第13話

しばらくして、アリソンは泣き止んだ。赤くなってしまった目と鼻は隠しようが無いが、平静は取り戻したようだ。アメリーは再度ゆっくり休むよう言ったが、頑固なアリソンは首を縦に振らなかった。

 アメリーから刺客から護ったのは牢にいたリィだと告げられ、最初は驚いていたが、姉が嘘を言うわけもないので、素直に受け止めた。そして彼に礼を言わないと、と更に休む気の無くなったアリソンはいつも通りで、アメリーは一安心した。


 牢からアリソンの部屋へ真っ直ぐ向かった為、アメリーは寝間着のままだった。自室へ戻り、いつもの若緑色でフリルの付いたノースリーブと亜麻色のショートパンツに着替える。彼女がドレスを嫌っているのは城中の人々が知っており、言っても聞かないのでもう誰も咎めない。ドアの向こう側から国王が戻られたと給仕に伝えられ、アメリーは返事をして謁見の間へと向かった。

 謁見の間に辿り着くと、既にリィ、オウルがグランデルとマイクル、そして何人かの従者に背後から見張られる形でいた。二人は麻の服から着替えており、給仕達が着るようなスーツに身を包んでいた。あの恰好で王に謁見するわけにはいかないから、着替えさせられたのだろう。少々苦笑しながらも、二人に向かって軽く手を上げると、リィは無表情で同じ動作をし、オウルはやや緊張の面持ちで頷いて応えてみせた。

「あれ、アリーはまだ来ていないんだ」

「――只今参りました、姉上」

 振り返れば、そこには従者を何人か引き連れたアリソンが立っていた。目と鼻はまだ赤いが、表情は凛々しい。

 アリソンは謁見の間を目だけで見渡し、リィを見つけるとすぐに彼に近寄った。魔獣の目を持つ彼に躊躇なく近付く王子に、従者達はギョッとしたが、制止しようとする彼らを手で制し、アリソンはリィの目の前に立つ。

「貴方が、私を刺客から救ってくださったと聞きました。この度は命を救ってくださり誠にありがとうございました」

 そう言って、アリソンはリィに向かって深く頭を下げた。王子が平民に頭を下げるなど思いもしなかった従者達はざわめく。リィは驚きもせず、アリソンのつむじを見つめながら、首を振る。

「礼はいい。俺がアリーを救いたいと思っただけだ」

「お、おいリィ! 王子を愛称で呼ぶなんて……!」

「いい。彼は私の命の恩人だ。そして、姉の命の恩人でもあるのだろう。彼には感謝してもしきれない」

 敬語も使わず王子を愛称で呼ぶリィに肝が冷えたオウルは彼を小突いて注意をするが、微笑んだアリソンによってそれは制された。

「それにしても……貴方は一体何者なんだ? 魔物の森に住み、魔獣リィスクレウムの右目を持ち――そして、失われた魔法を使うという」

「……俺はリィだよ」

 リィが氷魔法を使える事を、マイクル辺りから聞いたのだろう。アリソンは得体の知れない男に恐怖――ではなく、興味津々に目を輝かせていた。彼の正体を知りたくてうずうずとしているのだろう。好奇心旺盛なのは姉とそっくりだ。あまりにも熱い視線を送られたので、リィは珍しく困惑したような表情を見せた。

「いやあ、是非とも貴方と話がしたい。王との謁見が終わったら、是非私の部屋に――」

「アリソン王子……。多分こいつは自分の事分かっていないから、とんちんかんな事しか言えねえですよ」

 リィに熱い眼差しを送るアリソンに、オウルが不慣れな敬語を使って助け舟を出す。その様子がおかしくて、アメリーはクスリと微笑んだ。その時――

「国王陛下のお成りです」

 一人の従者の声が謁見の間に響き、一瞬にして空気が変わった。騎士達は跪き、少し遅れてオウルが慌てて膝を折って頭を垂れようとしたが、隣でぼうっと突っ立っているリィに気付き、彼を無理矢理座らせて頭を地面に押し付けた。アメリーとアリソンは胸に手を当てて軽く会釈をする。目の前で布の擦れる音が聞こえる。そしてその音が止むと、「皆の者、表を上げよ」と低い男の声が響き渡った。

 その場にいた全員が顔を上げると、そこにはグルト王国を統べる王、リグルトの姿があった。金の髪をオールバックにし、同色の髭を蓄え、皺の刻まれた肌は雪のように白い。濃緑色のマントを羽織り、佇む姿は威厳があるがエメラルドグリーンの瞳には何処か優しさを感じる。村人のオウルは王の纏うオーラに気圧され、もう一度頭を下げてしまった。

「まずはアメルシア、アリソン。私が留守の間、よく城を護ってくれた」

「父上。ご無事の帰還、大変喜ばしく思います」

「お父様お帰りなさい。私が頼んだお土産、買って来てくれた?」

「こら、姉上! 第一声がお土産の有無だなんて!」

「はは、相変わらず元気そうで良かったよ」

 二人の変わらないやり取りに、リグルトは思わず父親の表情を覗かせて笑う。父に笑われて、アリソンは気恥ずかしそうにアメリーに注意するのを止め、姉は嬉しそうにリグルトに笑い掛けた。そして、その視線をリィに映す。見た目は自分達と変わらない人間の姿だが、濃紺色の布に隠された右目が異形の青年。リグルトは口元に笑みは残したまま、しかし瞳は真っ直ぐ彼の心を見透かすかのように鋭い。

「――さて、大体の事情はマイクルとグランデルから聞いている。アメルシアがアリソンの代わりにググ村へ行き、魔物の森へ連れ去られ、そこで会ったのが魔獣リィスクレウムの瞳を持つ君だと。君は、リィ君と言ったかな」

「そう」

「お、おい! 王様になんて口の聞き方を……!」

 オウルに頭を押し付けられたままのリィであったが、リグルトに声を掛けられ、無理矢理顔を上げて頷いた。敬語を使わなかったリィに対して、オウルが青ざめた表情で注意したが、リグルトは笑って「気にしていない」と言った。

「アメルシアとアリソンの命を救ってくれて、本当にありがとう。私の子供達が今この場にいるのも君のお陰だ」

「別にいい。俺が救いたいと思ったから救った」

 そう言うリィの言葉に、嘘は見えなかった。リグルトは目尻を下げて優しい表情になる。

「どうやら君は純粋な心を持つ男のようだ。君は不思議な存在だ。魔獣リィスクレウムの瞳を持ち、そしてこの国から失われた魔法を使うという。君も、自分の存在がどういったものか分からないそうだね?」

「うん」

「ふむ……。五百年前に討伐された魔獣の瞳と、遥か昔に失われた氷魔法が使える――もしかしたら私が思っている以上に君の存在は重要かもしれない。」

 王は自分の顎髭を擦りながら考える素振りを見せてから、突然パッと表情を明るくして提案する。

「そうだ。リィ君、この城で働くつもりはないか?」

 ――その提案は、その場にいる者達全員を驚かせるものだった。先程まで王女誘拐の疑いで幽閉されていた身だ。話を持ち掛けられたリィはきょとんとしている。周りの従者達もざわめき出し、アリソンとアメリーも驚きの表情を浮かべている。そんな中、一番先に声を上げたのは――

「な、国王陛下! その提案は流石に危険ではないでしょうか! 確かに彼の存在は重要なのかもしれませんが、彼はリィスクレウムの瞳を持つ男で得体が知れません!」

 現騎士隊長グランデルだった。いつもは冷静沈着な彼だが、王の突拍子もない提案に、平静を保っていられなかった。彼の役目はこの城を、王族の彼らを護る事。それだというのに、危険要素を持っているかもしれない彼を幽閉するのではなく、ここで働かせると言う。リィの人となりは見たつもりだが、それでも信じきれないグランデルは必死に王に伝えるが、リグルトは簡単に提案を曲げようとはしない。

「今回暗殺者に侵入された事により、この城はまだ完全に護られていない事が分かった。彼は事前に殺意を察知出来るという。それならば、彼をアリソンやアメルシアの側に置いておいた方が、二人の安全は確保されるだろう」

「ですが、国王陛下――!」

「グランデル。君は何故暗殺者に侵入されたか、そしてその者の素性を明らかにするんだ。君達の使命はこの国を護る事だ。いいね?」

「――っ、承知致しました」

 グランデルは何かを言いたげだったが、その気持ちを押し殺して胸に手を当てて頭を下げた。隊長が了承したならば、部下達も従わなければならない。グランデルの部下達も慌てて彼と同じ動作をした。マイクルも微笑みながら頭を下げた。

 命を救われたアメリーとアリソンに、勿論異論は無かった。二人とも表情を明るくさせてリィの方を見る。彼は王をぼうっと見つめており、何が起こっているのかよく分かっていないようだった。

 そんな中、王は笑顔でリィに向かって言う。

「リィ君。君はここでアメルシアとアリソンを護ってほしい。私の願いを聞いてくれるかい?」

 リィは一瞬戸惑ったようにアメリーに視線を向けたが、彼女が頷いたのを見て、すぐに王に顔を向けて一つ頷いた。

「はは、断られたらどうしようかと思ったよ。それでは、リィ君、これからよろしく」

 王は歯を見せて笑ってそう言った。その瞬間、リィはグルト城でアメリーとアリソンの護衛係となった。彼の事を大いに気に入っていた姉弟二人は喜び、リィによろしくと声を掛けた。そしてついでにオウルも一緒に城へ働く事が決まったのだった。

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