すると、黒橋は軽く自分の額を片手で押さえる。


「全く、貴方あなたという人は…。つくづく災難が向こうから寄ってくる人ですね」

「ほっとけ、ホントに大したことねえから」

「それを判断するのは貴方じゃありませんよ」


黒橋は俺の手を引き、自分の隣に座らせる。


「かすり傷にもならねえ傷で気に病むな。しかしまあ、俺さえ気付きもしなかったのに、よく気がついたな」

「伊達に貴方を十年も見てきた訳じゃありませんよ?…あ、ちょっと待って下さい、そういえば絆創膏ありますよ」

「絆創膏?」


黒橋は自分のセカンドバッグを引き寄せ、中から白いケースのようなものを取り出す。ん?ただの白いケースじゃない。それ自体が猫の形をした随分可愛らしいもの。

そして中から取り出された絆創膏は。


「おい、黒橋、その絆創膏は」

「はい。この間麻紗美さんに頂いたんです。自分でも知らないうちに指先が荒れていたらしく、気遣ってくださって。もう残り少ないし、ケースごとどうぞ?と差し出されて断るほど冷血漢でも朴念仁でも有りませんから、有難く頂戴しました」

「それを俺に貼る気かよ?」

「おや?麻紗美さんのご厚意をうけられないと?」


そんなことは言ってない。言ってないが、ウサギとカラフルなハートがプリントされたベイビーピンクの絆創膏なんて俺に似つかわしいわけないだろうが。西荻先輩に腹抱えて笑われるわ。


「大丈夫ですよ?【ギャップ萌え】というものがあるそうですから。麻紗美さんによれば」

「お前の口から冷静にギャップ萌えが出るのにびっくりするわ」


言い返している間に、その絆創膏は俺の手首にペタリと貼られてしまう。うーん、はがしたい。

だけど、怖くて出来そうもないから、とりあえず俺はテーブルの上の酒に眼をやる。


「お、ルイがある。やった♪」

「本腰入れて呑むのは『打ち合わせ』の後ですよ?」

「わかってます」


早速手を伸ばしてグラスに氷を入れ、ロックを自分で作る。


「…で?」

「私と貴方の辛抱の甲斐あって、ようやくもう一人が、私達が屋敷を出た後、動きだしたという報告がありまして。そちらは宮瀬に任せてあります」

「…そっちには、仕込んだ?」

「ええ。きっちりと。高性能ですから証拠としては完璧です」

「なら、新庄に連絡して、哀れなモグラの処理をさせろ。新庄には酷だが、あれの優秀な所は、冷酷で容赦のない判断と処理能力だからな?…一体、誰が教えたんだか知らないが」

「…さあ、誰でしょうね?」

「さあな。まあ、とにかく」



俺と黒橋の間に流れる剣呑な空気。


「これで碓井の叔父貴もしまいだ」

「ですね。これでもうあの人に『さん』付けしたり、嫌々頭を下げるような真似をしなくていいかと思うと、清々せいせいします」


そう。碓井うすいみやこ。放り捨て、忘れていたかのように装い、泳がせていた糸の先につながっていたのは予想通り、あの男だった。

セカンドバッグから黒橋が改めて取り出したタブレットには【モグラ(裏切り者)】が屋敷を抜け出してどこへ向かったのか、そこで誰とあったのかまでのきちんとした報告があげられている。

碓井が自分の女にやらせているスナックでの『密会』。

でも本人達は知らないが、本家側に監視役をまぎれ込ませているし、別邸でも監視をしているから、こっちにはある程度筒抜けだったりするんだが。

仮にも末席とはいえ奴は舎弟だ。

動くのならばパーフェクトな証拠を集めなければ後がうるさい。


「…ったく、クソめんどくさい」

「組長へのご報告は数日中に済ませます。証拠ネタが取れた以上、今すぐ八つ裂きにしてやりたいのは山々ですが、手順を踏まねばならないのが、【大人の対応】というものですからね。まだ暫くは泳いでもらいましょう。不本意ですが」

「あのさあ。碓井、三十八だぜ?なんで年下があいつに大人の対応してやらなきゃならん?」

「それを貴方が言いますか?私を止めた貴方が?」

「………忘れろよ」

「嫌ですね」


黒橋はそっぽを向いてみせる。

そして氷見に。


「櫻様に会うのは初めてですね。私も久しぶりです」

「どのような方でいらっしゃいますか?」

「そうですね。…会えば分かりますよ。清瀧の若、龍哉さん、あなたも短期間に色々な人に会って来たでしょうが、あの方はまた別の意味で格別ですからね」


黒橋の言葉に俺が苦笑しようとした、ちょうどその時。

ひそやかな独特の気配。そして。

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