第31話

***


 闇雲に走っても見つからないとエダに言われて、リィは素直に彼の誘導を受けていた。風を切って前を飛ぶエダに引き離されぬよう、リィは速度を上げて走る。

 ここは赤ん坊の時から幼少期まで住んだ村だった。最後に見た一ヶ月前の村の見る影は無く、家屋はほとんど倒壊し、人々の死体が落ちている。

自分という驚異がいなくなったのだから、ググ村は平穏だと思っていた。それなのに、何故こんな事に。――もし、自分がまだ魔物の森に残っていたら、ググ村の者達を助ける事が出来たのだろうか。

リィはここの者達には何度も殺された。苦痛は今でも思い出せるし、それが眠りを妨げる。それでも彼らに対して憎しみの感情を抱いていないのは、オウルの存在があったからだ。

 リィが魔物の森に棄てられてから数日後、オウルは村人達の目を盗んでこっそり会いに来てくれた。

 自分よりも十以上も小さいリィに向かって、オウルは泣きながら謝った。助けられなくてごめん、と。どうかググ村の者達を憎まないで欲しいと。幼いリィは、オウルの兄のように慕っていたので、泣かせたくないあまりすぐに頷いた。

オウルは数日に一回はリィの元へ来るようになった。ググ村は閉鎖的であり、何かあればすぐに首を刎ねる冷酷無比な面も持っていたので、リィを尋ねている事が知られれば、オウルは只では済まなかったはずだ。

 危険を顧みずに会いに来てくれたオウルに、リィは感謝の思いでいっぱいだった。――だからこそ、彼には死んで欲しくない。

「リィ、あそこだ」

 エダが指差した方向には半壊した一軒家があり、家主が小奇麗に整えられていたであろう庭がぐしゃぐしゃになって踏みつけられており痛々しい。そして――その庭の前で、オウルが黒いフードを被った男数人に囲まれており、左腕を負傷しているようで、庇うように反対の手で掴んでいる。

「――っ、オウル」

 リィは立ち止まり、右目を覆う布を首元へずらしてから直ぐに弓を構える。リィスクレウムの右目から見ると、動体視力が格段に上がり、獲物を狙う時に集中する事が出来る。リィは左目を瞑り、敵の一人に照準を合わせると、迷いなく放った。しかし、直ぐに気付いたようでそのフードの男は身を翻して矢を避けた。全員の視線がリィへ向く。リィは立て続けに黒いフードの者達に向けて弓を放つが、彼らは跳躍してそれを避ける。

「リィ!」

リィに気が付いたオウルが名前を呼ぶ。怪我はしているが、どうやら無事のようだ。リィは少しだけ安堵した。しかし、敵は待っていてはくれない。標的をオウルからリィへと変える。数は五人。全員が武器を構えて一斉にリィを襲う。リィは弓を放って双剣を抜くと、左目を瞑ったまま構えた。

「リィ。あんまり身体を酷使するなよ。その目はずっと使っていると――」

「分かっている」

 空から聞こえた声を遮るように返事をすると、まずは真正面に飛び掛かってきたフードの男を迎え撃つ。彼が降り降ろした剣を双剣の片割れで防ぎ、横から狙ってきた斧を持つ男を牽制する為にもう片方の双剣を瞬時に薙ぐ。掠りはしなかったが、攻撃を怯ませる事が出来た。リィは剣を力で押し返すと、素早く懐に入り込み双剣で腹を裂こうとする。

 だが、その攻撃は届かず、代わりに背後から刀が降り下ろされた気配を感じ、瞬時に方向転換する。奇襲をしようとしていた刀を持った男が動揺して怯んだが、リィはその隙を見逃さず、体勢を整えると迷いが生じた刀を双剣で弾き、その腹に向かって突き刺す。避ける事の出来なかった男は腹から血を大量に流し、呻きながらその場に倒れた。

 間髪いれずに他の者達が一斉に襲い掛かる。リィは右目で彼らの動きを凝視しながら攻撃をかわしていく。

 リィスクレウムの右目だけで見ると、世界が遅く見える。敵の目線が、殺意が何処へ向かっているのか知る事が出来る。両目を開けていると、左目は普通の速度、右目は遅い速度で時が流れる。右目をいつも覆っているのは、見せない為もあるが、片目ずつ見えているものが違うと気分が悪くなるからだ。

 だからといってそう簡単に使えないのは、リィの身体に負担がかかるから。動きが遅く見えても、自分の動きが早くなるわけではない。リィは身体中の筋肉の悲鳴を感じながら無理をして自分の限界以上の動きを取る。一人、二人の攻撃を双剣で受け流すが、その度に腕が悲鳴を上げる。

「……っ」

 体勢を整えようと、リィは双剣を大きく振り、黒いフード達に距離を取らせる。彼らは体勢を低くし、こちらの出方を窺っている。この構え方に、リィは見覚えがあった。

「……俺と同じ」

 そう。リィと構え方が同じなのだ。武器はそれぞれ違う物を持っているが、体勢を低くし踊るように動く様は全く一緒だ。リィはこの戦闘態勢はエダから教えてもらった。ならば、彼らは一体誰から教わったというのか。

 ――考えている暇は無い。フードの男達がリィに向かって一斉に刃を振るう。避けようと足を動かそうとした時――激痛が走り、片足に力が入らなくなる。足元を見ると、先程リィが倒した男が短剣で足の腱を斬っていた。最後の力を振り絞ったらしい男はその攻撃の後動かなくなった。

 傷は直ぐに癒えるが、攻撃を避けるまでには間に合わない。リィは双剣を構え直すと、それぞれの攻撃を受け止めようとする。――しかし、四人からの攻撃を全て弾く事は出来なかった。

 フードの男二人が持っていた剣は防ぐ事は出来たが、一人が持っていたレイピアが右肩に突き刺さる。そして――もう一人が持っていた槍が、腹を貫通した。リィが咳き込むと、口から鮮血が溢れた。

「リィ! くそっ!」

 オウルが落ちていた刀を拾って大きく振るう。剣を持っていた二人とレイピアを持った男は瞬時に避けたが、リィから槍を抜く事が出来ずに少し遅れた男の背中に当たった。だが、少々浅かったようで皮が斬れたくらいのようだった。

 リィはオウルの攻撃を受けてよろめいた男に向けて、槍が突き刺さったままの身体を捩って槍の持ち手部分で彼の脇腹を強く叩いた。その衝撃で地面に倒れた男の首へ向け、オウルが刃を突き立てた。血が勢いよく噴き出し、男は自分の首を掴んで苦しそうにもがいてから少しして息絶えた。

「大丈夫か、リィ!」

「……大丈夫」

 槍が貫通した姿はどう見ても致命傷なのだが、彼は不死の男。リィは一度深く息を吸ってから、槍を一気に引き抜いた。あまりの激痛に気を失いそうになるが、唇を血が出る程噛んで耐える。全て抜き終わってから、リィは再度吐血をしてその場に膝を付いた。自分の体温が冷たい。しかし――それは数秒の事で、体温は直ぐに戻り、じわじわと自分の傷が治っていくのが分かる。この数秒は地獄だ。何分にも何時間にも感じられる。地面に爪を立て、その数秒が経つのをひたすら待ち――痛みが消えたところで、リィはゆっくりと立ち上がった。

 服にぽっかりと穴が開いているが、その下から見える腹筋には傷一つない。それを見て、黒いフードの者達がざわめく。

「傷が消えた」

「金色の瞳だ」

「あれは――リィスクレウム」

 フードの男から聞こえた言葉に、今まで空中で静観していたエダがピクリと反応した。

「おい、リィ。気を付けた方が良い。あいつら――」

 ――その時。フードを被った男の一人が、エダに向けて指を差した。当てずっぽうではない。その指は魔力を持つ人間にしか見えないはずのエダを真っ直ぐ指差していた。

「――確認」

「なっ――」

 エダが声を上げたと同時に、黒いフードの男達は突然踵を返して走り出した。彼らは、突然殺意を消して背中を向けたのだ。リィは突然逃げ出した事に戸惑っていたが、

「逃がすな、リィ! ――嫌な予感がする!」

 エダの珍しく張りつめた声によってハッとし、彼らの後を追った。エダの姿が見えないオウルはフードの男達やリィがどうして走り出したのか分からずにいたが、少し時間を置いてから後を追った。

 エダの姿は魔力の持つ者にしか見えない。魔力を持つ者はほとんどが王族だ。――リィという特殊な存在を除いて。

 しかし、目の前を走るフードの三人の内の一人が、エダを認識するような仕草を見せた。そして、まるでエダを見つける事が目的だったかのように、先程まで殺し合いをしていたリィには目もくれずに走り出したのだ。

 ――彼らが向かったのは魔物の森。リィが幼少期から少し前までずっといた場所だ。双剣をしまい、ズボンのポケットから透明な魔石を取り出す。それを右手で包み込み、親指と人差し指を立て、銃の形を真似る。走りながらだとなかなか狙いづらいが、右目で見ているので幾分か的の速度が遅く見える。リィは人差し指に氷の結晶を出現させると、それをフードの一人へ向けて放った。

 照準はずれたが、それは男の右肩に命中した。男はよろめき、その場に崩れ落ちる。しかし、他の二人は仲間に目もくれずに走り続ける。リィも構わず追い掛ける。

「――う」

 途中、目眩がしてリィは頭を振る。少し右目で見過ぎていたようだ。ググ村へ来る前に眠ってしまう程魔力も消費していたので、疲労も蓄積されている。不死ではあるが、体力の消耗はすぐには回復しない。

だが、目の前の彼らを逃すわけにはいかない。リィが再度魔石を使って氷魔法を放とうとした時だった。茂みから突然、小動物の形をした黒い獣が飛び掛かってきた。フードの男達に集中していたリィは虚を突かれて思わず閉じていた左目を開いてしまう。ここは魔物の森。魔物が突然出現してもおかしくない。

直ぐに対応出来ず、魔物の鋭い牙がリィの左腕に噛みつこうとした時だった。リィの背後から長い刀身が現れ、それが魔物を一刀両断した。小さな魔物は声にならない叫び声を上げて絶命した。

「リィ! 油断するな!」

「オウル……ありがとう」

 背後から現れたのはオウルだった。負傷した左腕は布のような物が巻かれており、気休め程度の止血がされている。いつも額に巻いていた布が無くなっていたので、どうやらそれを代用したようだ。

「あいつら、ググ村を襲った奴らだよな」

「分からないけど…その可能性は高い」

「はっ、どちらかを生け捕りにして全部吐かせてから殺してやる……!」

 オウルが憎しみを込めて吐き出すように言う。彼の怒りは最もだ。しかし、リィは彼に怒りや憎しみに囚われて欲しくは無いと思っていた。

 それにしても、黒いフードの男達は足が速く、撒かれないようにするのに必死で追いつける様子が無い。オウルもそう思ったようで、息を切らせながら口を開く。

「しかし、あいつら速いな。追いつく前に撒かれてしまうんじゃ……」

「大丈夫。この先は小高い丘のようになっているから、行き止まりだ」

 木々が鬱蒼としており、陽の光が入らない魔物の森だが、唯一その丘は木々が生えていない。見た目は他の地と変わらないのだが、まるで木々がそこに生えるのを拒否しているかのようだ、とリィは思った事があった。

リィの言った通り、先には五メートル程の丘があり、そこでフードの男達は足止めされた。急勾配で道具が無いと登れない丘を前にし、諦めたのか男達はリィとオウルを迎え撃とうとこちらに身体を向けた。

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