第8話

「それで…ウィル! 燈はどうするの? 今日から働くの?」

「いや、今日はミレジカの案内をするよ。ある程度場所を把握しておいた方がいいだろうし」


リックの問いにそう答えるとウィルは燈に向かって微笑んだ。


「!」


どう反応したらいいのか分からず、燈はペコリと頭を下げた。


「あ! それ私も行くー!」

「ラビィは駄目」

「えぇ! 何で!?」

「君はここで書類整理をしていな。何処かの誰かさんがサボったお陰でこんなに溜まっているんだからね」

「ぶー! ウィルのケチー!」


ラビィは頬を膨らませた後に舌を出した。一日に何通願いが届くのは知らないが、どれくらい整理を怠ったらこんな事になるのだろう。自分の席にも積み重なっている紙の山を見て、燈は密かに疑問に思った。


「じゃあ私はこれから燈と出掛けるよ。少しの間ここを空けるから留守を頼むよ」


フードを被り直しながら燈に来るようにと手招きをされたので、床下に散らばる紙に気を付けながら、足を進める。最後の最後で滑りそうになったが、ウィルが寸での所で受け止めてくれた。


「あ、ありがとうございます…」


気恥ずかしさから顔がほのかに赤く染まる。


「フフ、君は危なっかしいな。しっかり離さないでいないと」


そう言ってウィルは燈の手をしっかりと握った。今日一日で何度も手を繋いでいるが、何だか慣れない。手を繋ぎ慣れていないわけではない。手を繋ぐ相手がウィルだから、妙に緊張してしまう。


(ううう……手汗大丈夫かな……)


手を拭きたいあまり、何故か逆の手をスカートに擦り付けた。

そんな燈の不審な行動に気付かないウィルが「じゃあ行ってくるね」と身を翻してドアノブに触れる。しかし、ドアノブを回そうとした時……突然何かを思い出したかのように後ろを振り返った。


「……そうだ。ライジルも一緒に行くかい?」

「…はぁ? 何で俺が?」


名指しされた本人も予想外だったらしく、ライジルのつり上がった眉がひくりと動いた。


「私より君の方が土地勘があるだろう。一緒に来てくれないか」

「嫌だ。何で俺がそんな面倒くせぇ事をしなくちゃいけねぇんだよ。土地勘ならリックの方があるだろう」

「いいのかい?私がリックを連れて行ったら、ラビィと二人きりだよ」

「………」


その瞬間、ライジルの表情がビシリと固まったラビィと二人きりになるのが相当嫌なのだろう。


「えぇ! ライジルと二人きりなんて死んでも嫌だ!」


ラビィも同じ気持ちだったようで、手足をバタつかせて精一杯の拒否を見せる。


「俺だっててめぇと二人きりなんてお断りだ!!」


ライジルは「あーっ!」と苛立ちで髪を掻き乱すと、鋭い眼光を燈に向けた。


「燈! この俺が教えてやるから、一回で覚えろよ!!」

「は、はい!」


ライジルの迫力に圧され、燈はぴしっと背筋を伸ばした。


「じゃあこっちにおいで」


紙の溢れた事務所を後にして、燈とウィル、そして全身に入れ墨の入った強面のライジルは玄関の真正面にあった階段を登っていた。


「あの……外に出るんじゃないんですか?」


案内すると言っていたのでてっきり外に出ると思っていた燈。すると燈の後ろを歩いていたライジルが荒々しく舌打ちをした。


「ごちゃごちゃ言うんじゃねぇ。ウィルがついてこいって言っているんだから黙ってついていけ」

「す、すみません…」


燈は背中を丸めて萎縮する。やはりライジルは見た目通り怖い。ついてくるなら、ラビィかリックがよかった。二人は歓迎してくれたが、彼は始めから好意的ではなかった。

なるべくライジルとの距離を取ろうと、小走りでウィルの隣に並ぶ。二階はドアがズラリと並んでおり、それぞれにネームプレートがぶら下がっていた。まるでアパートのようだ。よく見ると、みんなの名前が入っている。歩きながらドアを物珍しげに見つめる。職場と寮が一緒になっているのだろうか。

とあるドアのプレートを目にした時、燈は足を止めた。そこには、『柊燈』と自分の名前が掲げられていた。これは、燈の部屋という事なのだろうか。そういえばここに入る時、ウィルが働く場所でもあり、過ごす場所だと言っていた。ここが燈の住む部屋なのかもしれない。


「あの……」

「何ボーッと突っ立っているんだ。早く行け」

「あ……すみません」


前を歩くウィルに聞きたかったが、ライジルに急かされたので、慌てて足を進めた。ウィルが足を止めたのは、一番奥の扉の前だった。ネームプレートには何も書かれていない。しかし、ウィルがそれに触れると、『資料室』という文字が滲み出てきた。


「!」


ウィルの魔法の仕業だろう。いちいち驚いてしまう自分が嫌になってくるが、それは仕方が無いと自身を慰めた。


「さぁ、ここだよ」


そう言って扉を開け、二人に入るよう促す。中は薄暗く、よく見えない。恐る恐る中に足を踏み入れると、埃臭さが鼻についた。


「うげ……ここ掃除されていないのかよ」


次に入ってきたライジルが顔をしかめて鼻を摘まんだ。


「まぁ、ここも滅多に使われないからね」


ウィルが指を鳴らすと、壁に掛けられていたランプに光が灯り、中の全貌がようやく見えるようになった。

資料室と掲げられていた事もあり、中は何かの資料でいっぱいだった。壁際に小さな机と椅子があったが、その上は地図のような紙と分厚い本がぞんざいに置かれている。

本棚にはビッシリと辞書のような本が連なっている。その隣の小箱にも色褪せた紙切れが大量に入っていた。


「この部屋は普段は何もない。……だけど、私が扉に魔法を掛ければミレジカの何処にでも繋がるんだ。ここはミレジカの古い資料が保管されている資料室だよ」


ウィルは本棚からとある本を出すと、机の上にある資料を小箱の中に適当に入れる。その上に本を置いた。勢いよく置いたせいで、机の上の埃が舞った。


「……ゴホッ。…ウィル、てめぇ!」

「あぁ、ごめんね。それより、これを見て」


さほど申し訳なさそうに言わず、本のページを数枚捲って燈に見せた。そこに載っていたのは古めかしい地図。長方形が少し逸れたような形をした島が真ん中に大きく描かれている。右端にはミレジカと書いてあった。


「これはミレジカの地図だよ。ここが今いるトナマリ町」


そう言って真ん中辺りを指差す。


「ここは商業が盛んでね、少し行った所には商店街がある」

「商店街……」

「少し景色を見てみようか」


ウィルが指先で本を叩くと、地図が水面のように揺らめいた。


「うわ…」


揺らめきが無くなったかと思うと、そこに地図は無く、代わりに何処かの風景が映し出されていた。

レンガ調の店が立ち並んでいる。どうやら商店街のようだ。

異種多様な人達が様々な物を売り買いしている。

見た事のない赤色の果実だったり、ビーズで作ったアクセサリーだったり。まるで小さなテレビを見ているかのようだ。本の中の人々は普通に動作していた。


「……これ…」

「ああ、トナマリの風景だよ。ここがトナマリで一番栄えている場所だよ」


燈は本に顔を近づけてまじまじと見つめる。

それは自分の世界の商店街にさほど変わりは無かった。


「ここで食糧を調達するといい。おススメはライジルに聞きな」

「はぁ!? 何で俺が!」


遠目で本を見ていたライジルが勢いよく顔を向けた。


「それはどう考えてもオロロンの方が適役…!」

「上司の言う事が聞けないっていうのかい?」


にっこりと笑う上司。その背後に黒いオーラが漂っていたように見えたのは気のせいではないと思う。


「……ちっ、分かったよ」


上司の圧力に負け、ライジルは不満そうに鼻に皺を寄せた。


「この商店街はここから数分で着く」


ウィルがもう一度本をつつくと、元の地図の姿に戻った。


「場所は教えておくけど、なるべく私と一緒に行動してもらうよ。迷子になったら困るからね」

「…私、もう子供じゃないですよ」


子供扱いされたような気がして、燈はぷくりと頬を膨らませた。


「フフ、ごめんごめん。…じゃあ話を続けるよ。ここはさっきいたイロノ草原。ミレジカの約30パーセントがこの草原だ」

「え!? 三割も!?」

「トナマリにすぐに着いたからそんなに広くないと思っただろう。あの時はイロノ草原の端っこにいたんだよ」

「なるほど…」


ミレジカがどれくらいの大きさなのは分からないが、イロノ草原が予想以上に広い事は分かった。


「じゃあ次にこのトナマリの隣の……」

「おいウィル」


説明しようとするウィルの言葉を制し、不機嫌そうなライジルが一歩前に出た。


「俺はそんなちまちました説明を聞きに来たわけじゃねぇぞ。燈に案内をするからって来たんだ」

「…まずは軽くミレジカについて知って貰った後に出掛けようかと思ったんだけど」

「そんな面倒くせぇ事しないでさっさと案内をすりゃあいいんだ」

「全く……せっかちだな、ライジルは」


ウィルは溜め息を吐いて指を鳴らす。すると本がふわりと浮き、本棚へと戻っていった。


「あんたがのんびりすぎなんだろ。あんたのマイペースに俺らがどれだけ振り回されていると思うんだ?」

「……」


ウィルは微笑んでいる。しかし何故だろう。この二人の間には険悪なムードが漂っているのが見て取れた。険悪な雰囲気になった原因が自分にもあるので、燈は黙っていられなくなった。


「……あっ、あの…! 案内は後でもいいですよ! 仕事で出掛けたりするんですよね? その時ついでに教えて貰えばいいですから…!」

「……そう?」


「そうです!」と燈が勢いよく言えば、ウィルの背後から黒いオーラが消えた。しかし、ライジルはまだ気分を損ねているようで、上司を肉食獣のような鋭い瞳で睨んでいる。何か話を逸らさなければと考えていると、ふとライジルの腕に目がいった。

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