第8話

「アメルシア王女!」

 馬の蹄の音と、切迫した聞き慣れた声が背後から聞こえた。振り返ると、騎士隊長グランデルと騎士達が馬でこちらへ駆け寄ってくるところだった(一頭は二人乗っていたので、オウルに馬を奪われた騎士もいるようだ)。グランデルの表情は珍しく焦燥の色を帯びていた。そして馬を止めると、飛び降りてアメリーに近付いた。

「グランデル!」

「お怪我は⁉」

「あ、これは返り血だから怪我はしていないよ」

 白いローブは血まみれになっていたが、これは全て魔物のものだ。グランデルは周りにある魔物の骸を目にして、やや目を見開いたが、王女の無事を確認して安堵の表情を浮かべた。

「申し訳ございません。その者の戯言に惑わされ、貴女様のお側を離れてしまいました」

 申し訳無さそうにアメリーに謝罪をしてから――グランデルはアメリーの隣にいる村人オウルに目を向けた。

「貴様、よくも王女を誘拐したな? その大罪、償う覚悟は出来ているだろうな?」

 忘れかけていたが、アメリーはオウルに誘拐され、この魔物の森に来たのだ。魔物に襲われたが、リィのお陰で無傷だ。――白いローブは魔物の血によって大分赤黒くなってしまったが。

 王女の誘拐など、国を揺るがす行為だ。理由があったとはいえ軽い罪にはならない。下手したら、死罪だ。

「ぐ、グランデル! 彼は――!」

 庇おうとアメリーがオウルの前に立とうとした時――

「俺が、王女誘拐を指示した。そいつは俺に脅されていただけだ」

 この場にそぐわない、のんびりとした声がそう言った。グランデルの鋭い瞳が、オウルから声の主に移動する。右目を布で覆った青年リィは自分に移動された殺意をものともせずにいつも通り眠そうな顔をしている。

「――貴様は?」

「リィ。この森に住んでいる」

「リィ……!」

「お、お前何を言って――」

 リィのまさかの言葉に、アメリーとオウルが驚きの声を上げた。特に庇われたオウルは顔面蒼白でリィを見つめたが、彼は目配せして首を左右に振った。エダはというと、木の枝の上で口元を吊り上げながら成り行きを見守っている。

「出鱈目を。ここは魔物の森。普通の人間が住めるような場所ではない」

「俺は普通じゃない。リィスクレウムの眼があるから」

「……リィスクレウム? 一体どういう事だ?」

 リィは右目の布の結び目を解くと、躊躇なくそれを外した。アメリーは見たばかりだというのに、再度目にしても恐怖心を覚える。眠そうな左目とは違った、鋭く爬虫類のような金色の瞳。グランデルの背後で待機していた騎士達はその異様な瞳に恐れおののいた声を上げ、騎士隊長である彼でさえも驚愕の表情を浮かべていた。

「――! その金色の瞳は、リィスクレウムのように見えるが、それだけでは――」

「……グランデル。リィの話は本当だと思う。私は彼の腕が魔物に喰われ、再生したのを見た。あれは、人間の為せる業ではないと思う」

「そんな、まさか……」

「――でもね、グランデル! リィは私を助けてくれたの! だから――!」

 グランデルは戸惑いを見せていたが、早々に平静を取り戻してリィを殺意のこもった瞳で睨んだ。

「貴様の存在がどうであれ、王女誘拐の罪は計り知れない。来てもらうぞ、リィスクレウム」

「違う。リィだ」

 グランデルはリィの腕を掴むと馬の方へと歩きだした。それを見たアメリーは慌てて騎士隊長に駆け寄る。

「り、リィ……! 待って、グランデル! 彼は――!」

「貴女にも相応の罰があると思いますよ、アメルシア王女」

 グランデルにそう冷たく言い放たれ、アメリーは肩を強張らせた。アメリーは王女とはいえ、次期国王を睡眠薬で眠らせ、拘束した。そして王子の姿を偽り、ググ村へと向かったのだ。城を脱け出して小言を言われていた時とは比べ物にならない。

 アメリーは下唇を噛んで、「行きましょう」と言うグランデルの言葉に従って素直に歩きだす。オウルも慌てて追い掛けた。

 アメリーはグランデルの馬に、リィとオウルはそれぞれ他の騎士の馬に乗せられ、彼らは魔物の森を後にした。


「あーあ。連れて行かれちゃったよ」

 一人残されたエダは、木の枝から飛び降りて地に着地すると、口元の笑みは絶やさずに顎を擦る。

「まあ、リィなら大丈夫だと思うけど。――それに、このエダがいるしね」


***


 血生臭い魔物の森を抜けてググ村に寄ると、騒ぎを聞きつけていたのか村人達が大勢入口で騎士達を待っていた。騎士達や村人オウルの無事な姿に安堵した村人達だったが、リィを見つけた途端、全員の血相が変わった。

「な、どうしてリィスクレウムがいるんだ……!」

「この者は王女誘拐の罪で城へ連れて行きます。そして、この村人の彼も共に」

 ググ村に入ってから、オウルは目に付かないように顔を俯かせていたのだが、グランデルにそう言われ、肩をビクリと跳ね上げた。だが、村人達はオウルが連れて行く事よりも、片目を布で覆った青年に釘づけになっていた。

「呪われた子は王女にまで手をかけようとしたのか。ああ、恐ろしい」

「いいのか? リィスクレウムを魔物の森から出してしまって。婆様が何と言うか……」

「どうしてグルト王国にあれの存在が知られているんだ……」

 ググ村の人達の異様な雰囲気に、アメリーは恐怖を覚える。リィを人として見ていない。姿形は自分達と同じだというのに、魔獣リィスクレウムとして扱っている。両手を縄で拘束されている当の本人は全く気にしていないのか、ぼうっと虚空を見つめている。

「シーラ殿をお見かけしないが、何処かへ行かれているのか?」

「婆様は急用が出来たと言って何処かへ出掛けました」

 シーラとはググ村の予言者と呼ばれる老婆だ。予言者の彼女はグルト王国が加護石を持って来る時は代表して受け取っていたのだが、今日は珍しく外出しているとの事。シーラの帰りを待つ為にググ村に一晩泊めてもらおうと思ったが、村人たちはリィを恐れ、寝床を用意してくれる様子は無さそうだ。

「アメルシア王女。とにかく今は加護石を渡しましょう」

「……うん」

 馬に乗ってから、アメリーの元気は無い。アメリーは肩掛け鞄から小箱を取り出すと、グランデルに手渡す。彼は一度馬から下りると、一人の村人に加護石を渡した。

 グランデルが騎士達を引き連れて村を出ようとした時だった。一人の高齢男性が村人達の間を縫って前に飛び出した。

「オウル! ああ、何て事……! 騎士様! オウルは悪事を働くような男ではありません! ググ村で真面目にやってきた男なのです!」

「お、親父……」

 オウルの顔が真っ青になる。彼の父親は馬上のグランデルの足にしがみついた。

「あれが! あの魔獣が全て元凶なのです! オウルは操られているだけ! 殺すならあの魔獣だけにしてください!」

「親父! 違う、俺は――!」

「操られているかは、城に戻ってから判断します。無実であればググ村に引き渡します。それまで、お待ちください」

 オウルが何かを言いかけたが、先を急ぎたいグランデルは言葉を遮ってオウルの父親にそう言い放つと、自分の足にしがみつく腕を丁寧に解いて手綱を引き、馬を動かした。

「そんな! オウル、オウル――‼」

 オウルの父の悲痛な叫び声を聞きながら、騎士達一行はググ村を後にした。

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