第27話
「アリソン様、いらっしゃいますか。グランデルです。早急にお伝えしなければならない事があります」
その代わりに扉越しから聞こえた騎士隊長の声。いつもの落ち着いた口調だが、ここまで来てまで話さなければいけない要件とは余程の事だろう。アリソンはグランデルに「分かった」と返事をすると、アメリーの方に目を向けた。
「アメリー、僕は話を聞いてくるからちょっと待っていて」
アメリーが頷くと、アリソンは扉の外へ出て行った。広い魔力鍛錬所に、アメリーと眠っているリィの二人だけになる。ここにはもちろん毛布やベッドは無いので、リィは固い床の上で眠っている。少し可愛そうだと思い、アメリーはリィの頭を持ち上げて自分の膝の上に乗せてあげる。
胸を上下させて呼吸をし、ダラリと力を抜いた姿は普通の青年だ。リィの今の姿を見て、リィスクレウムの瞳を持ち、失われた氷魔法を使う男だと誰が思うだろうか。
「色々と抱え過ぎちゃっているね」
本人はそれ程深く考えていないのかもしれないが、彼の存在はマカニシア大陸を揺るがすものだ。五百年前に討伐されたはずのリィスクレウムの瞳だけが復活し、遥か昔に失われたはずの氷魔法の再来。彼はその信じられない要素を二つも持っている。
見た事の無い食物を食べ、目を輝かせる姿や、ネックレスを貰ってぎこちなく微笑むリィの顔を思い出し、アメリーはどうか彼にも普通の生活が出来るようにと願った。――その時だった。
穏やかに眠っていたリィの表情が突然強張る。起きたのかと思い、リィの名前を呼ぼうとしたのだが――
「うぐううううう」
突然、リィが苦悶の表情を浮かべて呻いた。アメリーは思わず短く声を上げてしまう。リィの左目は固く閉じられたままだ。だというのに、額に脂汗が一気に浮かび、歯を食いしばり、まるで激痛に耐えているかのよう。
「リィ⁉ どうしたの、一体何が……!」
リィに触れようとしたその時、痛みから逃れようと大きく身を捩った為、アメリーの膝からリィの頭が床へ落ちた。ゴッと嫌な音が響くが、そんな事関係無しにリィは床で自分を抱き締めながらうずくまる。
いつもぼんやりとしているリィからは想像出来ない苦しみの表情。アメリーは慌てて彼へ近付こうと立ち上がって一歩近付いた時に、リィの右目を隠す布がハラリと解けた。
隠されていた魔獣の瞳が露わになる。リィは目を瞑って苦しんでいるというのに、右目は開かれており、アメリーを睨むように見つめていた。リィスクレウムの瞳に威圧感を覚えたアメリーは思わず怯んでしまう。リィの右目に巣食う魔獣。リィとは別の意思が存在しているように見える。一瞬この瞳のせいでリィが苦しんでいるのでは、と思ったのだが――
「……あなた、リィの心配をしているの?」
思わずそんな言葉をかけていた。自分を睨むリィスクレウムの瞳は、初めて見た時よりも威圧感が少ないように見えたのだ。金色の瞳は特に反応せず、アメリーに視線を送り続けている。まるでリィを助けてくれと言っているかのように。
「面白い事を言うね、アメルシア王女」
少しの間リィスクレウムの瞳と見つめ合っていると、頭上から軽い口調が降ってきた。アメリーが直ぐ様見上げれば、そこには白い一枚布のような服を纏った男――エダがいつもの笑みを浮かべてふよふよと浮かんでいた。
「エダ⁉ どうしてここに……」
「俺は神出鬼没だよ? そんな野暮な事を聞くより、もっと他に聞く事があるんじゃない?」
「あっ……どうしてリィはこんなに苦しんでいるの⁉」
「リィは不死だ。腕が千切れても心臓を貫かれてもすぐに元通り。それは人間が求める理想の不死なのかもしれない。でも実際は違う。壮絶な痛みを感じても、リィは死ねない。その痛みは記憶に刻まれる。リィが眠る時、それは呼び起こされるそうだ。毎夜ではないが、そのせいでこいつはあまり眠りたがらない。いつも眠そうなのは本当に寝不足だからさ」
エダが早口に述べた話は、アメリーを驚愕させるのに充分だった。知らなかったリィの一面。いつもぼうっとしている彼は、眠る事で起こる死んだ時の痛みに苦しんでいた。
リィは呻きながら自分の首を掻き毟る。彼の首の皮が裂かれ鮮血が溢れたがリィは掻くのを止めない。アメリーは小さく悲鳴を上げてリィの動きを止めようと手首を掴んだが、彼の力は強く、止まる気配が無い。その間に首の皮が剥け、再生をし、また裂ける、を繰り返す。
「わ、私どうしたら……」
「手を握ってみたら? リィは君に親しみを覚えているようだし、もしかしたら痛みが少し和らぐかも」
エダの提案に、一瞬そんな事で痛みが和らぐのかと考えたが、少しでも希望があるのならとアメリーは頭を振ってリィの血に濡れた右手を両手で包んだ。
「うぐうううう」
「リィ、リィ……! 大丈夫だよ、私がここにいるからね……!」
リィの手は動きを止めず、ひたすらに自分を傷付ける。アメリーは必死に呼びかけた。大丈夫、大丈夫と何度も彼に言葉を掛ける。すると苦悶に満ちていたリィの顔が次第に和らいでいき、首を掻く手の動きも弱まってきた。アメリーの力でもリィの手を押えられるようになった時――彼の左目がゆっくりと開かれた。
「リィ! ……大丈夫?」
「……アメ?」
リィはぼんやりとアメリー見つめ、ゆっくりと上半身を起こした。アメリーは目尻に溜まった涙を零し、思わずリィに抱き付いた。寝起きで良く理解していないようだったが、自分に抱き付くアメリーに触れようとした時に自分の血に濡れた手元に目が行ったようで、息を吐きながら「眠っていたのか」とポツリと呟いた。
「俺はうなされていたか」
「うん、とても苦しそうに……。私が手を握ったら静まったみたいだけれど……」
「……俺は眠る時、痛みを思い出す。幼い頃に四肢を裂かれた時、首を槍で突かれた時、魔物に身体を喰われた時、川で溺れた時の苦しみ――色々な痛みだ。怪我をしたらすぐに再生するから、その時の痛みは一瞬だが――身体はその痛みをずっと覚えている。それが思い出されるのが、眠る時なんだ。痛まない夜もあるけれど、それでもいつあるか分からないから、眠るのは少し怖い」
リィは泣いているアメリーを気遣ってか、穏やかな声で話す。それが返って切なくて、アメリーはリィを抱き締めたまま首を左右に振った。掻き毟っていた首は傷一つ無くなっていたが、付着している血液が、先程の光景は嘘では無いのだと言っているようだった。
「だけど、アメに手を握られてから、痛みが嘘のように消えた。こんな事初めてだ」
アメリーは思わずリィから離れて彼と目を合わせる。今は布も解けているので、リィスクレウムの瞳とも目が合った。今まで金色の瞳に睨まれると畏縮していたアメリーだったが、不思議と怖くなかった。
金色の目の方を注視していたが、「なあ、アメ」とリィに声を掛けられた。アメリーはハッとしてリィの黒目の方に目をやる。
「俺と一緒に寝ないか」
「え」
まさかの夜のお誘いだった。すぐに反応出来ず、アメリーは固まってしまう。リィに下心が無いのは勿論分かっているが、恋愛に疎いアメリーでも、異性が二人一緒のベッドに入るのは簡単に容認出来ない。しかし、リィの助けにはなりたいとアメリーは悩んでしまう。それならば、同性のアリソンだったら大丈夫ではないかと提案しようとした時、頭上から盛大に噴き出す声が聞こえた。
「あっはははははははは‼ いきなり夜のお誘いなんて、リィ最低―‼ 黙っていたら何か楽しい事があるかなと思ったけれど、面白過ぎる‼ リィ最高―!」
腹を抱えてヒイヒイと苦しそうに笑いながら宙をくるくる回るエダ。何故エダが笑っているか理解していないようで、リィは眉間に皺を寄せながら立ち上がった。
「……最低と最高一体どっちなんだ」
「どっちもだよ!」
爆笑するエダを、リィが小突く素振りを見せたが、触れる事の出来ない彼にその拳が届く事なく空を切った。
そんな二人を見ながら、リィが安眠出来る為にはどうすればいいか考えていると、ふと自分の胸元の緑色の石が光るブローチが目に入った。ある事を思いついたアメリーは、ブローチを取り外してリィに差し出した
「えっと、リィ。流石に一緒には寝てあげられないけど、代わりにこれあげるよ。小さい頃から付けている私のお守り。これを私だと思って持っていて欲しいな」
「でも、そうしたらアメのお守りが無くなる」
「うーん、じゃあこの前買ったお守りを頂戴。そうしたら私もリィに守られているような気がするし、丁度いいね。これ、お母様がくれたものなの。だから、大切にしてね」
以前リィと共に城下町へ行った時にあげた翠玉石のペンダント。リィはあれから服の下に入れて肌身離さず付けてくれていた。彼は首元からそのペンダントを出して外す。アメリーはリィの手からペンダントを奪い、革製の紐から翠玉石を外す。そしてアメリーが付けていたブローチの留め具を紐に固定させると、少し斜めになってしまっているがちゃんと首に掛けられるペンダントになった。
有無を言わさず、アメリーはリィの首にペンダントを掛けてあげる。するとリィはぎこちない笑みを見せた。
「ありがとう、アメ」
「いいえ! これでリィが眠れるようになればいいんだけれど……」
渡したはいいが、これでリィが夜眠れるようになれるかは保証出来ない。もしこれでも痛みの続く夜が来てしまうのならば、本気でアリソンに相談しなければならない。リィから貰った翠玉石は給仕にブローチに加工してもらおうと考え、ショートパンツのポケットに忍ばせると、ふとリィが「そういえば」と話を切り出した。
「……アメの母親を見た事が無い」
「あ、そうだったっけ。あのね、私のお母様は――」
アメリーがそう言い掛けた時――魔力鍛錬所の扉が音を立てて開かれた。リィとアメリーは同時にそちらに目をやる。するとそこには、息を切らせたアリソンが立っていた。元から色白なのだが、今は蒼白気味だ。そして、そんな弟から放たれた言葉に、二人は驚愕する事になる。
「アメリー、リィさん! 大変だ‼ ググ村が何者かに襲われて壊滅してしまったようだ‼」
「え⁉」
「……っ」
感情の起伏が乏しいリィですら、目を見開いてしまう。
「そ、そんな……。村の人達は……?」
「……伝令によると、生き残ったのは数名だけだ。近くの村に協力してもらって、生存者はそこで治療を受けている。でも、致命傷を受けている人もいるから、もしかしたら――」
その先の言葉を想像し、アメリーは今まで感じた事のない悪寒に襲われ、思わず自分の両腕を掴んでしまう。自分がいつも通りに過ごしている間に、国民の命が奪われていた。国民はきっと助けを求め、死んでいった。ググ村で見た人々を思い出し、アメリーは下唇をきつく噛んだ。
「……ググ村が襲撃、か」
空中に浮かぶエダが無表情にポツリと呟く。それは同情しているわけでもなく、何処か憎しみを帯びたような言い方だった。その言葉を聞き、ようやくエダがいる事に気が付いたアリソンは驚いた表情を見せたが、それに構っている暇も無いようで、すぐにリィに向き直る。
「今グランデルがググ村へ行く手筈を整えている。――リィさん、グランデルと一緒に行く?」
「……行く」
アリソンはリィの返事に「分かった」と頷くと、今度はアメリーの方に顔を向ける。
「アメリー、今回は絶対に行かせられないよ。流石に分かるよね? ググ村を襲った者達が何処に潜んでいるか分からない。……だから、今回は僕と一緒に留守番だ。腕の立つグランデルやリィさんに任せよう」
「……うん」
今回ばかりは外の世界へ行きたいという気持ちも浮かばなかった。それよりも、脅威が潜んでいる場所にリィやグランデルが行く事に不安を覚えた。この平穏は、アリソンが命を狙われた時から崩れ始めていたのかもしれない。
「……リィ、気を付けてね」
「うん、分かった」
リィの胸元にはアメリーが先程渡した翠玉石のペンダントが光っている。アメリーはその宝石に向かって、どうかリィに悪い事が起きませんようにと静かに願ったのだった。
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