第36話
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青で統一された城は月夜に照らされて淡く輝いているように見える。ここはカリバン王国王都の真ん中に聳える、アクアソット家の住む城である。王都は道が整えられて小綺麗な家々が並ぶ、表面上は美しい都市だ。しかし、王都以外の町や村は病気や飢えが蔓延している。作物や水は枯れ、人々は一日の食物を摂取するのがやっとの生活を送っている。
夜が更け、静まり返った城外を一人の男が歩いていた。白髪で長い前髪をセンターで分け、左側を青色の宝石が散りばめられたピンで留めている。紺色のマントで隠れている左腕は怪我をしているのか、包帯で覆われ、首にくくられた布で支えられている。――カリバン王国第二王子、オトギ=レイ=アクアソットだ。
城の背後には鬱蒼とした木々に覆われた場所があり、彼はそこへ護衛もつけずに一人で歩いていた。右手には、火の灯ったランタン。その微かな灯りを頼りにオトギは進む。
途中で、近くの茂みがガサリと大きな音を立てたので、オトギは歩みを止めてそちらに灯りを向ける。一瞬黒と青の混じった狼のような姿に見えたが、それは人の形をしていた。黒いフードに身を包んだ少年は、木にもたれかかりながら息を荒げていて、身体を震わせていた。
「……おや、ハル。報告が遅いと思ったらこんな所にいたのですか」
ハルと呼ばれた少年はハッとした表情で顔を上げた。黒いフードの下の顔はまだあどけない。切り揃えられたスカイブルーの前髪から覗くのは、恐怖に満ちた緑色の瞳。よく見れば、彼は怪我をしているようだった。腹を抑える手は赤く染まっている。
「……別部隊がググ村襲撃後、待機しておりました。そして金色の瞳は確認しました。……あの男も」
「成程。やはりリィという男の側に奴はいましたか。想定内ですね。……それで、その傷は?」
「……リィスクレウムの瞳を持つ男に、やられました……僕以外は皆……殺されたようです」
「ふむ、やはり戦闘能力は高いようですね。お前は成功体ですからうまくやれるかと思ったのですが。傷も、まだ治っていないようですね」
そう言われた瞬間、ハルの血相が変わる。痛みがまだ残っている事も忘れてオトギの前に立った。
「傷はもう塞がりかけています‼ も、もう失敗はしませんから、どうか、どうか自我破壊だけは――!」
「フフフ。何を言っているのですか。そんな酷い事を私がすると思いましたか?」
その瞬間――何処からか獣の咆哮が聞こえた。地を這うようなおぞましい声に、ハルは身を震わせる。しかし、オトギは微笑んだまま。白髪が月の光に照らされる様は神秘的に見えるが、ハルは化け物を見るような目で彼に視線を送る。美しい男は、薄い唇をゆっくりと開く。
「ハルにはまだやって欲しい事があるのですよ。次はエンペスト帝国の皇女マリアの誘拐をしてもらいます。マリア程の魔力があれば私達の実験に大きく貢献出来るでしょう」
エンペスト帝国といえばマカニシア大陸最大の国家であり、戦闘狂で知られる女帝エンジュが統べている。その娘マリアを誘拐しろと言うのだ。あまりにも無謀な命令に、ハルは表情を曇らせる。
「ですが、もう僕の部隊は僕しか残っていません……」
「そうですね。だから貴方一人でマリアを誘拐してきなさい」
「そ、そんな……! エンペスト帝国は屈強な兵士が多いと聞きます。そんな所に一人でなんて……」
「ハル。これはチャンスなのですよ。私達の兄弟でなくなってしまった貴方が実験材料として必要なマリアを捕らえて来たら、きっと父上も認めてくださる。まだハルジオン=パド=アクアソットとして生きられるかもしれない」
そう言われて、ハルは――ハルジオンはグッと唸る。魔物に変化する彼は、元はカリバン王国第五王子ハルジオン=パド=アクアソット。表向きでは病気で死亡したと言われている中の一人だ。ハルジオンが魔物に変化出来るのも、カリバン王国が内密に行っている人体実験の賜物だ。
グルト王国国王リグルトや王子アリソンを襲ったのも、カリバン王国の命令により動く黒いフードの集団――カリバン暗殺部隊だ。ハルジオンは、存在を消された後はその部隊に所属し暗躍していた。
カリバン王国は、魔力のある者達を使って人体実験を行っていた。カリバンの王族に蔓延する病気で死んだというのは真っ赤な嘘だ。全員、とある実験によって命を落としている。そして、その実験で無事だったのは――ハルジオンは、目の前の兄を見つめる。
「ハルジオン。貴方の事を信頼しているのですよ。私と同じ、人体実験を生き抜いた貴方なら、このカリバン王国を救ってくれると」
実験によって失われた髪色に、動かなくなった左腕。失ったものは多いが、オトギはこうして第二王子として生きている。それならば、同じ境遇の自分もまた日の目を見る事が出来るのではないか。オトギはハルジオンにとって希望だった。
「……オトギ様、僕頑張ります。マリアを連れて帰って来たら、貴方の事をまた兄上と呼ばせてください」
「ええ、勿論ですよハルジオン。期待しています」
オトギは微笑むとランタンを地面に置いて、ハルジオンの頭を撫でた。少年は目を輝かせてから笑うと、ペコリと頭を下げてまだ癒えぬ傷を庇いながら暗闇の中へ消えて行った。
一人だけになったオトギは、地面のランタンを拾うと弟が消えた方向に視線を送る。その表情は歪んだ笑みを浮かべている。
「残念ですよ、ハルジオン。貴方に兄上と呼んでもらえる日なんて来ないのだから」
オトギはそう言ってから一度溜め息を吐き、くるりと振り返った。辺りは水を打ったかのように静まり返っている。しかし、木陰に微かな気配を感じたオトギは藍色の瞳を鋭くさせた。
「……盗み聞きとは行儀が悪いですね、センカ」
木陰に向かってそう声を掛けると、少ししてスカイブルーの髪色の少女が姿を現した。妹のセンカ=リヴァ=アクアソットだ。就寝用の白いワンピースに紺色のストールを羽織っている。センカは怯えた表情を見せていたが、意を決して口を開く。
「お兄様……今のはどういう事ですか? さっきまでいたあの子は……ハルジオンなのですか? あの子は……死んだのではなかったのですか?」
「質問が多い。……あれはハルジオンですよ。彼が生きているのは、父上も知りません。あれは私の手駒として働かせているので」
ハルジオンが生きている事はオトギしか知らない事だった。アクアソット家は側室を設けている為、他の国よりも子供が多い。国王であるイヴァンは子供達を実験対象として見ているので、名前と顔をいちいち覚えていないのだ。一人が実験に生き延び、暗殺部隊に紛れこませても気が付かない。
センカはまさか弟が生きているとは思っていなかったので、藍色の瞳を見開かせてよろけてしまう。オトギは微笑みながら、妹にゆっくりと近付く。
「な、何故そのような事を……? あの子は私達の弟ではありませんか……!」
「私はあれを弟だと思った事はありませんよ。それよりもセンカ、今のお前があるのは私のお陰だというのに、口答えをする気か? 人体実験を代わりに受けてやったのは誰だと思っている?」
物腰柔らかな口調に、少しずつ棘が入る。センカは震える身体を抑えるように自分を抱き締める。悲願の実験唯一の被験者であるオトギは、センカに美しい笑みを見せた。
「私に逆らえないだろう? お前も私の手駒だ、センカ。お前にはもっと重要な命令をしますよ」
オトギに逆らえないセンカは顔を俯かせてこくりと頷いた。
「ふふ……。もう少しで我が国の、私の野望が叶いそうですよ」
センカとすれ違った時、そうポツリと呟いたのを妹は微かに聞いたような気がした。そして何処かで、獣が吠えるような声が闇夜に響いた。
金眼のサクセサー 秋雨薫 @akisame1231
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