第7話

「……リィ?」

「そう。それ返して」

 勝手に剥ぎ取られた事を怒りもせず、リィはアメリーから布を取り戻し、右目を隠すように巻く。眠そうな左目とは違った鋭い右目に睨まれた時、蛇に睨まれた蛙のようにアメリーの身体は動かなくなってしまった。しかし、リィスクレウムの生まれ変わりだというのにどうして左右の眼の雰囲気が違うのか。

 疑問を口にしようとした時だった。

「――う、ここは……」

 今まで伸びていた誘拐犯が、頭を押えながらゆっくりと起き上がった。思わずリィの背後に隠れてブレスレットの魔石を手に持ち構える。不思議そうに背後のアメリーに目をやるリィだったが、彼女の持つ魔石を見て少々顔色を変える。

「その石――」

「うわ! 血生臭! っていうか死体!」

 リィの言葉は、男の声によってかき消された。目覚めたら周りに魔物の死体が大量に転がっていたら、誰しも驚くだろう。落馬してアメリーの下敷きになったというのに、男が痛みを訴えないところを見ると、彼の身体はとんでもなく頑丈らしい。

 魔物の森へ連れて来た張本人の男に警戒心を露わにするアメリーに対し、リィはゆったりとした口調で「オウル」と彼の名を呼んだ。

「え……? リィ、あの誘拐犯と知り合いなの?」

「……? オウルはオウルだよ」

 答えになっていないリィの返答にアメリーは困惑したが、オウルと呼ばれた藍色髪の男が大股でこちらに近付いてきた。

「王女様、噂通り随分お転婆だなあ。まさか気絶させられるとは」

「あ、貴方が急に攫ったりするからでしょう!」

「それは悪かった。……だが、こうでもしないと、あんたら王族に助けを求められないかと思ったから――」

 王族を攫うとなると身代金目的かと思っていたが、どうやら違うようだ。オウルはリィの肩を掴むと、アメリーに見せつけるように彼の布によって隠された右目付近を指差した。

「この男はリィ。信じられないかと思うが、かの有名な魔獣、リィスクレウムの右目を持つ男だ」

「……オウル。右目ならアメはさっき見たよ」

「はっ⁉ リィ、その右目は簡単に見せるなって言っただろうが!」

「ああ、そうだった。ごめんオウル」

「あああ、全く本当に鈍くさい奴だな!」

 自分の前髪を乱暴に掻き乱し、オウルは苛立ちを露わにする。戦闘では俊敏な動きを見せたリィだが、どうやら性格は鈍くさいようで、オウルはいつも手を焼いているようだ。

 リィスクレウムの右目を持つリィに対し、ググ村の男オウルは普通に話し掛けている。とても恐れているようには見えない。これは一体どういう事なのだろう、と思っていると、オウルと目が合った。彼の藍色の瞳は先程とは打って変わり、真剣な色を帯びている。

「アメルシア王女、どうか頼みがある。こいつを助けてやってくれないか」

「……え? 助けるってどういう事?」

 村人オウルの要望は意外なものだった。自分の事だというのに、当の本人はぼうっとしたまま何も反応しない。

「十八年前、俺が親父とここでリィスクレウムの瞳を持つ赤ん坊のリィを見つけた。それはググ村にとって最悪の出来事だった――赤ん坊を平然と殺そうとするあいつらが俺は恐ろしくて――首を刎ねても、四肢を切断しても、リィは死ななかった。死なないリィに恐れをなした婆様が、リィを魔物の森へ棄てた。小さな頃から魔物の森に追いやられ、一人で生活をしていたんだ。――でも、俺はどうしてもこいつが恐ろしいリィスクレウムの生まれ変わりだとは思えなくて……こうしてたまに会いに来ていた」

「な、何て恐ろしい事――」

 城でずっと暮らしてきたアメリーにとって、リィの出生は想像以上に凄惨なものだった。先程の、リィの腕が噛み千切られる光景が甦る。腕が切断される事は、赤ん坊の頃から行われていた事だったのだ。だから、彼は魔物に腕を喰われても、感情を動かさなかった。――幼少期から魔物の森に棄てられたのなら、きっと魔物に襲われる事は何度もあったはずだから――

「で、でも何でリィの事をお父様――グルト王国は知らないんだろう。リィスクレウムの生まれ変わりがいると知ったら大騒ぎになると思うんだけど……」

「リィの事は、何故かグルト王国の耳に入らない。――だから今日、王族が直接来ると聞いたから、俺はあんたを攫ったんだ。リィに直接会って欲しかったから」

 王子のアリソンが来るのを好機と捉え、王族誘拐計画を企てたらしい。――結果的に、王子ではなく王女を攫ってしまったわけだが。

「なあ、アメルシア王女。リィを、ここから連れ出してやってくれよ。こいつはリィスクレウムなんかじゃない。一人の優しい男なんだ。このまま一生ここに一人で過ごさせたくないんだよ。こいつには――自由になって欲しい」

「オウル。俺は一人じゃない。こうしてオウルが会いに来てくれるし、何より俺にはエダがいる」

 今まで虚空を眺めていたリィだったが、オウルの言葉に反応して呟く。

「……エダ?」

 初めて出て来た名前に、アメリーは首を傾げる。――その時だった。

「こら、リィ。俺の存在はそう簡単に言っちゃ駄目だって言っただろう?」

 頭上から、男の間延びした声が聞こえた。アメリーが見上げると、木の枝に一人の男性がしゃがみ込んでいた。白い一枚布を巻いたような衣装を纏った男だ。ウェーブのかかった茶髪は彼の腰までの長さで、高い位置で一つに縛っている。肌の色は白く、細身だったので一瞬女性なのかと思ったが、先程聞こえた声はやや低く、男性のものだった。表情はよく分からない――何故なら、彼の目元は青い炎のような紋様が描かれた白い布で覆われていたからだ。

 男は口元に弧を描きながらこちらを見下ろしている(目元は隠れて見えないが、恐らくこちらを見つめている)。そんな中、リィが男を見上げて口を開いた。

「エダ」

「え? あなたがエダさん?」

「そうそう。初めましてアメルシア王女。俺はエダ。この森の守り神やっていまーす」

 語尾を伸ばしながら、男――エダは座ったまま胸に手を当ててお辞儀をした。血生臭い現場にはそぐわない神々しい雰囲気を放つ男だが、口調のせいか少々軽薄に見える。それよりも先程の言葉が気になり、アメリーは眉を潜める。

「守り神? そんなのが存在するなんて聞いた事ないけど」

「あー、駄目ですよアメルシア王女。お城に閉じこもって得た知識が全て常識だと思ったら大違いなんですよー?」

 エダはケタケタと笑ってそう言った。確かに彼の服装は神のようかもしれない。だが、それならばエダが守っているであろうこの森は何故魔物の巣窟になっているのか。

「アメ。こいつはエダ。俺を小さい頃から見てくれている」

「そう……。何か、変な名前……」

「失礼だなー、アメルシア王女! この名前はリィが考えてくれたんだよ? 俺はとても気に入っているというのに!」

 目元が隠れて判断しにくいが、恐らくエダはアメリーやリィより大分歳が離れているように見える。その男が頬に空気を溜めて子供のように怒ったので、アメリーは若干引いてしまう。彼に神の威厳など皆無だ。

「リィ。何であの人をエダって呼んでいるの?」

「身体が枝のように細いからエダと呼んでいる」

「そ、そんな安直な……」

 エダもエダだが、リィもリィだ。魔物と対峙していた時の俊敏な動きは嘘だったのではないか、というくらいのんびりとしている。リィスクレウムの生まれ変わりだと言われているが、当の本人がこんな感じなので、何だか気が抜けてしまう。

 ここが危険な魔物の森だという事も忘れかけていた時、今まで黙っていた村人オウルが口を開いた。

「なあ、あんた。もしかしてエダが見えるっていうのか?」

「え、オウルは見えないの?」

「見えない。エダという守り神は、リィの幻覚かと思っていたが、本当に存在するのか」

「あ、俺の姿は魔力を持つ人間にしか見えないんだよ。何せ俺は高等な守り神だからね」

 自分の姿が見えないオウルに付け足すように、エダが胸を張ってそう言う。何とも胡散臭い男だが、オウルには見えないというエダは、アメリーにははっきりと見える。守り神かどうかは不明だが、人間でない事は確かだ。そして、エダの補足には気になる事があった。

「え、じゃあリィにも魔力があるって事? それともその目のせい?」

 基本的に、この世界では王族しか魔力を持っていないとされている。それなのに、魔物の森で一人暮らしていたリィが魔力を持っているのは不自然だ。

 質問されたリィは再生したばかりの右手で頬を掻いた。表情は変わらないが、恐らく困惑しているのだろう。彼は自分自身の事を理解していないように見えた。それならば、幼少期からずっと見てきたという自称守り神、エダなら分かるのだろうか。アメリーが彼に声を掛けようとした時だった。

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