第32話

「オウル」

「おうよ!」

 短く言葉を交わすと、オウルが刀を構えて二人に突進する。オウルは刀など扱った事が無いので、持ち方も間違っているし、振るわずに突き刺そうとしている。彼らから見れば、オウルは隙だらけですぐにでも急所を狙える、と思ったかもしれない。剣を持つ二人は体勢を低くしてオウルの脇腹や太股を狙う。

 しかし、オウルは十八年も一人で魔物の森に通っていた男。そう易々とやられる男では無い。大きな身体からは想像出来ないしなやかさと素早さで二人の斬撃を避けると、刀の柄で一人の男の手を叩いた。その拍子に、男から剣が離れる。――その隙を、後ろでタイミングを見計らっていたリィは見逃さなかった。右目で相手を捕らえると、低い体勢のまま地を蹴り、バランスを崩した男の首元に双剣を走らせる。その直後に血の噴水が勢いよく出て、リィの身体を赤く染める。

「おう、後はてめぇだけだな」

 男が骸となって地に伏したのを確認してから、オウルは最後の一人に刀を向けた。残った男は他の者達よりもやや小柄だ。フードで顔ははっきり見えないが、リィより幾分か若そうだ。一緒にいた男の血がじわじわと広がっていく様を見て、機械的だった男の顔に恐怖の色が帯びる。迷いの無かった太刀筋が嘘のように、剣を持つ手が、足が震えている。

「……僕は、僕は僕は僕は……あああああああああっ‼」

 男が錯乱し、自分の頭を両手で掴むと、その拍子にフードが露わになる。切り揃えられた髪はスカイブルーで、恐怖に怯える瞳は緑色。下手したらアリソンと同年代ではないかというくらい顔立ちが幼い。

 しかし、その姿が見られたのは一瞬で、突然少年は黒い光に包まれた。光の中で、男の姿が変貌していく。手足が太くなり、鋭い爪が生える。そして顔が変形し、黒と青の混ざった体毛が生えて行く。

 ――やがて、少年だったものは、四足歩行の黒と青の混じった体毛を持つ狼のような魔物に変貌した。充血した緑色の瞳は正気を失っていそうだが、獲物――リィを睨みつけている。

「なっ……魔物⁉」

 オウルが驚愕の声を上げた時だった。少年だった魔物は勢いよく跳躍し、リィに襲いかかった。目の前の出来事に意識を奪われていたリィはすぐに反応する事が出来ず、そのまま魔物に押し倒される。

「うぐ……!」

 魔物の牙がリィの右肩に突き刺さる。リィは左手に持った双剣の片割れで魔物の肩部分に突き刺すが、右肩を噛む力は緩まない。そのまま噛み砕かれると思ったが、突然魔物がリィの方に顔を向けた。その緑色の目は金色の右目を見ているような気がした。そして魔物は、リィの顔に向けて大きな口を開けた。

 ――既視感。顔が喰われそうになっているというのに、リィはその光景に覚えがあるような気がした。それは遠い昔の記憶。優しい女性の声が聞こえる微かな記憶――

「リィ!」

 オウルの声でハッと我に返る。そして、魔物が「ギャンッ」と悲鳴を上げて視界から消える。その代わりに映ったのはオウルが片足を突き出している姿。どうやらオウルが魔物を蹴り、どかしてくれたようだ。ついでに致命傷も喰らわせたようで、地面で震える魔物の背中には刀が深く刺さっていた。

「な、何なんだこいつ……。突然魔物になったが……もしかして人間に変身出来る魔物か?」

 オウルは恐る恐る魔物に近付く。舌をダラリと出し、浅く息を吐いている。反撃する余裕はもう残っていないようだ。リィはゆっくりと起き上がって負傷した右肩を触る。まだ傷は癒えていない。少しずつ傷が塞がっていくのを感じていると、背後から「リィ!」と自分を呼ぶ声が聞こえた。

 振り返ると、アメリーがグランデルと共に馬に乗って現れた。後ろには騎士達数人が馬に乗って後ろを付いて来ている。どうやらアメリーが彼らを助けに呼んでくれたらしい。アメリーはグランデルに補佐されながら馬から降りると、リィに駆け寄った。

「リィ、大丈夫⁉ 血だらけじゃない!」

「うん。もう治ったから大丈夫」

 それを見てアメリーは眉を下げて複雑な表情を浮かべる。リィが大怪我をしたのは明白だったからだろう。少し遅れて、グランデルもリィに近付いて口を開く。

「リィ。黒いフードの男達はお前を襲ったのか?」

「……最初はオウルを狙っていた。その後は、俺」

「グランデルさん! それよりもこいつ、人間が魔物に変わったんだ! 黒いフードの奴らの一人だ!」

 グランデルに思考する暇も与えず、オウルが地に伏せる黒と青が混じった獣を指差しながら叫ぶ。グランデルはオウルの言葉を信じられないと言いたげに眉を潜めた。オウルの指の先には魔物が刀で身体を貫かれたまま倒れていたが――突然、ビクリと身体を震わせて立ち上がると、よろめきながらも森の茂みに向かって走り出した。

「あっ! まだ生きていたのか!」

「オウル! 深入りするな! その傷は浅くないだろう!」

 走って追い掛けようとしたオウルに、グランデルが一喝する。彼の傷は命に関わる程の傷ではないが、放置出来るものではない。

「……っ、だってよお。あいつらが、あいつらがググ村を……!」

「憎しみで身を滅ぼすつもりか? 他の者に追わせるから勝手な行動は取るな。……黒いフードの男だが二名程、息があった。あの魔物を捕まえ、その者達から話を聞き出すぞ」

 オウルは悔しそうに歯噛みしたが、素直に従うと目頭を乱暴に拭って黒い獣が去った方向に背を向ける。グランデルの指示を受け、何名かの騎士が黒と青の魔物が消えた方向へと馬を走らせた。

 リィはその様子を黙って見つめていた。彼の目線の先は、魔物の消えた茂みでもなく、悲しみと憎しみに震えるオウルでもなく――騎士隊長グランデル。リィは何故か、彼から一瞬だけ殺意を感じた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る