第18話

パニックになってしまったアリソンに、エダの正体を伝える事になかなか時間が掛かってしまった。平静を取り戻したアリソンはこほんと一つ咳払いをしてから頭上でふわふわ浮く人物を見上げた。

「あなたが、魔物の森の守り神のエダさんですか」

「堅苦しくしなくて大丈夫だよ、アリソン王子! そうそう、俺はエダ。魔物の森の守り神やっていまーす」

 明るい口調で言いながら空中を泳ぐように飛び回るエダ。アリソンはまだ彼の姿に慣れていないようで、少々顔を青ざめさせている。アリソンも魔力を持っているので、エダの姿がちゃんと見えている。

「……エダ。お前は魔物の森の守り神ではなかったのか。離れてどうする」

「あー、まああそこ守っても守らなくても結局魔物の巣窟だから! 俺が少しいなくなっても大丈夫!」

 適当に言うエダに、リィは少々不服そうな表情をした。その様子を見て、久し振りに会えたのだから嬉しくないのだろうか、とアメリーは不思議に思った。

「で、でもどうやってここへ入って来られたんですか? 門番に見えないとはいえ、大きな門に閉ざされていますし、この町は雷魔法で覆われています。別の場所からも入れません」

 そんな中、アリソンが勇気を振り絞って疑問を楽しそうに浮く男に問い掛ける。すると、エダは突然飛び回るのを止め、アリソンの元へ降り立つ。突然の出来事に、ギョッとしたアリソンであったが――彼を更に驚かせる事態が起きた。

 エダは何を思ったか、アリソンに向け、長い袖に隠された腕を突き出したのだ。あまりに突然の出来事だったので、アリソンは避ける余裕も無く目を瞑ってしまう。

「あ、アリー!」

 アメリーは思わず弟の名を呼んだ。――その瞬間、エダの腕がアリソンの頭に突き刺さった。衝撃的なシーンにアメリーは叫びそうになったが、すぐに違和感に気付く。目を瞑ったままのアリソンの頭からは血が一滴も溢れていない。エダはニヤニヤと口元に笑みを貼り付けたまま、アリソンの頭からそっと腕を引き抜いた。

「あっはは! 驚いた? 俺、実体が無いんだよ!」

 可笑しそうに腹を抱えて宙で一回転するエダ。袖に血液は付着していないし、アリソンの額に穴も開いていない。アメリーは心臓がバクバクと暴れる胸を押えながら、エダを鋭い瞳で睨んだ。

「エダ! 驚かせないでよ!」

「あっはははは! アメルシア王女こわーい! ごめんごめーん! だってアリソン王子がとてもからかい甲斐があるんだもん!」

 ゆっくりと目を開き、自分の身体に何も変化が無かった事を確認したアリソンは、そのまま膝から崩れ落ちてしまう。アメリーは慌てて弟に近寄ったが、彼の顔は真っ青だった。

「し、心臓に悪過ぎる……」

 本当に、とアメリーは心中で同意する。エダという得体の知れない人物の存在を認めるだけでも時間を要したというのに、奇天烈な行動をされてしまうと繊細な弟の心が持たない。

「実体じゃないってどういう事?」

「俺の本体はこれじゃない。訳あって動けないからこの実体の無い身体で自由に動くのさ! ま、誰にも触れられないっていうのが難点だけど、そのお陰でグルト王国の堅ーい扉だってするするすり抜けられちゃうんだよ!」

 アメリーの言葉に、エダはへらへらと笑いながら返す。こんな怪しい恰好の男がいたら即刻閉め出されるはずだが、彼は魔力を持つ者にしか見えないし、物や人に触る事も出来ない。害は無さそうだが、厚い守りで知られているグルト王国の門をこうもあっさりと突破されてしまうと、何だか複雑な気持ちになる。

今はリィと何やら話をしている。リィの知り合いだが、このまま野放しにしてはいけないような気がする。その気持ちは弟も同じだったようで、アリソンが「姉上、ちょっと」とアメリーを手招きして部屋の隅へと向かい、二人で顔を突き合わせる。そしてリィとエダに聞こえないよう小声で話し始めた。

「いくらリィさんの知り合いとはいえ、あの男は不気味すぎる。何故魔力を持つ僕達にしか見えないんだ?」

「見た目やばそうだけど、悪い人ではないと思うよ。リィを小さい頃から見ていたみたいだし」

「だからといって正体が分かっていないと野放しには出来ないよ。父さんか、マイクルに相談しないと――」

「それは駄目だ」

 姉弟二人のひそひそ話に、突如真剣な声が入りこんで来たので、アメリーとアリソンは肩を跳ね上げた。同時に振り返れば、先程まで明るく宙に浮いていたエダが、口を真一文字にしてこちらに顔を向けていた。

「俺の存在は他の誰にも他言してはいけない。君の父親にも、近しい人にも」

 軽薄な笑みが嘘だったかのように、表情は消えている。白い布によって目はこちらから見えないのに、鋭く見据えられているような感覚に陥る。流石のアメリーもエダの迫力に畏縮してしまう。それは隣の弟も同じだった。有無を言わさない言葉はアメリーの脳に深く浸透していく。絶対に言ってはならない。その言葉はアメリーとアリソンの心の奥底で楔となって打ち込まれた――ような気がした。

 三人の間に只ならぬ気配が漂っていたが、その空気を消し飛ばしたのはベッドから身を起こしたリィだった。

「……エダ。お前の事なら他の者に話した」

「え――っ⁉ お前、俺の事は簡単に言うなって言ったじゃないか!」

 途端にエダの冷たい気配は消え、宙をひらひらと飛ぶいつもの明るい調子に戻る。彼の呪縛から逃れたアメリーはホッと一息つき、アリソンは額に滲んだ汗を拭った。

 やはり彼は只者ではない、とアメリーは確信する。彼に睨まれた時、脳裏を過ったのは魔物の森で魔物に囲まれた時の事だった。エダの雰囲気が、一瞬ではあったが魔物と同じものになった気がした。

 エダはしばらくリィに自分の事を話すなと念を押すように注意していたが、ふと思い出したかのようにこちらに顔を向けた。条件反射でビクリとしてしまうが、彼の口元は弧を描いていた。

「あれ、二人とも怖がらせちゃった? ごめんねー! だって俺みたいな化け物みたいなのがいるって知られたら実験施設に入れられたりするかもしれないじゃん! 俺そんなのごめんだからさ!」

 実験施設と言われて、アメリーはピンとこなかったのだが、アリソンは思い当たる節があったようで気を取り直すように一つ咳払いをして口を開く。

「グルト王国に人体実験をしている施設はありませんのでご安心ください。……まあ、リィさんも同じ事が言えるんですよね。二人が来たのがグルト王国で良かったかもしれません。もしカリバン王国に見つかったら実験施設行きだったかもしれませんから」

「え、カリバン王国ってそんなやばい施設あるの?」

「……噂にしか聞いた事はありませんが、回復魔法を扱う国です。何かしら実験施設があってもおかしくありません」

 前半はやや声が震えていたものの、話していて調子を取り戻したようでいつもの取り繕ったアリソンに戻る。

 アメリーは子供の頃カリバン王国へ行った事がある。グルト王国とは違った豊かさや美しさがあり、アメリーは大層気に入った。そんな国に、そのような怪しい施設があるなどとても思えなかったのだ。美しい国の裏側を見てしまったような気がして、アメリーは一人ショックを受けていたのだが、エダはケラケラと笑って長い袖に隠された手でアリソンの額を小突く動作をした。

「アリソン王子―。自分で見た事無いのに憶測で物を言ってはいけませんよー?」

「じ、人体実験の研究施設が無いにしても、不穏な事件が続いているのは確かです。王族の方の失踪や病死が続いていますし……。って、貴方が最初に実験施設に入れられたくないと言うからそんな話になったんじゃないですか!」

 数分前までエダに怯えていたというのに、彼のマイペースな言動に吊られたのか、思わず鋭く突っ込むアリソン。最初はどうなる事かと思っていたアメリーだったが、何だかんだ仲良くやっていけそうだと思う。

 そんな中――

「……カリバン王国」

 リィだけは、神妙な面持ちでぽつりと呟いたのだった。


***


 リィのカモフラージュである包帯が取れるまで、エダは城の中でやりたい放題だった。部屋という部屋をすり抜けて渡り歩き、大いに楽しんでいた。目の当たりにしたアリソンはそれに頭を抱えていた。部外者に城の中を隅々見られる事はよくないとし、エダに注意をしたそうだが、本人は全く言う事を聞かない。

 包帯が取れたリィはよく鍛錬場に顔を出し、剣の腕を上げようと努力をしている。グランデルに負けた事が彼の原動力になっているようだ。

 そして本日は恒例になってきたアリソンの勉強会である。リィとアメリーが並んで座り、アリソンが黒板の前で説明をする。最近ではエダが空中で浮き、口角を上げながら黙ってアリソンの講義を聞いていた。

「――それでは、今日はリィスクレウムについてです。この魔獣は、五百年前に存在したといわれる恐ろしい化け物と伝えられています。伝承では、人の数十倍の体躯であったと書かれています。その姿は蛇のように鱗が生えており、墨のように黒く、四本の腕があったそうです。そして、瞳は――金色。この世界では、金色の瞳はリィスクレウムしか存在していませんでした」

 今日の内容はリィスクレウムについてだ。リィはアリソンを真っ直ぐに見据えて話を真剣に聞いていた。そういえば、リィは三文字以上の名前をなかなか覚えられないのに、リィスクレウムという名前は覚えていた。それは、やはり幼少期からググ村の人々から言い続けられてきたからだろうか。

「そして、これがリィスクレウムの姿と言われています」

 アリソンがそう言って黒板に貼り付けた神には、細長く黒い蛇の姿に四本足が付いた何とも珍妙な姿だった。リィとアメリーは思わずそれを凝視してしまったのだが、宙にいたエダがくるくると回って笑いだした。

「あっはははは! そんなヘンテコなのがリィスクレウム⁉ そんなのが出てきたら俺大爆笑しちゃうよ!」

「う、うるさいなエダ! これは僕が想像で描いたものだから差異はあると思うけれど、伝承通りに描いたからより近い姿のはずだ!」

 アリソンは顔を真っ赤にしながらエダに向かってそう言う。最近の彼は、エダやリィに対して敬語を使わなくなっていた。アリソンにも気の置ける人が増えたのだろう。説明をする時だけは堅苦しい口調になってしまうのだが、それは御愛嬌だ。

「伝承通りって言うけれど、自分で見ていないんだから鵜呑みにしちゃ駄目だよアリソン王子!」

「ご、五百年も前の魔獣を見る事なんて出来るわけがないだろ! 伝承に頼らないでどうしろって言うんだよ!」

「ふっふー。それは見た事ある人に聞くべきだよ」

 ニヤニヤと笑いながら、エダは親指で自分を指差した。それはまるで自分がそうだとも言いたげで、ぽかんとするアリソンの代わりに、アメリーが口を開く。

「……え? エダってリィスクレウム見た事あるの?」

「俺はこう見えて随分生きているんだよ」

 空中で胸を張るエダ。どうも胡散臭く見えるが、明らかに人間ではないエダなのだから、人より寿命が長くてもおかしくない。

「……そういえばエダは昔から変わらない」

 十八年は一緒にいるであろうリィから証拠とも言える呟きを聞き、ハッと我に返ったアリソンはエメラルドグリーンの瞳を輝かせた。

「エダはリィスクレウムを見た事あるのか‼」

「んーふふ。さあ、どうでしょうねー」

 見た事を匂わせといて、明言を避けるエダ。探究心の強いアリソンはしつこく核心のつく返答を聞きだそうとしたが、エダはのらりくらりとかわして結局分からないままアリソンの次の仕事の時間になってしまった。

 アリソンは残念そうだったが、「次に会ったら絶対に教えてよね」と言って勉強会は終わった。

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