第2話
春斗に連れて来られたのは図書室だった。
保健室と同様、色鮮やかな魚達が気持ちよさそうに空を泳いでいる。魚には詳しいはずなのだが、見覚えの無い種類だ。ヒレはフリルのようで一見金魚のように見えるが、緑や紫などの色は普通の魚でも滅多にいない気がする。
「丁度良いからその魚について調べてみるか?」
春斗の言葉で、明日香達は誰もいない図書室でその魚について調べる事にした。魚の図鑑を捲ってみるが、似たような魚は見つからない。春斗は見えないので明日香から聞いた特徴を頼りに探しており、何度かこれじゃないかと尋ねてくれたがどれも違っていた。
「お前には文乃っていう親友がいた。眼鏡をかけていておっとりしているんだけど、言いたい事ははっきり言う奴だ。俺とは馬が合わなくて結構言い合いしちゃったんだけど、明日香はよく割って入ってくれたんだよ。明日香は文乃とよく図書室に来ていたよ」
探している最中に春斗が親友について教えてくれた。文乃と聞いた瞬間、黒髪でショートヘアの眼鏡をかけた女子生徒の顔が浮かんだ。この人がきっと文乃だ。
彼女はこの不思議な学校にいないのだろうか。ここには明日香と春斗の二人しか存在していない。親友がいればもっと情報が得られたのでは、と思ったので残念だ。
「文乃は読書が好きなんだけどさ、明日香はそうやって魚の図鑑をよく見ていたなあ。あ、俺は本苦手だからここにはあんまり来なかったけどな!」
「うん。ここへはよく昼休みに来ていたんだけれど、春斗は友達と食堂行っていたような気がする」
「お、少しずつ思い出してきているな! 順調順調!」
春斗は自分事のように喜んでくれた。明日香も自分の記憶に春斗がいた事が嬉しかった。彼は春風のように爽やかで一緒にいると安心する。記憶を失う前の自分もそう思っていただろう。
明日香は本探しを止めて窓の外を見て見る。相変わらず人はいない。その代わり不思議な魚が泳いでいる。まるで水族館にいるみたいだ。
その景色を眺めていたら、ふと少年と一緒に水族館に行った事を思い出した。面影があるから小学生の頃の春斗だろう。
――お前、魚が好きなんだなあ。じゃあさ――
記憶の中の春斗の言葉は最後まで思い出せなかった。一体何と言ったのだろう。本人がここにいるから聞いてみるべきか、と思った時だった。
「え――?」
校庭に、人がいた。春斗と自分しかいないと思っていたこの校舎に、他の人間が。
その人はぼんやりとしていて男か女かも分からなかった。それでもようやく見つけた人。校庭の真ん中に立っているその人はこちらを見ているような気がした。
「あっ」
春斗に人がいる事を伝えようとしたが、その瞬間人だった何かは目の前に魚が横切った直後姿を消していた。
見間違いだったのだろうか。明日香は誰かがいたはずの校庭を凝視する。魚が泳いでいる以外は普通の校庭だ。誰かがいた形跡は何処にも無い。
だが、何故だろうか。
(私はあの人を、知っている――?)
顔も見えなかったというのに、自分の記憶はないというのに、あの人をよく知っているような気がした。
「どうした? 明日香」
突然後ろから声を掛けられて明日香は「ひえ!」と変な声を上げてしまった。振り返ると一冊の本を持った春斗が笑いを堪えていた。
「ひえ! だって」
「う、うるさいな! ちょっと校庭に気になるものがあって――」
「気になるもの?」
「さっき――」
校庭の真ん中に人が、と言おうとしたが声を詰まらせた。
――本当にいいの?
誰かの声が反響したからだ。女性のような澄んだ声。何処かで聞いた事があるような気がした。
明日香は思わず周りを見渡すが、ここは春斗しかいない。
「どうした?」
そして春斗には聞こえていない。
ぞわりと鳥肌が立った。心霊現象は信じない方(だと思う)が、人が消えて耳元で誰かの声が聞こえたら誰しも恐怖を覚えるだろう。それを共有したいと思ったのだが――
「ううん、何でもないよ」
春斗には言ってはいけない気がする。何故そう感じたのだろうか。誰もいない中頼れるのは春斗だけだというのに。
そもそも春斗とは本当に幼馴染なのだろうか。度々蘇るこの記憶は自分の物なのだろうか。そう考えたら少しだけ春斗が怖いと思った。
不自然な誤魔化し方をした為、変に思っただろう。しかし春斗は「そっか」と笑ってそれ以上突っ込む事は無く、自分の持っていた本を開いてみせた。
「なあ、これ明日香の言っていた魚じゃないか?」
本に描かれていたのは色鮮やかでヒレがフリルのような魚だ。まさに空を舞う魚と同じである。淡い水彩で描かれた魚達は幻想的で何とも美しい。 春斗から本を奪い、図書室を泳ぐ魚と照らし合わせてみる。
「そう! 正にこの魚!」
「ここにこの魚の説明が書いてあるぞ」
魚の挿絵の次のページに文章が連なっている。そこには――
【追憶の宝石】
記憶を失った者の前に現れる不思議な魚。
魚が導く先に、貴方の記憶は眠っている。
それが幸であろうが不幸であろうが、その【追憶の宝石】は貴方を導く。
役目を終えた【追憶の宝石】は泡となって消える。
「【追憶の宝石】……」
【追憶の宝石】なんて聞いた事がない。非現実的なその存在を本は真実かのように書いてある。
魚関係の書物ならば見逃すはずがないと思い、表紙を見てみる。表紙は何も書いておらず、藍色のシンプルなものだった。
「明日香が見えているのはそれかもしれないなー。俺は記憶があるから見えないみたいだし!」
「春斗、この本よく見つけたね? タイトルも何も書かれていないのに」
「うーん、勘?」
春斗は爽やかな笑顔でそう言ったので明日香は不審そうにその顔を見る。何百冊もあるはずの図書室から10ページ程しかない薄い書物をすぐに見つけ出すなんてあり得ない。
――春斗は何かを隠している。直感でそう思う。
春斗は頼りになるが完全に心を許してはいけないと感じた。
「図書室はこれくらいかな。文乃の事も思い出したし、【追憶の宝石】の事も知れたし」
「うん、そうだね」
「じゃあ次は……そうだ、あそこへ行こう」
春斗がそう言って明日香の腕を掴み何処かへ連れて行こうとする。明日香はされるがまま、図書室を出る際に一度だけ振り返る。
【追憶の宝石】は明日香達の事を気にせずゆらりと泳いでいる。記憶を取り戻してくれる、という割にはこちらには不干渉だ。記憶に導いているのはどちらかというと春斗だ。
全く意味が分からないが、春斗について行く事が賢明だろう。明日香は一度長く息を吐くと図書室を後にした。
その後――図書室にいた【追憶の宝石】は泡となって消え、その空間も真っ白に変わり何もなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます