2 グルト王国にて
第14話
ここはマカニシア大陸南側にあるグルト王国。気候が温かくなり、綺麗な花々が咲き乱れる豊かなこの国は内乱も無く平穏な時間が流れていた。
グルト王国王女のアメリーは鼻歌まじりに城の中を歩いていた。いつもなら城下町へ飛び出している時刻なのだが、今日は大人しく城の中にいた。その理由は二つある。
一つは父である国王リグルトにググ村の件で雷を落とされたから。雷魔法を得意とするスノーダウン家は、怒りと共に雷魔法が発動してしまう。感電死する程の力ではないし、雷魔法を持つアメリーには耐性があるのだが、あの全身に痛みが走る感覚は苦手だ。
そしてもう一つは。アメリーは前方にいる人影に気が付き、表情を明るくさせた。
「リィ! こんな所にいたんだ」
「アメ」
声を掛けられた青年――リィは振り返って彼女の名を呼んだ。リィは一週間前からこのグルト城で働いている。右目は魔獣リィスクレウムのものであるとされている金色の瞳だが、いつも藍色の布で覆っている。そんな彼はアメリーとアリソンを救った事により、王に感謝され、厚意によりここで働く事になったのだ。初めて会った時は黒いシャツに藍色のベストを羽織っていたが、今は萌黄色の従者の服を着ている。スタイルが良いのでなかなか様になっているのだが、眠そうな表情は変わらない。リィの手には抱えきれない程の資料があり、アメリーは思わず目を見張った。
「どうしたの、この資料。今から何処へ行くの?」
「今からアリーの部屋に行く。この世界について教えてくれるらしい」
「あ、面白そう! 私も行く」
リィの持っていた資料はアリソンに持ってきて欲しいと言われたものらしい。彼の目線ギリギリまで積み重ねられた資料はとても重そうだったが、リィの表情は涼しいものだったのでやせ我慢をしているというわけでもないらしい。
リィは殺意を感じ取れる力を買われ、アメリーとアリソンの護衛係になった。とはいってもずっと二人に張り付いているわけではなく、騎士団の練習に加わったり、たまに給仕達の手伝いをしている。リィによると、殺意を感じ取れる範囲が限られている為、彼の感覚が届く範囲ならばすぐに駆け付けられるという。以前のアリソン暗殺未遂があってからというものの、流石のアメリーも外出を控えている。暗殺者の正体は未だに分かっていない。見えぬ悪意に、うすら寒さを感じていた。
「リィさん! ……あれ、姉上もいらしたんですか」
アリソンの部屋へと入ると、彼は表情を明るくさせてリィを出迎えたのだが、隣にアメリーがいる事に気が付き、きょとんとした。
「何か面白そうだからさ。ついてきちゃった」
「これからリィさんにマカニシア大陸の事について説明をするのですが、姉上も聞きますか?」
「うん! アリー先生の授業聞きたーい!」
そう言うと、アリソンは「仕方が無いですね」と腕を組んだが、満更でもなさそうだった。アリソンの部屋には長机と椅子、黒板が用意されていた。黒板にはマカニシア大陸の地図が貼り付けられている。リィとアメリーは椅子に座るよう促され、素直に座る。リィは持っていた資料を机の上に置く。その資料を何枚か手に取り、アリソンは礼を言った後、こほんと一つ咳払いをして話を始めた。
「では、マカニシア大陸の説明をしたいと思います。この大陸は、三国に分かれています。東側にある水と回復魔法を得意とするカリバン王国、北西にある炎と身体強化魔法を得意とするエンペスト帝国、そして南にある雷と防御魔法を得意とするグルト王国です。リィさんのいた魔物の森はググ村の隣なので、ちょうどこの辺りでしょうか。そのすぐ先にカリバンがあります」
アリソンがそう言って地図を指差した。リィは理解しているのか分からないような微妙な返事をした。
「私ね、小さい頃にカリバン王国へ少しだけ行った事があるの。そこで回復魔法を教わったから今でも得意なんだよ」
「そうなんだ」
「こら、姉上。私語は厳禁ですよ。グルト王国を統べる王はリグルトです。カリバンはイヴァン王、エンペスト帝国は女帝エンジュです。エンペスト帝国とは有効な関係を築いていますが、カリバンとはここ数年貿易の関係で揉めているようです」
「カリバンはいい人達ばかりなのにね。久しぶりにセンカに会いたいなー」
「それは同感です。私もセンカに――じゃなくて! 私語は止めてくださいってば!」
それからアリソンが説明をしようにも、アメリーが口を挟むのでなかなか進まない。アリソンは苛立ったが、ただ説明をするだけではリィもすぐに理解出来なかったかもしれない。彼はアメリーの言葉に耳を傾けていた。
「カリバン王国にセンカがいて、今はこの国と仲が悪い」
「そうそう! 五年くらい会っていないんだけど、また来るかな? そうしたらリィも会おうね」
「うん」
リィは何度も頷いた。三文字以上の名前を覚えられないリィがカリバン王国を覚えたのは良しとすべきか。アリソンは額に手を当ててため息を吐いた。
「……はあ。僕の説明じゃ分かりにくかったかな」
「アリー、それは違う。俺は人の名前や地名を覚えるのが苦手だ。だが、この大陸に三国があってググ村の場所や、グルト王国は理解している。アリーに教えて貰うと世界が広く見えてとても楽しい」
ぽつりと呟いたつもりだったが、リィがそれを拾い、真っ直ぐな瞳でそう言った。ストレートに言われ、照れたアリソンは「そ、そうですか」と軽く返したつもりだが、口元は緩んでいた。
結局アリソンの勉強会でリィが会得したのは、カリバン王国とセンカという名前だけだった。アリソンは残念そうにしていたが、彼の心に火はついたままのようで「また明日勉強しましょう!」とリィの手を強く握った。リィに命を救われてから、アリソンの彼に対する憧れが強くなっているようだ。弟の周りには歳の離れた人しかいないので、少しだけ歳の離れたリィは兄のように見えるのだろう。リィ本人は慕われている事に少々戸惑いを感じているようだが、嫌では無さそうだ。
アリソンの部屋を後にし、廊下を二人で歩く。リィはこれから騎士団の鍛錬に参加するそうなので、途中まで一緒に行く。どうやら身体を動かす方が好きらしく、鍛錬には積極的に参加しているようだ。
彼の正体は緘口令が敷かれ、謁見の間にいた者達にしか知られていない。なので多くの従者や騎士はググ村から来たリィを不思議がっていたが、少ししたら随分馴染んだようだった。
「ねえ、リィ。この生活には慣れた?」
「あまり慣れていない。俺は時間に縛られた事が無かったから。時間に追われるというのは大変だ。それとこの服を着るのが苦手だ」
リィは従者の服の襟元に指を入れ窮屈そうに言った。彼が以前着ていた服は、魔物の血にまみれていた為、処分されてしまったそうだ。着心地が良かったようで、リィはそれを不服に思っていたが、今度騎士がググ村に行った時に似たようなものを調達する、という事で落ち着いたそうだ。
「そういえば前まで着ていた服ってどうやって手に入れていたの?」
「あれはオウルから貰ったものだ。オウルが着ていた服を譲って貰っていた」
聞くところによると、オウルは村の者に内緒でせっせと日用品をリィの元へ送り届けていたらしい。双剣と弓もオウルの愛用品だったそうだ。アメリーは相槌を打ちながらふと彼の耳元で揺れる長方形の金色のピアスが目に入る。下半分が赤く染まった綺麗なものだ。
「そのピアスも?」
「これはエダから貰ったものだ」
「え、そうなんだ。何か意外」
「何かお洒落した方が良いと言われて貰ったものだ。……右耳に付けると邪魔だから左にしか付けていないけど」
右耳は金色の目と共に布に巻かれているからだろう。魔物の森の守り神がそのような物を持っている事に違和感を覚えたが、あのエダなら何でも出来そうだ、とアメリーは一人納得した。
「じゃあ、その布は誰から貰ったものなの?」
「これは――分からない。俺が赤ん坊の時、身に巻かれていたものらしい。これは多分、俺の出生を知る数少ない手掛かりだと思う」
布を手でなぞりながら、リィが無表情に言う。ググ村特有の藍色で染色された布は、どうやら予想以上に重要な物であるようだ。しかし、とアメリーは首を捻る。布がググ村の物ならば、彼の両親はググ村出身ではないのか。オウルならば、その違和感に気が付きそうだが――
「おう、二人とも。仲良くデートか?」
考えていると、背後からそう声を掛けられた。思考に夢中で気付いていなかったが、いつの間にか外へと出ていたらしい。リィとアメリーが同時に振り返ると、そこには頭に白いタオルを巻き剪定ばさみを持ったオウルが立っていた。白いシャツと紺色のズボンで、シンプルな出で立ちだ。彼は植木の剪定の腕を買われ、庭師としてこの城で働く事になった。
このままググ村に帰すべきでは、という意見もあったのだが、リィを執拗に隠していた村人が、彼と一緒に城へ連行されたオウルを不審がるのでは、という懸念もあった為、安全の確保の為にひとまずここで働いている。
「あ、オウル。ねえ、あなたに聞きたい事が――リィの事なんだけど」
「いやー、それにしてもこの庭はでかいな! ググ村では小さな庭しか剪定していなかったから、やりがいがあるわ!」
両腕を上に伸ばし気持ちよさそうに言うオウルによってアメリーの言葉は不自然に遮られてしまった。わざとらしい話の逸らし方だ。牢で言っていた「これ以上は言えない」事と繋がっているからだろうか。
(オウルも嫌がっているみたいだし、今は無理に聞かない方がいいかな?)
ググ村の秘密についてはグランデルが裏で動いているようなので、少ししたら何かしらの情報が得られるかもしれない。あの村には深い闇がありそうだ。
「ところで、お前らはこれから何処へ行くんだ?」
「鍛錬場だよ。私は途中まで付いていくだけだけど」
「へえ。リィ、お前騎士達の間で随分と噂になっているぞ。変わった戦法であっという間に相手を倒す隻眼の男がいるって」
「……そう」
「え、そうなの?」
魔獣の瞳を持っている、なんて言えないのでリィは城で隻眼の男として周知されている。噂されている当人は興味無さそうだったが、アメリーは前のめりになる。彼の強さをアメリーは目の当たりにしていた。踊るように魔物を切り裂く姿はとても綺麗で、不謹慎かもしれないがまた見たいと思っていたのだ。
「対人は苦手だ。それに、俺は剣より弓の方が好きだ」
「リィって弓の方が得意なんだ。双剣をとても綺麗に使いこなしていたのに」
「狩りが得意だから。双剣は軽いから使いやすい。ここの人達との鍛錬は模造剣だから使いにくい」
それでも、他の騎士達を圧倒してしまうのだからリィの実力は相当なものなのだろう。グルト王国の騎士団は毎日鍛錬をし鍛えている。だが、いつも死と隣り合わせの魔物の森で生きる為に戦ってきたリィとは次元が違うのかもしれない。アメリーから湧き上がる好奇心。一体騎士達をどのようにして倒しているのだろうか。
「リィがどんな風に戦っているのか見たくなっちゃった。やっぱり私も鍛錬場までついていく」
「あ、俺も行きたい。鍛錬場を見てみたいんだよな」
オウルも賛同する。早速三人で鍛錬場に向かおうとした時だった。
「オウル! お前勝手に何処へ行こうとしているんだ! まだ仕事は終わっていないぞ!」
庭師の男がオウルにそう厳しい言葉を投げかけた。オウルはきょとんとしたが、すぐにバツが悪そうに後頭部を掻く。
「あ、そうか。ここは時間通りに働かないといけないんだった。ちょっと面倒くさいな。……はあ。今回は行けないけど、次は絶対見に行くからな」
どうやらオウルもググ村では時間に縛られずに働いていたようだ。残念そうに肩を落とすが、リィにそう言うと剪定バサミを持って植木を整え始めた。
(時間に縛られるのは、リィやオウルにとっては窮屈に感じる事なのかな)
アメリーも人の事は言えないが、時間の概念が無さそうな二人に、この城で働く事は苦痛なのではないか、と考える。リィは表情を表に出さないので分からない。
(だからって魔物の森に帰った方がいいなんて思わないけど。二人が自由になる為にはどうしたらいいんだろう)
思い悩んでいる様子のアメリーに気付いたリィは不思議そうに首を傾げた。
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