俺は先輩が部屋に入ってきたのとほぼ同じタイミングで入室して部屋のすみに控えていたボーイを指先でちょいちょい、と呼ぶ。
「お呼びでしょうか?」
「酒の追加を」
「それではメニューを」
「いや、いい。知っているから。リシャールと、カミュのトラディションをボトルで一本ずつ。後は琉音に二◯◯六年の『サロン』を一本入れてくれ」
頼んだのはブランデー二種類とシャンパン。
言わずと知れた超高級ブランデーと最高級シャンパン。
若手二人はまた固まっちゃってるし、琉音と西荻先輩は含み笑いしてるし。
うちの側近二人といえば、顔色も変えず、ルイを堪能中だ。
「かしこまりました」
ボーイが下がってゆくと。
「龍哉?うちのハイクラスのブランデー、総ざらいする気かい?」
「龍哉さん、ありがとうございます」
「うーん、淳騎、とりあえず、こんなもんか?」
「そうですね…。まあ、帰るまでには此方でも考えますから、暫くはご歓談を。こちらの打ち合わせは終わりましたしね」
「はーい」
冷静な黒橋の答えに軽く返事して俺は先輩との会話に入る。
「で?どうなりました?」
「…セキュリティが彼女のバッグの中身調べて、身元確認だけして、今多分俺の知り合いの病院に搬送中」
「妥当な線ですよね。俺でもそうする。お互い警察になんか首でも鼻でも突っ込まれたくないし、救急車だ、パトカーだなんて見たくもない。普通の客が倒れたんなら仕方がないがあれは多分面倒な部類だ。下手に店から普通に親に連絡なんざして関わりを作っても厄介だし、警察に引き渡しても大した事実は出てこない。本人に正気が戻ってから顧問弁護士入れて余計な事は言わないように親共々言い含めて示談ってところですかね、綺麗な落としどころとしては」
「非の打ち所のない答えだな」
「でもね、もしかしたら、先輩。明言は避けますが、俺にも関連してるかもしれない。ちょっと、今、色々あるもんで」
「…ああ」
この先輩の良いところは一を聞けば百どころか千くらいまで察してくれるところ。悪い所も同じなのが怖い所だ。
「龍哉のところで少し派手に動いたからね?…これ以上言わなければ良いんだろう?」
「…助かります。そう言えば、先輩が教えてくれたんですっけ?“知は無知に勝るというけれど無知が知を
「随分と、古い事を覚えてるね、龍哉」
「…まあね、さすがは先輩らしい意地悪で
「ほう?」
「あれから俺も歳をとりましたからね」
「まだ十分若い癖に」
お互いに手に持ったグラスの中の液体を着実に減らしながら会話を続ける。
「ところで。うちの店の名が出たついでに。遥香なんですがね」
「ん?ああ、あの
「ええ。お蔭様であれから、あの娘目当ての上客が増えたのなんの」
「へえ?」
「《paradiesvogel》の【あの】西荻櫻を
「おやおや」
「中にはご夫妻で見えられた方も居ましてね」
「ん…なんとなく思い当たりがあるような…」
「ご感想は?とお聞きしたら、“利発で気の利く綺麗なお嬢さんだこと。櫻様のお目は高いという事ね?こんな綺麗なお嬢さん方が沢山いらっしゃる所にうちの主人が寄せて頂いているのは光栄だわ?これからも主人をよろしく”だそうで。どこまで本気か知れませんが、あまりに隣のご主人が冷や汗しきりだったんで、次のご来店の時、席料含め一回だけタダにしてあげようかってママに相談されましたから
「…そんな口のききかたをするご夫人に、残念ながら心当たりがあるな。まあ、性根の悪い方ではないが典型的な良家とやらの箱入り娘でね、自分の興味の向いたものには貪欲なんだよ」
西荻先輩の顔に浮かぶ苦笑い。
「分かりますよ。庶民から見たら箱入りは物知らずのイメージがあるけど。案外、世間の事を知らぬふりしながら箱の中から世界をじろじろ見てる
「まったくだ。…あ、龍哉。酒が届いたよ。改めて乾杯しよう」
「はい」
「それでは久しぶりの再会とお互いの新人の今後を祝して」
「…乾杯」
俺と先輩の声に合わせて乾杯の声が部屋に響く。
「先輩、ひどいな。久しぶりっていったら俺、勘定に入ってないじゃないですか?」
「龍哉は数に入れてないよ?この間会ったんだから。黒橋さんに久しぶりに会えて嬉しいから乾杯するの。それにそちらの新人さんは俺、初対面だし」
全く。綺麗な顔して
「氷見~。俺と文親さんの先輩なんで、挨拶して」
「龍哉さん、色々と説明が抜けてますよ、そんな適当なご命令では氷見が困ります」
…ここにもいたよ。辛辣なのが。
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