第10話
牢に入ったアメリーの手錠を外し、檻の鍵を掛けて看守は重たい足取りで去っていった。アメリーは牢の中を見渡す。石造りで出来た牢の中はひんやりとしていて肌寒い。上を見上げてみると、鉄格子の付いた小窓がある。そこから夜風が入ってきて、だから肌寒いのかとアメリーは両腕を擦った。灯りは燭台に置かれたろうそくの火のみ。相向かいの牢にいるリィやオウルの姿を目視するのがやっとだ。この階の牢はほとんど空だった。得体の知れないリィを捕らえるのには丁度良かったのかもしれない。――二人を同部屋にしたのは謎だが。
「随分行動的だとは思っていたが、一体何をやらかしたんだ?」
「ちょっと弟に睡眠薬を盛って、弟に変装して勝手に外へ出た事かな」
「それは引くわ……」
自分が誘拐した王女はとんでもない女だったと、オウルは頭を抱えた。リィは事の重大さを理解していないのか、檻に手を当てて「硬い」と表情は無いものの、感動しているようだった。リィにとって馬に乗り、このグルト城へ来た事は新鮮なのだろう。ほとんどが初めて見るものばかりで、楽しんでいるように見える。
「はあ、リィはお気楽だな。もしかしたらこれから死刑かもしれないのに」
「……首を刎ねるくらいだったら、死なないと思う」
「俺は即死だわ……。はあ。もうちょっと考えて行動するんだった」
彼等はどうやらここが軽犯罪者用の牢屋だとは知らないようだ。可哀想に想ったアメリーは二人にここがどのような場所か説明した。するとオウルはホッと安堵した表情を見せた。
「ああ……良かった。もしかしてあんたのお陰か王女様。ありがとう。危険な目に遭わせて本当に悪かったな」
「私のお陰というか、察しの良い騎士隊長が上手くアリーに言ってくれたんだと思う。あと、アリーがリィと話して、とても悪い人には見えなかったって……」
「アリーってアリソン王子の事か。王子の問いにリィがとんちんかんな事ばかり言っていたからな……。こんなバカが大罪を犯すとは思わなかったのかもしれないな」
「え、例えばどういう事言ったの?」
「……本当に魔物の森に住んでいるのかって聞かれたから、そうだと答えた。疑われたから、俺がどうやって今まで生き延びていたか教えた。まず、食糧は魔物を捌いて――」
「おい、リィ。その話は長くなるから止めろ」
ようやく口を開いたと思ったら説明をしようとし出したリィに対し、オウルが口を挟む。アメリーは興味津々だったので少々残念だった。
相向かいの牢に入ってから気付いたが、二人は小奇麗な麻の服を着ていた。その事を尋ねると、オウルが顔をしかめながら答えた。アリソンに会う前に、小汚い恰好ではいけないと給仕達に強制的に風呂へ入れられたらしい。魔物の血で汚れた二人をそのまま面会させるわけにはいかなかったのだろう。
「その布は取られなかったんだね」
「これは、大切なものだから」
リィは自分の右目に巻かれた藍色の布を指でなぞった。幸い魔物の血液は付着しなかったらしい。藍色で染色されているのはググ村特有のものなので、誰かが彼にあげたのだろうか。――とはいっても、リィの親しい人はオウルだけのようだが、何も発さないところを見ると、彼からの贈り物ではないらしい。
「――ねえ、どうしてリィがリィスクレウムの生まれ変わりだと言われているの? 右目の色は伝承通りだし、腕は生えるけれど、見た目は普通の人間じゃない」
アメリーが疑問を投げかけると、オウルは一瞬戸惑った表情を浮かべたが、少々声を低くして話し始めた。
「ググ村にはシーラ様というお方が予言者をしている。――十八年前、シーラ様……婆様が耳を疑うような予言をした。魔物の森に、リィスクレウムが復活するというものだ。俺と親父が魔物の森を偵察しに行った。そこで発見したのが、赤ん坊のリィだ。魔物の森のど真ん中にいるというのに、傷は一つもなく、不気味に光る金色の右目――とても普通の赤ん坊だとは思えなかった」
自分の事を話されているというのに、リィは興味が無いのか、ぼうっと天井を眺めている。アメリーは真剣な表情でオウルの話に聞き入っていた。
「俺と親父は赤ん坊を連れてググ村へ戻った。そして、リィを一目見た婆様は血相を変えて――すまん、これ以上は言えない。ここから先は口止めされている。これを破ったら、どんな罰を与えられるか……」
オウルはぶるりと身を震わせた。顔は青ざめ、酷く怯えているようだった。赤ん坊のリィの四肢を切断するような人々がいる村だ。罰も恐ろしいものだと理解出来た。――しかし、それならば。
「じゃあ、どうしてこんな真似をしたの? リィの存在はググ村で隠されていたんだよね? 一か八かのこの作戦だとバレる確率が高いというのに」
「――分からない。どうしてこんな馬鹿な事をしたんだ。リィに会いに行こうと魔物の森に行った時、何故か使命感のようなものに駆られて、気が付いたら――王女を誘拐しようとしていた。まるで、誰かに操られていたかのようだった」
リィを助けたいと思ったのは本心だけれど、と付け足してからオウルは首を捻った。ググ村に恐怖心を植え付けられているというのに、無謀とも言える行動。――誰かに操られたというのならば――
アメリーは何故か、自称守り神の軽薄な笑みを思い出した。
***
それから三人で少しばかり話をして、就寝した。オウルは死罪にならない事に安堵したようでいびきをかいて寝ている。アメリーも硬いベッドの上で眠りに就いていたが、ふと目が覚めてゆっくりと身体を起こした。鉄格子から外を覗けば、空が少しだけ明るくなってきている。もうそろそろで日の出が来る頃だろうか。ストレッチをしようとベッドから降りて伸びをしようと大きく身体を捻ろうとした時――視線を感じ、アメリーはそちらに目を向ける。そこには、鉄格子の間からこちらを凝視するリィの姿があった。
「わ。びっくりした。リィ、起きていたの? おはよう」
「起きている。おはよう、アメ」
リィは昨日と変わらず地面に座っていた。気のせいでなければ、昨日と全く同じ場所にいる。まさか、一歩もその場から動いていないのか、と思ったが、流石にそんな事はないかとアメリーは一人納得した。
彼は相変わらずぼうっとしている。アメリーが会いたかった魔獣の目を持つ青年。想像では、気性が荒く、破壊が好きな獣のような男かと思っていたが、実際の彼は惚けたような男。彼には聞きたい事が山ほどある。――それよりも、まずは気になっている事が一つ。
「気になっていたんだけれど、どうして私の事アメって呼ぶの? 私の本名はアメルシアだけれど、皆アメリーって呼ぶよ。リィもアメリーって呼んでよ」
それは、自分の呼び方だった。リィはアメリーをアメと呼ぶ。そんな呼ばれ方はされた事が無かったのだ。しかし、リィは首を振る。
「長い」
「長くないでしょ! リーを付け足すだけじゃない!」
それから長い、長くないと押し問答をしたが、リィは頑なで結局折れたのはアメリーだった。彼は意外と頑固のようだ。アメリーは興味津々げに檻にしがみついてリィを見る。眠そうに目を細めているが、顔立ちは整っている。陽の入らない魔物の森にいたせいか、肌は青白い。細身だと思っていたが、麻の服だとしっかりとした筋肉がついているのが見て取れた。
「ねえ、リィは魔物の森から初めて出たんだよね。外の世界はどう?」
「見た事が無い物ばかりで、とても楽しい」
リィはピクリとも表情を動かさずに言う。一見とても楽しそうに見えないが、目に光が灯ったような気がしたので、上手く感情を現せないのだろう。少しだけ彼の事を理解出来た、とアメリーは歯を見せて笑った。
「ねえ、じゃあここから出たらさ――」
城の中を案内してあげる。そう言おうとした時だった。突然、リィが立ち上がって鉄格子の窓を見上げた。一歩も動いていなかったのに突然動いたので、アメリーは目を見開いて言葉を止めてしまう。
「え、どうしたの?」
「誰かがいる」
「え、誰?」
「アメに似た少年の声が聞こえる」
「アリー?」
「うん」
アメリーも耳を澄ませてみるが、オウルのいびきしか聞こえない。そもそも、こんな朝早くにアリソンが牢を訪れるとも思えない。
「ねえ、アリーはここに来ないよ。空耳じゃない?」
「ここじゃない。外から声が聞こえる」
「外って……」
ここは湖に囲まれた牢獄だ。陸地は随分と離れているので、例え湖の近くで叫んだとしても声は微かにしか聞こえない。それに、アリソンが湖の付近に来るとは――そう思ってから、アメリーはハッとする。そういえば最近朝早くに騎士を引退した男に剣の振るい方を教わっていると言っていた。鍛錬の場は、確か湖に近い場所だ。
それにしても、アリソンの声がリィの耳に届くとは思えない。真意を問おうとアメリーが口を開き掛けた時、リィは驚くべき事を言った。
「アリーに殺意が向けられている」
「えっ⁉」
リィの言葉はあまりにも物騒で、信じがたいものだった。すぐにそうですか、と納得出来るものではない。しかし、リィは冗談を言うタイプには見えないし、現に大真面目な表情をしている。
「俺には分かる。小さな頃から向けられてきたから、殺意は感じ取れる。その殺意はアリーに近付いている。このままでは、死ぬ」
「ど、どうしよう!」
アメリーは血相を変えて自身の頭を抱える。リィの生い立ちから、彼が感じ取れる殺意は信憑性が増す。それに同情する余裕も無く、姉は一人慌てふためく。ここは軽度の囚人しかいないので、看守の見回りはほとんど無い。伝えようにも人が通る気配も無く、檻のせいで出て行く事も出来ない。
「だ、誰か――! こっちに来て! アリーが、アリーが‼」
必死になって叫ぶが、声は看守に届かず、虚しく響き渡るだけ。弟に危険が迫っているというのに、何も出来ない。その歯がゆさから、アメリーは鉄格子を思い切り握り締める。
「やだ、アリーがいなくなるのは……。どうしよう、どうしよう……」
涙が溢れる。アメリーにとって、アリソンは小うるさいがたった一人の弟。王になる為にと背伸びばかりして無理している弟を失いたくはない。その様子を黙って見ていたリィはゆっくりと口を開いた。
「アメ。魔法の出る石は持っているか? それを俺に渡して欲しい」
「え、持っているけど……何で?」
「アリーを助けるのに必要だ」
「わ、分かった」
説明をしている暇は無い。今日会ったばかりの男でしかも魔獣の目を持つというのに、アメリーはリィを信用していた。片腕を犠牲にしながらも自分を救ってくれた彼なら、弟も救ってくれると確信したアメリーは身に纏うワンピースのポケットからブレスレットを出し、そこから魔石を外す。そしてそれを檻越しから放った。それは綺麗にリィのいる檻の鉄格子の間に入り、彼は片手でキャッチした。
「ありがとう、アメ」
「で、でもそれをどうするの? 魔石は魔力を持つ者しか使えないのに――」
「大丈夫」
リィは金色に輝く人差し指の第一関節くらいの大きさの魔石を握り締める。その瞬間――魔石が輝き始めた。その眩さに、アメリーは思わず目を細める。彼の手中で、魔力を持つ者にしか反応しないはずの魔石が光輝いている。そして、金に輝いていたはずの魔石は、いつの間にか氷のように透明な色になっていた。色の変わった魔石を見て、アメリーは驚愕する。
「そ、その色――!」
魔石は魔力によって色が変わる。雷魔法を主とするアメリーは金色に。もし炎魔法ならば赤色に。――そして、リィの手中にある透明な魔石が意味するものは。
リィは特に驚いた様子も見せずに、魔石を指で持ち、力を込める。すると、彼の周りに雪の結晶が舞った。肌寒かった牢の中の温度が更に下がる。
「ぎゃあ! 寒い! 凍え死ぬ‼」
今まで気持ちよさそうにいびきをかいていたオウルだったが、突然極寒になり飛び起きる。それを幸いと思ったリィは魔石を持ちながら寝起きのオウルに「俺を背負ってくれ」と言った。
「え、お前それ魔法か⁉ 何で氷魔法を――」
「話している暇は無い」
氷の結晶を周囲に浮かせるリィに、オウルは素っ頓狂な声を上げたが、有無を言わさず肩の上に飛び乗られ、次に苦痛の声を上げた。
「ぐ、ぐえ。り、リィ……さすがに寝起きで男を肩車するのは――」
「鉄格子の窓の方へ行ってくれ。早くしないとアリーが死ぬ」
「はあああ⁉ 何で起きたらリィが牢屋で雪降らしていて、王子が死ぬ事になっているんだよ! 誰か教えてくれ‼」
「説明する暇は無い。早く」
「ああもう‼」
全く理解出来ないでいたオウルだったが、緊急事態だけは察したので、半ばやけくそ気味にリィの言う通りに鉄格子の窓へ近付いた。リィは礼を言うと、オウルの肩の上に立ち上がり、鉄格子の窓から顔を覗かせる。
リィは外を確認する。湖一面広がっているが、向こう岸に二人の人影がある。一人は少年で、模造剣を振っている。もう一人は鎧を着ているが、高齢の男性だ。彼らとは米粒程の距離があったが、目の良いリィにははっきりと見えた。――そして、草陰に潜む殺意。リィはそちらに視線を向ける。その殺意は明らかにアリソンを狙っている。彼らは侵入者に気付いていない様子だ。このままでは、アリソンは刺客に襲われて、死ぬ。
リィは右目を巻く布を解くと、左目を隠すように巻き直した。今まで隠されていた金色の右目が露わになる。アメリーは背中しか見えず、リィの下にいるオウルも見えなかったが、牢の中が突如異質な雰囲気になり、二人揃って息を呑んだ。
爬虫類のようにも見える金色の瞳は、獲物から目を離さない。リィは鉄格子の隙間から自身の右腕を出す。手で銃のような形を作ると、人差し指に光が集まり、氷の結晶が形成される。それと同時に――草陰の殺意がアリソンの命を奪おうと動き出した。
リィは躊躇せずに、まるで銃を撃つようにその氷の結晶を殺意に向けて放った。
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