第3話
次に向かったのは家庭科室だ。春斗曰く、自分は家庭科が得意だったそうだ。器用だったお陰か料理も裁縫も得意で何度か家庭科部に勧誘を受けていたそうだ。
家庭科室は教員用の机と4人組で座る家庭科室特有の一台毎に水道とシンクが付属されている机が9台ある。
静まり返っている家庭科室だが、窓際の机一台に出しっぱなしのまな板の上に切りかけの野菜が転がっている。鍋も調味料も用意されており、先程まで誰かが使っていた形跡があるというのに人はいない。
料理を作りかけたまま席を外してしまったのだろうか――とは思わない。ここには春斗と明日香しかいないのだから。
しかし、他の人達が忽然と姿を消してしまったのは何故なのだろうか。【追憶の宝石】が見える代わりに人が見えなくなってしまったのでは、と仮説を立てたがそうすると春斗の存在が説明できない。彼は【追憶の宝石】も見えないし、他の人間がいるとも言っていない。
【追憶の宝石】は変わらず家庭科室を泳いでいる。ここへ来て少しだけ【追憶の宝石】の共通点が見えて来た。
保健室にいた魚は白系の清潔な色、図書室は落ち着いた緑系の色、そして家庭科室は火を使うからか赤系が多かった。
「お! もしかして明日香が作ろうとしていたのか!?」
春斗が嬉々として食材と料理器具が出しっぱなしの机へ向かう。
「そんなわけないじゃん。ずっと一緒にいたんだから」
「そうか? でもこれってお前の得意料理じゃん」
「え、何……?」
机上にはみじん切りにされた玉ねぎ、ボウルの中の溶き卵、こしょうなどの調味料。それだけでは何を作っているか分からない。
春斗は得意げに教師用の机の裏側にある二段の小ぶりな冷蔵庫の前に立つと、その扉を開いた。
「ウインナーにミックスベジタブルにご飯にケチャップ! これだけ言ったら分かるだろう?」
「あ……オムライス?」
「正解!」
ケチャップを持ちながら春斗は指を鳴らした。
明日香が記憶を取り戻す手がかりを手に入れる度に春斗は嬉しそうな表情をする。それを見ると少しでも疑っている事に罪悪感を覚えてしまう。
「俺んち両親が共働きで帰りが遅い事が結構あって、よく明日香の家で夕飯ご馳走になったりしたんだ。その時によく作ってくれたのがオムライスだよ」
明日香と春斗は幼馴染であり親同士が仲が良かったのだからそんな関係であってもおかしくない。
オムライスの作り方は何となく覚えているような気がする。みじん切りになった玉ねぎをぼんやりと見つめていると、春斗に顔を覗き込まれた。
「なあ、俺明日香のオムライス食べたい」
「え? あ、じゃあ帰った時にでも……」
「今食べたい! ちょうど材料もあるし作ってよ!」
「ええ!? だってこれ誰かが作りかけていたものでしょう? それを奪うのは……」
「大丈夫大丈夫!」
絶対大丈夫じゃないと思うのに春斗は爽やかに笑って明日香にオムライスを作らせようとする。最終的に根負けしてしまい、これを作っていたであろう誰かに心の中で謝罪をしてオムライスを作り始めた。
(やっぱり人は存在しているのかな……)
今まで感じなかった人の気配に少しだけ安堵した。願わくばここに戻って来て欲しい。――怒られると思うが。
もう炒めるだけだったのでバターを入れて玉ねぎをフライパンに入れる。春斗は真向いの席に座り顎を両手の上に乗せて嬉しそうにしていた。
「見られているとやりづらいなあ」
「俺の事は気にすんな!」
気になると言っているのに春斗は見る事をやめなかった。少し空気が読めない所があるようだ。
これ以上言っても聞かないだろうと諦めて明日香はオムライス作りを続行させる。
そういえば【追憶の宝石】が近くにいないと思って家庭科室内を見渡してみれば、部屋の隅で居心地が悪そうに泳いでいた。もしかしたら火を使っているからかもしれない。
生存本能を感じたのだろうか、と明日香は苦笑をした。
切ったウインナーとミックスベジタブルも加え、火が通ったところで冷や飯を入れる。具が混ざってきたところでケチャップ等の調味料を加える。ご飯の色が均等になったところでケチャップライスの完成。後は溶き卵をフライパンに入れ、少し火が通ったところでケチャップライスを入れる。フライパンの中でうまく包み、皿へ盛り付けてケチャップを上からかければオムライスの完成だ。
「はい、出来たよ」
「うおー! ありがとう! めっちゃ旨そう!!」
春斗は自分で用意していたスプーンを持ちながら手を合わせて「いただきます!」と元気に言ってからオムライスを一口食べる。
「う……うんまい!! やっぱりこれだよなー!!」
無邪気な顔でストレートに感想を伝えられると照れてしまう。明日香は自分用のオムライスを用意しながら「良かった」と言ってはにかんだ。
明日香もオムライスを一口食べる。
「うん、美味しい」
自分で言うのも何だが普通に美味しい。春斗と向かい合ってオムライスを食べた記憶をぼんやりと思い出す。
春斗は昔からずっと一緒にいたから家族のような存在だ。少しからかわれる事はあるが、喧嘩などした事がない。
(――あれ?)
少し違和感を覚えた。春斗と自分は仲が良かったはず。だが――何かが心にひっかかる。
「どうした? 明日香」
一口食べてから固まってしまった明日香を不思議そうに見つめながら春斗は最後の一口を食べる。
「ねえ、春斗……私達って本当に仲が良かった?」
「え?」
「何か……春斗と仲が良かったって、何だか違和感が……」
「……」
てっきり何か言ってくれるかと思ったのだが、春斗は笑顔を消してこちらを真っ直ぐに見つめて来た。いつも屈託ない笑みを見せてくれていたというのに真顔の春斗は少し、怖い。
「……春斗? どうしたの……?」
「何か、思い出したのか?」
「……え?」
椅子から腰を上げ、身体を乗り出してこちらに顔を近付けてくる。いつも輝いている黒い瞳が何の感情も表していない。少し不審に思っても彼はこちらを不安に思わせるような事は言わなかった。それだというのに――
「は、春斗……怖い……」
自然と身体が震えていた。春斗をこれ程怖いと思った事が無かった。何か変な事を言ってしまったのだろうか。何の気なしに本当に仲が良かったのか聞いただけだ。てっきり明るく返してくれるかと思っていた。
(春斗にとって、思い出されたくない記憶があるの……?)
不信感が少しずつ膨らんでいく。この学校では春斗が唯一の存在する人間だというのに。これでは誰も頼れない、と思わず涙が溢れてしまいそうになった時、春斗はハッとして明日香から顔を離した。
「……っ! あ、ごめん! 何か思い出したのかと少し焦った」
そう言って春斗は両手を合わせて申し訳なさそうに眉を下げた。
無表情だった春斗は嘘だったかのように普段通りの彼だ。しかし、明日香の脳裏にはあの表情がこびりついていた。
(春斗は完全に信じてはいけない――? じゃあ、一体誰を信じれば――)
ふと、図書室で見た人影を思い出す。顔ははっきり見えなかったが、明日香はあの人を知っているような気がした。
(――あの人に会えたら何かが分かるのかな)
何となくあの時聞こえた女性の声も人影の人のもののような気がした。あの人に会いたい。校舎に行けば手がかりがあるかもしれない。だが、その事を春斗には知られたくない。
「ねえ、春斗。私校庭に行きたいんだけど……」
「ん? 明日香がそう言うなら行くか!」
春斗は少しも疑う様子がなく了承してくれた。
彼に悟られぬようあの人を探そう、と明日香は心で誓ったのだった。
火を使わなくなったからか、【追憶の宝石】は明日香の近くを気持ちよさそうに泳いでいた。
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