第12話

願いを探し始めて数時間。しばしばする目を擦りながら、燈達は根気よく探していた。時々皆と談笑しながらだったので苦痛には感じないが、この量はきつい。

やっと天井から数センチ離れたと思ったらウィルが「まだあるよ」と魔法で紙を積み上げ。これは叶えた方がいいんじゃないかと聞けば「そうでもないよ」と仮上司に却下され。本当に叶えなければならない願いはあるのだろうか。最初はやる気に満ち溢れていたのに、今ではそんな疑問しか湧き上がらなかった。


「どう燈?見つかった?」

「……いえ、全く」


部長椅子に座るウィルがそう尋ねてくるのが恨めしい。ウィルは自分の席に積み重なっている紙に手を付ける事無く、皆が散らばせた紙を魔法で綺麗に整理整頓をしているだけだった。


「始めからそんな感じだと疲れるでしょ? 少し庭を散歩してきたら?」

「わーい! 行くー!」


燈の代わりにラビィが待ってましたとばかりに元気に返事をした。


「ラビィは駄目」

「ええ! 何でぇ!?」

「花壇に植えられている草をつまみ食いしたいだけだろう? だから駄目」

「ぶー! ウィルのケチ!」


ラビィは白い頬を膨らませてぷいとそっぽを向いた。


「庭なら私がついて行かなくても大丈夫だろう。結構広いから散歩にもなるし」

「いいんですか?」


ここへ来てから外には出ていなかったので、是非とも行きたい。それに、ミレジカの雰囲気を少しでも味わいたかった。


「いいよ。ただ、庭の外には出ちゃ駄目だよ」

「分かりました」


座りっぱなしでお尻が痛くなっていた所だったので、気晴らしには丁度いい。燈は立ち上がると、意気揚々と外へと出て行った。



******



青々とした芝生。花壇に植えられた鮮やかな花々。庭の端には水の澄んだ池がある。広々としていて、まるで何処かのお城の庭園のよう。綺麗だ。燈はほんのりと微笑んだ。都心に住む燈にとって、この雰囲気はなかなか味わえないものだった。空気が美味しい気もする。

本当に、自分の住む所とは大違いだ。高層ビルが全く建っていないので、空が幾分広く感じる。

ぐるりと回って庭全体を見る。ウィルと来た時少しだけ見た庭。事務所の散らかりようが嘘かと思えるくらい、庭は小綺麗に整えられていた。

誰が庭を整えているのだろう。燈はふと考える。

ウィルだろうか。彼なら魔法を使えば一瞬で庭を綺麗に出来そうだ。……いや、事務所の中があんな事になっているのだから、出来たとしても彼は行動に起こさないかもしれない。

ラビィとリックは無さそうだし、ライジルがやっているのだろうか。強面だけど、マメなようだし、花の世話をしているのかもしれない。


「……プ」


想像して噴き出してしまった。いけない。こんな所を虎模様の彼に見られたら怒られてしまう。

腰を屈めて花壇の花を覗き込む。見た事の無い花ばかりだ。昨日ウィルがくれた虹色の花もある。

綺麗な花々が咲く一方で、茎がねじれて奇妙な形をした草も生えていた。

花の良い匂いに、燈は目を閉じてそれを肺いっぱいに吸う。甘い果実のような匂い。地球上で存在する匂いに例えると、南国になる果物に近いかもしれない。花の匂いを堪能しているとーー


「ねぇ」

「……え?」


突然、誰かに話し掛けられた。顔を上げて周りを確認してみるが、人の気配なんて全く無い。穏やかな風が、燈の肩にかからないくらいの髪をふわりと撫でる。気のせいかと思ったが、


「気のせいじゃないわよ」


また聞こえた。ラビィとは違う、落ち着いた女の人の声。しかし、やはり周りに人はいない。


「こっちよ、こっち」


ここでやっとその声が花壇の方から聞こえている事に気付いた。燈は花壇を目を凝らしながら見つめる。そんな中ーー綺麗な花々の隅に、小さな花が植えられている事に気付いた。赤い花弁が……まるで口のように閉じたり開いたりしている。怪訝な面持ちで見つめていると、


「こっち!」


その花から探していた声が聞こえてきた気がした。


「え!? もしかして、あなたが喋っているの!?」

「……え? ……やっと気付いた? 全く…早く気付きなさいよね」


見つかった事に驚いたのだろうか。何故か戸惑った声を漏らしてから、ふぅと可愛らしい溜め息を吐いた。燈が探していた声の主は、何と花だった。赤い花は声を出していない時もパクパクと花弁を動かしていたが、確かにこの花が喋っていた。


「花も喋るんだ…」


唖然としながら呟くと、花はクスクスと可笑しそうに笑った。


「あなたの世界の常識に囚われては駄目よ」

「そっか…」


橘にも、ウィルにも言われた言葉だ。私の住む世界とは違うのだから、深く考えるなと。ふと、違和感に気が付き、燈は首を傾げた。


「あれ? 何で私が別の世界から来たのを知っているの?」


燈が違う世界から来たのは、ウィル達しか知らないはずだ。ミレジカにも少ないが人間はいると言っていたから、何も言わなければ分からないと思ったのにーー花はパクパクと口(?)を動かしながら言う。


「あなたはミレジカの住人とは違う雰囲気を纏っているからよ」

「違う雰囲気…」

「まあ、あなたには分からないでしょうけど」


そう言って花は笑ったような気がした。…まあ、口と声しか判断する事が出来ないので、もしかしたら違うかもしれないが。


「あなた名前は?」

「私は燈。あなたは?」

「セイラよ。よろしくね」

「よろしく…」


花に自己紹介をするなんて変な感じだ。燈は気恥ずかしくなって、後頭部を掻いた。


「あなたはここで働いているの?」

「まさか。ここで陽の光を浴びているだけよ。ここは日当たり抜群だし、いい場所を見つけたわ」

「へぇ…」


確かにここは陽の光が充分に差し込まれているので、ぽかぽかとして気持ちがいい。花にとっては絶好の光合成スポットなのかもしれない。そんな事を考えていると、セイラはポツリと呟いた。


「それにしても、また違う世界の人間がここに来るなんてね」

「え…? やっぱり、ここに来た事ある人いるの…?」

「ええ。随分昔の話らしいけどね」


妙な違和感に、燈は首を傾げる。確か橘はミレジカと取引していると言っていた。てっきり自分以外の人もこうやって出張に来ているのかと思ったが……燈の頭の中でハテナマークが大量にひしめく中、セイラはふぅ、と軽く息を吐いた。


「まぁそんな話はいいか。…どう? あなたの世界と全く違うでしょう?」

「そうだね。…違いすぎて、夢でも見ている気分だよ」

「そうでしょう? そんなに違うのかしら? 私も行ってみたいわ…」


落ち着いた声が夢心地に言う。そう言われると、セイラを自分の世界に連れて行きたいように思えた。


「あ、私の家なら行けるよ。多分外には出られないと思うけど…」


ドアがここと繋がっているのだから、現実世界の外には恐らく出られないのだろう。窓が開くか、今日試してみようと思う。


「本当?」


セイラの声が幾分明るくなったような気がした。表情が分からないので判断するのは難しいが、その声は喜んでいるようだった。


「うん、今度鉢植え持って来るね」

「ありがとう、燈」


これも住人の願いを叶える事だ。やっとここで仕事のような事が出来ると思えて、燈は顔を綻ばせた。


「…ねぇ、あなたの世界ってどんな所なの?」

「ここよりも自然が少なくて、たくさんのビルが建っているの」

「ビル? 何それ?」

「ビルはね……」


燈は自分の世界について話した。自分がどんな生活をしているのか、ミレジカとは何が違うのか……色々な事を。

セイラは燈の話を興味深く聞いていた。時には驚き、笑い。燈も楽しくなってしまい、時間も忘れてセイラと話をしていた。



「……燈?」


セイラと話し込んでいた時に突然声を掛けられたので顔を上げると、ドアの近くで不思議そうに燈を見つめているウィルの姿があった。


「あ、ウィルさん…」

「何をしているんだい?」

「あ、今この子と……」


話していたんです、とセイラを指差そうとした時、


「燈! 私の事は……ウィルには言わないで」


セイラが切羽詰まった小さな声で燈の言葉を止めた。


「……え?」

「お願い」


あまりにも鬼気迫るものがあったので、燈は戸惑いながらも軽く頷いた。


「燈……?」


花壇をずっと見つめているのを不審に思い、ウィルは怪訝な表情で燈に近付く。燈は慌てて立ち上がった。


「あ、ちょっと花壇に見とれてしまって…!」


目が泳ぎまくっているので、どう見ても怪しい。

嘘をつくのが苦手な燈には精一杯の誤魔化し方だった。普通なら燈が嘘をついているのはバレるはずなのだが、ウィルは「そう? それならいいんだけど」とあっさり燈を信じた。


「それはライジルが世話しているんだよ。彼に言ったら喜ぶよ」


やはりりライジルが手入れをしていたようだ。衝撃的な事実に、燈はまた笑いそうになってしまった。


「そろそろ戻っておいで。みんなで昼食を食べよう」

「あ、はい!」


燈は背を向けたウィルに気付かれないように、セイラに向かって手を振った。セイラは何も言わなかったが、ただ口だけが喋っているかのようにパクパクと動いていた。

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