第5話
虹色の【追憶の宝石】は大海を泳ぐかのように優雅に進んでいる。明日香は走って追いかけていたが、少しすると息が上がってしまい、立ち止まって息を整える。サッカー部のマネージャーだが自分の体力はあまりなかったようだ。
【追憶の宝石】は明日香が立ち止まった事に気が付き、その場で留まってくれていた。明日香が歩き出すと魚もゆっくりと進み出す。
勢いでついて来てしまったが本当に良かったのだろうか、と今更思う。だがどうしてかこの魚について行かなければと思ったのだ。他の【追憶の宝石】とは明らかに違う行動をしたこの魚は手がかりを握っている。そんな確信があった。
校庭を抜け、校舎の裏側に回る。目の前の【追憶の宝石】の他に赤や青の様々な色の同種がいたが、虹色の魚を見るとまるで道筋を譲るかのように避けていく。
この魚達にも位があるのだろうか、と思いながらついて行くと虹色の【追憶の宝石】はピタリと動きを止めた。明日香も同じように歩みを止める。
辿り着いた場所は明日香が倒れていた中庭だった。家庭科室や理科室等がある校舎の特別棟と生徒達が学ぶ教室のある教育棟の二棟に分かれている。特別棟と教育棟に挟まれる形の中庭は陽があまり入らず、やや湿気の多い場所だ。
「あのう……?」
自分が落ちた場所に何となくいたくない明日香は、止まって動かない虹色の【追憶の宝石】に声を掛ける。
【追憶の宝石】は少しの間前を向いたままだったが、急にこちらに顔を向けた。魚の目は無機質に見えて、思わず鳥肌が立ってしまう。
「どうして貴方は私をここへ連れて来たの……?」
魚に言葉など通じるはずがないのに、ついそう尋ねてしまった。【追憶の宝石】は口をパクパクとさせたまま何も言わない。
ポコ、と魚の口から水泡が出た。エラ呼吸の魚が口から泡を吐き出すなんてないはず、と思ったがそもそも【追憶の宝石】に魚の常識など通用しないのかもしれない。
虹色の【追憶の宝石】は泡を吐き出し続け、それにより虹色の身体が泡によって覆いつくされていく。
「え、何――!?」
その泡は明日香にまで及び、身体を覆いつくそうとしてくる。慌てて振り払おうとするが、泡は消えるどころか、増殖してどんどんと明日香の身体の自由を奪う。
「だ、誰か――! 春斗――!!」
必死に叫んだがその直後に全身を泡で覆われてしまい――気が遠くなるのを感じ、明日香はそのまま意識を手放した。
**
目覚めると明日香は水中にいた。
溺れる、と両手で口と鼻を覆ったが何故か呼吸が出来ていた。全身が水に浸かっている感覚はあるのだが、呼吸は出来る。現実世界ではありえない状況だ。
先ほどまで中庭にいたはずなのに、と周りを見渡してみるが、薄暗い水中には何もいない。虹色の【追憶の宝石】も、春斗も。
こんな薄暗い水中に一人だと心細くてたまらない。声は出るのか、と適当に声を発してみる。
「あー」
反響しているが声は出る。無音の中明日香の声は良く響いた。
「誰かいないの!? 虹色の【追憶の宝石】ー!! 春斗―!!」
大声で適当な場所へ呼びかけてみたが、誰からも反応がない。まさか虹色の【追憶の宝石】には特殊能力があって、変な場所へ飛ばされてしまったのでは、と不安に襲われる。
いや、そもそもあの学校自体普通では無かった。最初から自分は変な世界に紛れ込んでしまっているのだ。記憶を失い、目の前の不思議をそのままにしてしまっていたが、ようやくはっきりと確信した。
(あそこは絶対私がいた学校じゃない――! どうしたら元の世界に戻れるっていうの……?)
あの世界に存在している春斗は一体何なのだろうか。一緒にあの不思議な学校へ入り込んでしまったのか、それとも――
突然隣でドボン、と何かが水中に落下する音が響いた。明日香は思わず肩を跳ね上げてしまう。一体何事かとそちらに顔を向ける。
「――っ!?」
そこには一人の少年が口から泡を吐き出しながら苦しそうに首を抑えていた。明日香のように空気が吸えないようで、肺の中の空気が失われていっている。
ズキン、と頭が痛んだ。明日香はこの状況を知っている。この少年を助ける為に自分は――
「――っ、今は考えている場合じゃない!!」
覚えている少年を助けようと、明日香は手を伸ばす。だが、水中のせいで身体がうまく動かない。少年の身体はどんどんと下へと落ちて行ってしまう。明日香は手で水をかきながら少年を追いかける。
――あの時も。
誰かの声が勝手に頭の中で響く。思わず頭を押さえそうになってしまったが、何とか耐えて泳ぎ続ける。
泳ぐ度に、頭の中に映像が雪崩れ込んでくる。
大雨。氾濫する川。助けを呼ぶ小さな手。
(私は、この子を助ける為に――)
頭が痛い。呼吸が荒くなる。それでも明日香は目の前の少年の為に泳いでいた。――そうしなければならない、と使命感によって動いていた。
ふと、少年と目が合った。少年は苦しそうに表情を歪めながらこちらに手を伸ばす。
明日香の伸ばした手が、少年の手を掴んだ。
良かった、これで少年を救えると明日香が安堵した瞬間――少年が突然苦しむのを止めて明日香の方に顔を向けた。
「これで本当に助けたつもり?」
「――え?」
少年から聞こえた声は高く、女性のように思えた。少年は明日香が掴んでいた逆の手で腕を掴んでくる。
「貴女が助けるのは本当にこの少年?」
まるで他人事のように自分の事を尋ねる。先程まで水中で苦しんでいた少年とは思えない。少年の掴んでいる手から爪先にかけてぞわりと鳥肌が立っていくのを感じた。思わず振り払おうとするが、この小さな身体の何処にそんな力があるのか全く動かない。
「や、やめて――」
少年の身体が水面のように揺れたかと思うとその姿は変わっていた。顔ははっきりと分からないが、女性であり明日香と同じ制服を着ている。――あの時校庭の真ん中にいた人だ、と明日香は確信した。
顔は黒いもやがかかっているかのように見えない女子高生は、澄んだ声で言葉を続ける。
「貴女は帰るべきではない。あの子には貴女が必要だから」
「な、何を言って――!?」
「貴女だってそれを望んでここへ来たはず」
女子高生の言っている意味が分からないはずなのに、何故か全身が震えた。歯がガチガチと音を鳴らしてしまう。
――だって、帰ってしまえばきっとあの人は。
明日香は恐怖を感じている。だがそれは女子高生に、というよりも――
恐怖から目頭が熱くなるのを感じていると――突然頭上から人の手が伸びて来て明日香の腕を掴んだ。その腕は男の人の手で、女子高生のような怖さを感じさせなかった。
「――春斗?」
男の腕は力強く明日香を水面へと誘う。あんなに強く握られていた女子高生の手はするりと解けてしまった。水中だというのに春斗の体温が感じられ、恐怖心が嘘のように消えていく。明日香は反対の手で春斗の手の甲をぎゅっと握った。
「――後悔するのは貴女よ、明日香」
女子高生の恨めしい声が聞こえたが、明日香は振り返らなかった。
水面へと顔が上がった瞬間――突然光が溢れて明日香は思わず目を瞑ってしまった。
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