第7話
明日香と春斗が次に向かう場所は教室だ。図書室や家庭科室のあった特別棟とは別の教育棟にある。
先程は普通に上履きで外へ出て行ってしまったが、きちんと昇降口から入る。下駄箱が並んでいる中、上履きの土を軽く落としてからまた履き直す。春斗もうっかりしていたようで上履きのままだった。記憶を失っていたが春斗もこんな世界へ来て動揺していたのだろう。
下駄箱は上履きが入っていたりシューズが入っていたりと、まるで生徒が存在するかのような風景だ。だが、この持ち主はこの世界には存在していない。春斗が明日香の為の世界だと言っていたが、未だに変な感覚だ。
一年生は三階、二年生は四階、三年生は二階に教室がある。てっきり二年生の教室を行くと思ったのだが、春斗は三階の一年生への教室へと向かう。
「あれ? 私達二年生なんだよね? 何で一年の教室なの?」
「二年になったら明日香とクラスが違ったんだよ。だから一年三組! 俺と明日香と文乃が同じクラスだったんだ」
二年生は春斗と同じクラスではなかったのか、と明日香は胸中で残念に思う。
階段の手前の教室には一年五組のプレートが。扉の窓から中を覗けばやはり水族館のように水でいっぱいになっていた。試しに扉を開いてみようとするが、びくともしない。
自分が行かなくてはいけない場所は水が張られ、入れないようになっているようだ。
一年三組の扉はすんなりと開いた。そして空中には空色の【追憶の宝石】が。
何も書かれていない黒板、出席簿が置かれた教卓、並んだ机には鞄が置きっぱなしになっていたりしている。
今の一年生が使っている教室ではなく、明日香達がいた時の教室のようだ。何となく懐かしさを感じる。
春斗は躊躇なく動き出すと窓際の一番後ろの席に座った。
「俺がここで明日香が隣! ここ窓際だからポカポカしていてさー、昼寝に丁度良かったんだよ」
手招きをされ、明日香は素直に春斗の隣の席に座る。春斗は机に両腕を置いてその上に顔を乗せる。
陽に照らされてすやすやと眠る春斗。何だか見覚えがある。
「よく昼寝をしていたの?」
「まー、朝練とかで疲れていたからな! 先生にバレそうになったら明日香がこっそり起こしてくれたよ」
この世界は太陽がないが空は青く、陽の光が入っているかのような錯覚を覚える。自分の為にある世界だというが、一体ここは何処なのだろうか。記憶を取り戻したら本当に元の世界に戻れるのだろうか。
考えると不安しか出てこないので、春斗との会話や行動はとても助けられている。明日香はクスリと笑ってから、自分の机の引き出しを確かめてみる。
教科書やノートが入っている。試しにノートの中を見てみると見覚えのある文字が連なっていた。几帳面に書き連ねてあったが、たまに簡易的な魚の落書きがしてあり、自分は本当に海関係が好きなんだな、と感じた。
「引き出しの中も再現されているのか。俺の机の中は……って、汚ねえ!!」
春斗も自分の引き出しの中を見てみたが、紙屑やらパンの包み紙やらがボロボロと落ちて来た。
「春斗……」
「いやいやいや! 俺もっとちゃんとしていたって!! この世界は本物じゃないから! 本当の俺の机の中もっと綺麗だったから!」
「何かこんな光景見た事ある……」
「気のせいだから!!」
春斗は散らばった紙屑やらを拾って引き出しの中へ詰め込んだ。
他の机はどうなっているのか、と思っていくつかの中を探ってみたが、ほとんど中は入っていなかった。
「文乃の机の中には何か入っているんじゃないか? 文乃は確か廊下側の一番後ろだったよ」
そう言われて文乃の机の中を見てみれば、彼女が読んでいたらしい小難しそうな本がいくつか入っていた。
「文乃は今同じクラスなのかな。それとも春斗と一緒?」
「うーん? そうなんじゃないか? 俺と一緒じゃないのは確か」
「自分のクラスじゃないからって曖昧な」
文乃とは馬が合わなかったと言っていたが、明日香の親友なのだから知っていてもいいはずだが、と少し不思議に思った。
「ここへ来て何となく思い出して来たか?」
「うん、はっきりとは言えないけれど、この空間が懐かしいって思えるよ」
先程よりも朧気だった記憶が少しずつ戻ってきているのが分かる。まだ断片的だが、自分が明日香だという自覚は出来るようになったし、春斗の事も思い出し始めてきている。
この世界にいて時間は経っているはずだが、時が流れているように見えない。教室の時計は四時十五分を指したまま止まっている。
「なあ。ここにいる【追憶の宝石】はお前の事どうにかしようとはしないか?」
春斗は天井をジロジロと見つめながら心配そうに尋ねてくる。先程話した虹色の【追憶の宝石】のように眠らされてしまうのではないか、と考えたのだろう。
教室の隅で泳いでいる空色の【追憶の宝石】はこちらなど見ていないかのように優雅に泳いでいる。
「ううん。こっちの事は全く見ていないよ」
「そうか、良かった。今度虹色の【追憶の宝石】見たら気を付けろよ」
「ありがとう。……でも、ちょっと気になるんだよね。あの夢を見せた理由があったんじゃないかなって。多分あれは――私が元の世界にいた時の光景だと思うの」
水中でもがく一人の少年。あの光景は既視感があった。あの虹色の【追憶の宝石】は何かを伝えようとしていたのではないか。
そして少年から顔の見えない女子高生に変化したが、あれも何か意味があるのだろうか。
――後悔するのは貴女よ、明日香。
最後に女子高生はそう言っていた。一体どういう意味なのか――
「――もし見かけたら俺に言ってくれ。今度は俺がお前から離れないから、変な事にはさせない」
「うん、ありがとう」
春斗しかいないと思っていたこの世界で見つけた不思議な人。あの顔の見えない女子高生にはまた会う予感があった。彼等はきっと明日香の記憶の鍵を握っている。
(記憶を取り戻せたらきっと春斗と一緒に元の世界に行ける)
早く両親に会いたい、文乃に会いたい。
それなのに、顔の見えない女子高生の言葉が明日香の心にこびりついて離れなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます