「あ! すみません!」


燈は床に散らばった紙に気を付けながら慌てて席についた。その後にゆっくりと自分の席に着いたラビィは口に手を当てて含み笑いをした。


「見た目あんなのなのに中身は真面目君だよねー」

「聞こえてるぞサボり魔!!」

「わー怖―い! ジルちゃん地獄耳―!」

「変なあだ名付けるな! このぶりっこ兎が!!」


紙の山で相手は見えないはずなのに、二人の口喧嘩はヒートアップしていく。喧嘩を止めた方がいいのかとおろおろとしていると、背後から肩を叩かれた。振り返ると、そこにはウィルが立っていた。


「いつもの事だよ。あの二人は放っておいて。とりあえず今日は書類整理を手伝ってもらえるかな?」

「あ…はい」

「これは自分でも叶えられそうだと思ったり、思いが浅そうなやつは弾いてくれるかい?」

「何処に弾けばいいですか?」


そう尋ねたと同時に、隣のライジルが紙を何枚も床に捨てているのが見えた。


「ああやって床に落としてくれ。処理は私がする」

「……分かりました」


床に散らばっているのは浅い思いが書かれた紙なのか。燈は大きく頷いて早速仕事に取り掛かる事にした。一番上からは取れないので、崩れないように下の方を抜き取る。バランスが悪そうなので、何とも集中力のいる作業だ。必死に一枚の紙を引っ張っていると、


「ああ、そんなに神経を尖らせなくても大丈夫だよ。崩れ落ちない魔法をかけているから」


上司から、そうお声がかかり。


「……そうですか」


何て便利な能力なのだろう、と思いながら、緊張感が抜けた燈は紙を素早く引き抜いた。紙は至って普通の紙だ。真っ白な紙に住人の願いが真ん中に大きく書かれていて、右下に住所らしき筆記もある。燈が初めて取った住人の願いは、『背中を掻いてほしい』という、他に願いは無かったのかと突っ込みたくなるものだった。即効床の下に捨てた。次々に紙を抜き取っていく。

『タンスを作ってほしい』

(これもいいよね? 家具屋で買ってくださいという事で……)

『玉子焼きを作ってほしい』

(作り方を教えてくださいって事? これも……わざわざ言って叶えるものじゃないよね?)

『あー悩み事なんてないや』

(これに至っては悩み事でも何でもないんだけど!?)


「あのー……ウィルさん?」


後ろで見守っていた仮上司に声を掛ける。


「何だい?」

「この中に……重要な願い事ってあるんですか?」

「あるよ」

「どれくらい?」

「まあ……千枚に一枚くらいかな」

「ええ!!?」


あまりの低確率に、燈は目を思いっきり見開いた。これでは宝くじで小当たりするより確率が低い。


「一日で何百枚も来るけど、本当に叶えて欲しいのなんてほんの一握りだ。結構暇潰しで書く人多いんだよね」

「それ改善した方がよくないですか!? どうでもいい願いは送って来ないでくださいって言った方がいいですよ!」

「そう? ……まあ、検討してみるよ」


ウィルは微笑みながらサラリと言った。この顔は考える気、さらさらなさそうだ。のんびりした仮上司の姿に、燈は密かに溜め息を吐いた。


「この仕事は根気強さが大切だからね。じゃあ頑張って」


そう言うと、ウィルは前にある自分の席へ戻っていった。燈は自分の目の前に立ちはだかる紙のタワーを苦い顔で見上げた。上の紙に辿り着くのは一体いつの日なんだろう。この一ヶ月の期間では絶対に拝めなさそうだ。深いため息が漏れる。想像力を作る為の出張だから、仕事はそんなに根気のいるものだとは思わなかったのだが…


「大丈夫だよ燈ー! 数枚見ずに捨ててもどうせ大切な願いじゃないからー」


慰めだとは思えない言葉が目の前の紙の束から聞こえてきた。ラビィの姿は見えなかったが、早い速度で紙が床に落とされているのが見えた。


「てめ! 何吹き込んでんだラビィ!」


憤慨しながらも一枚一枚しっかりと目を通して捨てて行くライジル。それを見て、彼は見た目で判断してはいけない良い例だと感じた。


「もー、二人って仲良しだよねえ」


今まで黙っていたリックが無邪気な笑顔を浮かべながら言うと、隣のライジルが「はあ!?」と思い切り声を張り上げた。


「仲良しじゃねぇ!! お前の目は腐ってんのか!?」

「腐ってないよ! 僕の目はピチピチ新鮮!」

「お! 上手いねーリック!」

「何処がだバカ共!!」


わいわいと騒いでいる三人を見て、苦笑していた燈だったが、話をしていても彼らは手を止める事はせずにきちんと仕事をしている事に気付いた。……ラビィは判断出来ないが。ラビィもライジルもリックも、働いている時の表情は何処か生き生きとしていた。


「よし!」


燈は腕まくりをして気合いを入れると、紙のタワーから大切な願いを探し始めた。

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