ミレジカ

第6話

「着いたよ、燈」


ウィルにそう言われ、燈は恐る恐る目を開いた。


「………わ」



思わず声を上げる。最初に見えたのは、見慣れた廊下ではなく一面の広大な草原。色鮮やかな花が所々に咲いている。

遥か遠くに、建物がちらほらと見えたが、高層ビルのような高い建物は見当たらない。空を見上げれば、雲一つない晴天。青々とした草花に燈は見とれる。


(これが……ミレジカ。私達の暮らす世界とは別世界の場所……本当に……来ちゃったんだ……)


「どうだい。何もないだろう?ここはイロノ草原。君の会社と繋がる事の出来る唯一の場所だよ」


隣のウィルがそう言ったので、燈はハッと背後を振り向く。一面の草原に、ポツンと扉が一つ。それは燈も見慣れた応接室の扉だった。思わずその扉を触ろうとしたが、その直前に音も無く消えてしまった。


「あそこと繋がった扉を出現させる事が出来るのは、私か私くらいの魔力を持った魔法使いだけだ。だから私があの扉を出現させない限り、燈は元の世界に戻れないね」

「……」


燈がジトリとウィルを見ると、ウィルはおどけたように両手を肩の高さまで挙げた。


「私ではないよ。決めたのは君の上司達だ」

「……分かってますけど」


でも、このどうしようもない憤りを誰かにぶつけなくて仕方がない。

普通の玩具メーカーに勤めていたはずなのに、魔法使いに会い、そして異世界に飛ばされた燈。そして最後に橘があっさりと異世界へ送った事が未だに信じられなかった。決まっていた事とはいえ、引き止めもせずに笑顔で見送った橘が薄情に思えて仕方がなかった。


「じゃあ今日はミレジカを軽く案内をするよ。……燈?」


浮かない顔をしているのに気付いたウィルが不思議そうに燈の顔を覗き込んだ。


「どうしたんだい?調子でも悪いの?」

「……こんなとんでもない所に来て、平静にいられる人なんていないと思いますよっ!」


ウィルがあまりにも場違いな事を言うものだから、思わず声を荒げてしまう。


「もう、意味が分かりません……!ウィルさんが無理矢理連れてきて…私は来たくなんてなかったのに……!」


頭を俯かせて目を瞑る。自分でウィルの手を取ったくせに、来たくなかったと駄々をこねる燈は自分勝手に見えただろう。しかし、燈はまだ状況も把握出来ず、混乱していた。自分が滅茶苦茶な事を言っているのに気付かない。


「燈……怒っているのかい?」

「当たり前です!」


普通に暮らして、平穏に生きるはずだった。それなのに、こんな訳の分からない所へ放り出されて。夢なら醒めて欲しいと願う。目を開いたら、魔法使い使いがいなくなっていて、いつもの平凡に戻っていて欲しいーー

ひたすら願っていると……


「……」


突然、隣に感じていたウィルの気配が消えた。燈が目を開くと、やはりウィルの姿が消えていた。


「ウィ……ウィルさん…!?」


グルリと辺りを見回すが、ウィルの姿は見当たらない。草原には燈一人がいないというくらい、人の気配が無い。


(……まさか、怒って私を置いていってしまった?)


サァ、と血の気が引く。


「ウィルさん! 何処ですか!?」


草原を駆け、グレーのローブを探す。しかし、ウィルの姿は見えない。燈は半泣きになっていた。ミレジカという異世界で、頼りになるのはウィルだけだ。彼に見捨てられたら、燈はどうにも出来ない。


「ウィルさんっ…」


悲痛な面持ちで燈が叫んだ時だった。突然背後から手が伸びてきて燈の腰に回された。


「……なっ!」

「どうしたの、燈」


一瞬不審者かと思い心臓が飛び上がったが、次に聞こえてきた声に燈は酷く安堵した。


「ウィルさん…」


燈が振り返って見上げると、そこにはウィルの優しい笑顔。


「駄目だよ、私が側にいない時に動きまわっちゃ。迷子になったらどうするんだい」

「だって…ウィルさんが突然いなくなるから……」

「ああ、ごめんね。燈が落ち込んでいるみたいだったからさ、これ摘んできたんだ」


そう言うとウィルは手に持っていたものを見せた。


「わぁ…!」


それを見て、燈は感嘆の声を上げる。ウィルが持ってきたのは色鮮やかな花だった。マーガレットのような形をしており、その花弁は一枚一枚が違う色に輝いていた。


「綺麗だろう。この花はイロノ草原にしか咲かないんだ。これ、燈にあげるよ」

「え…いいんですか?」

「燈の為に持って来たんだ。女性が落ち込んでいたら花を渡すのは当然だろう?」

「……!」


その言葉に燈は赤面する。ウィルは燈の髪を耳に掛けてやり、その上に虹色の花を差し込んだ。


「うん、似合ってる」


ウィルの大胆な行動に、燈は戸惑いまくりだった。この男はやたらとキザな事をする。それでもそれが様になるのは、容姿にかなり恵まれているからだろう。これだけ近くで見ても、欠点が全く見当たらない。


「ーー!!」


燈はやっとウィルに抱き寄せられているような格好になっている事に気付いた。


「あっありがとうございますぅ!」


変に声を裏返しながら勢いよく離れる。


「元気になった?」

「はい! それはもう!!」


赤い顔で必死に言う姿は滑稽に映ったのだろう。ウィルはクスクスと可笑しそうに笑った。


「それならもう大丈夫みたいだね。じゃあ、これからミレジカを案内するよ」



*****



イロノ草原から飛行三分。ようやく市街地と呼べるような場所に着いた。


「ここはトナマリ町。ミレジカでは二番目に栄えている町だ」

「………」

「あれ、また元気なくなった?」

「……あの、今度から飛ぶのは止めてくれませんか」


そう言う燈の顔は真っ青だった。ミレジカを案内すると言って、歩きで行くのかと思いきや、ウィルは魔法を使って空を飛び始めたのだ。燈は高所恐怖症。ウィルにしっかり抱き寄せられていたものの、遠くに見えるイロノ草原を見て、燈は気が気ではなかった。


「そう? 空飛ぶの気持ちいいのに。…まあいいや。とりあえず、君はここで一ヶ月過ごす事になる」


そう言われ、燈は顔を上げた。道を挟んで一階建てのレンガ造りの家がズラリと並んでいる。どれも全く同じ形で個性を感じられない。道も舗装されておらず、凹凸が目立っている。二番目に栄えていると言っていたが、燈にはそうは見えなかった。

そして行き交うトナマリ町の住人達。


「……いっ」


住人達の異形の姿に、燈は顔を引きつらせた。二足歩行の猫が服を着て歩いている。手のひらサイズの人間が蝶のような羽を広げてふわふわと飛んでいる。そして地球上には存在しないつるんとした玉子のような生物もいる。


「…人間がいない…」

「ここでは人間の方が珍しいよ。…じゃあ、君の住む場所と働く場所を案内するよ」


そう言ってウィルは驚愕する燈の手を自然に取って歩き出した。

燈の格好が珍しいのか、それともウィルと手を繋いでいるからなのか定かではないが、ミレジカの住人達は奇異の目で燈を見つめる。燈もその人達を物珍しげに見つめ返す。

普通の人間がいたと思いきや、頬に鱗がついていたり、手足が獣だったり。普通の犬がいると思ったらその犬は流暢に言葉を話している。

本当に違う世界なんだと改めて思う。 ウィルも普通の人間ではないのだろうかとふと思う。魔法使いだが、見た感じ普通の人間だ。……尻尾でも生えているのだろうか。

そう思いながら彼の後ろ姿を見ていると、突然ウィルが足を止めた。


「ブッ」


燈は背中にもろに顔をぶつけてしまう。


「着いたよ」


鼻を擦っていると、前に立つウィルからそんな声が聞こえた。


「ここが、君の過ごす場所。……そして、働く場所だよ」


そう言われて顔を上げると、目の前には三階建ての大きな屋敷があった。レンガ造りなのに変わりはないが、大きさはズラリと並んでいた家の数倍もあるし、白い柵で囲まれている。


「…大きい」


植木で造られたアーチを通り、屋敷の大きさがより一層分かった。広い庭もあり、燈が貰った虹色の花が花壇で咲いている。入口の側にはポストのような赤い置物がポツンと置かれていた。


「さあ、こっちだよ」


ウィルに促され、燈は屋敷の中に入る。玄関は小綺麗な雰囲気だった。床は赤い絨毯が敷かれていて、上を見上げると小振りなシャンデリアが飾られている。

玄関のすぐ近くに受付のような場所があり、目の前には二階に繋がる階段が。左側に目を向けると、そこには扉が一つあった。受付には誰にもいなかった。ウィルは受付に目もくれず、左側の扉を開けた。


「………わ」


中を見て、燈は思わず声を上げた。一番に目に入ったのは積み重なった紙の山。一人用の机が幾つかあったのだが、そのどれもが紙の山に押し潰されていた。

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