第6話

――しかし、痛みはいつまで経っても襲って来なかった。アメリーは恐る恐る目を開ける。

 生きている。一体何故。そう思って顔を上げると、目の前に一人の男の背中がある事に気付いた。黒く短い髪、黒色の長袖服の上に粗末な藍色のベストを羽織った男の背中には弓と矢筒が。両手には双剣が握られており、どちらの刀身にも赤黒い液体がこびりついている。そして彼の足元には、血を流し絶命している魔物の姿があった。

「だ、誰……?」

 思わず尋ねると、男は首だけこちらに向けた。右目は藍色の布地に深緑色で模様が描かれたスカーフのようなものが巻かれている為、隠されている。反対に晒されている左目は墨のように黒く、重たそうな瞼によって半分覆われている。見た目はアメリーより年上に見えた。

 一見ぼうっとした青年に見えたが、手に持つ双剣によって魔物を斬った事は明白だった。

「ありがとう……」

「……まだ、終わっていない」

 アメリーの礼に対し、男は小さな声でそうぽつりと呟く。その瞬間、他の魔物達が何体も男に向かって牙を剥いて襲ってきた。アメリーは小さく悲鳴を上げてその場にしゃがみ込んだ。

 男はすぐに前を向くと、突進してきた魔物を中腰になってかわし、自分のすぐ上を通過するその腹を双剣で裂いた。魔物の断末魔と共に、内臓が溢れて男とアメリーに振りかかる。ボトボトと頭上から落ちる臓物と鉄臭さに王女は卒倒しそうになりながらも、何とか耐えて目の前の男に視線を送る。

 臓物の雨の中、男は特に気にした様子もなく、次に飛び掛かってきた魔物を軽々とかわして首を刎ねる。眠そうな顔をしているが、魔物への攻撃は的確に急所を狙っており、次々と獣の骸が地面に転がって行く。途中、一体の魔物がアメリーに襲いかかったが、瞬時に気付いた男が身体を捻らせて双剣で脳天を貫いた。

 男の闘い方は独特で、今まで見た事がない。身体をしなやかに捻らせて魔物の息の根を止める姿はまるで蛇のようだ。そして、その動きは何処か美しく、アメリーは釘づけになってしまう。

 数分も経たずに、襲いかかった魔物は全て地に伏していた。辺りはたくさんの獣の骸が転がり、血の臭いと腐臭が漂っている。吐き気がアメリーを襲ったが、彼女はぐっと堪えて立ち上がり、魔物の息の根が止まっているか確認しながら歩いている男の元へと向かった。王女である者として、怖気づいた姿は晒せない。毅然とした態度を見せて、男へ声を掛ける。

「あの。助けてくれてありがとう。あなたはググ村の人? 私はアメリー。グルト王国の王女よ」

「……アメ?」

 息が残っていた魔物の脳天に双剣を突き刺しながら、男はアメリーを見つめて不思議そうに首を傾げた。

「えっ……。私の事知らないの? 見た事はないかもしれないけれど、名前くらい聞いた事あるでしょう?」

「知らない。俺、ググ村の者ではないし、外の世界の事は分からない」

「そ、外の世界って……。すぐそこがググ村なのに、じゃあ一体あなたは何処に住んでいるっていうの?」

「ここ」

「え――?」

昨日の酒場の男の言葉が、アメリーの脳裏を過る。十八年前に魔物の森に棄てられていた赤ん坊。リィスクレウムの右目を持つ男は、今も魔物の森に住んでいるという――

「ま、まさかあなた……」

 アメリーが震える声で言い掛けた時だった。男の背後で、黒い影がゆらりと揺れた。

「危ない!」

 アメリーが叫んだのと、魔物が男に飛び掛かったのは同時だった。男は直ぐ様振り返って身を翻そうとしたが、避けきれなかった。魔物の鋭い牙は男の右腕を捉え、そのまま噛み切ってしまった。肘下から無くなった箇所から、男の血がとめどなく溢れる。

「あ、あああ……・! う、腕が……!」

 顔を蒼白にさせるアメリーとは正反対に、腕を喰われた男は少し驚いた表情は見せたものの、怯む事無く左手で双剣の片割れを握る。そして、自分の腕を喰う獣の頭に向かってそれを投げつけた。寸分の狂いも無く、それは脳を捉えてそのまま魔物は絶命する。それを確認した男は表情を少しも変えずに、魔物に刺さる双剣を抜き取った。

 アメリーの腰は完全に引けてしまい、そのまま地面に座り込んでしまう。魔物の襲撃、男の登場――そして腕を喰われたシーンを目撃し、平静でいられるわけがない。それなのに、右腕を失った男は、流れ出る血を気にする事無く、ぼうっとしている。

「あ、あああ、あなた、う、腕が、腕が、え、ええと、手当て、手当をしないと……!」

 足に力が入らないので、その場で慌てだすアメリー。回復魔法は出来るが、今まで治してきたのが擦り傷程度のものばかりだったので、腕の欠損にどこまで効くか分からない。

 しかし、男は血を流したまま、首を左右に振った。

「……大事無い」

「どっ、何処が大事無いの⁉ 私回復魔法が得意だから! 腕は生えないと思うけど、止血くらいだったら――」

 アメリーの目の前まで来た男は、しゃがみ込んで右肘から先の無い腕を彼女の眼前に見せつけた。

「ぎゃっ! だ、断面なんて見せない……で……?」

 アメリーは手で目を覆ったが、その直前に見た光景に違和感を覚え、恐る恐る指の隙間から男の腕を観察する。

 肉と骨の断面が見えるはずの腕は皮膚によって覆われていた為、傷口が見えなくなっていた。アメリーは勿論、回復魔法はかけていない。それなのに何故。そう疑問に思う彼女の目の前で、それは起こった。

「――ひっ」

 男の皮膚が、生物のようにぐにゃりと動いた。男の肘がうねうねと動きだし、少しずつ細胞組織を増やして伸びていく。そして先端が五つに分かれ、指を形成し――何事も無かったかのように、男の右手は復活した。

「え⁉ 腕が……生えた?」

 男は手を握って感触を確かめている。アメリーはそれを呆然と見つめていた。人間の腕が生えるなど、聞いた事が無かった。それなのに、彼はそれが当然かのように表情を変えない。


『――死なないんだそうだ。槍で喉を突いても、剣で首を刎ねても、四肢を切断しても――身体がすぐに再生して傷一つなくなる』


 酒場の男の言葉が頭の中で響く。

『ググ村の予言者である婆がリィスクレウムの復活を宣言したその日に現れた赤ん坊――伝承では、リィスクレウムの瞳は金色だったそうだ。だから、その赤ん坊はあの怪物の生まれ変わりだと言われている』

 アメリーは目の前でぼうっと自分の手の平を見つめる男の右目を隠すスカーフを剥ぎ取った。あっさりとそれは外される。男の左目は、墨のように黒い。――しかし、右目は。

 蛇のように瞳孔が細く、金色の瞳。眠そうな左目とは違い、獲物を狙う獣のように鋭い右目――

 間違い無かった。アメリーが見てみたいと思った五百年前の魔獣の目を持つ男。

「あなたが、リィスクレウムなの……⁉」

「……違う。俺はリィ」

 男――リィは慌てた様子も無く静かに首を振り、名乗った。

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