予想はついていながら聞いてやれば。
「表面上は取り乱しておりませんが、内心はかなり落ち込んでいるでしょうね」
「…ケアは任せる」
「はい」
口数少ないが情に厚い川井の顔を思い浮かべる。
堅気だろうが極道だろうが、そうした人間の隙を伺い、狡猾な企みを仕掛ける人間の卑小さに舌打ちしながら。
「説明しようか」
言いかけて氷見を見たけれど。その瞳に浮かんでいるものに思いがけず、ハッとして。
「氷見、言ってみな?説明しよう、とか言っといて悪いが」
「
それはなんとも痛烈で、的確な例え。
「……」
「あんなに無造作に命令、データの受け渡しが面前で行われている時点で『撒き餌か』とは思いましたが。…私は《駒》ですので、目前の処置に集中しました」
「…ほう」
「こちらに来させていただいてからお見受けした所、黒橋さんが標準作業で使われているPCのUSBメモリはセキュリティUSBメモリ(通常のUSBメモリと異なり、セキュリティ機能が付加、または標準インストールされたメモリ。簡単に言えば、情報漏洩や閲覧、コピーにガードがかけられるやつって事だ)でしたので、やはり倉庫でのUSBは撒き餌である事は確信しましたが…」
「ふんふん、それで?」
「それがどう言った趣旨のもとなのか、までは探るべきではないかと。ですが先程のお電話での会話を聞き、得心致しました」
「………すげー」
「…あなたを【西】にとられる訳にはいかなくなりましたね、益々」
そう。
あんな所でデータの受け渡し等、陽動作戦以外の何物でもない。データが大事なのではなく、データをその後、誰がどう扱い、それがどこに繋がる【線】となるのかが大事。
俺はあの時、成瀬の兄への《去り状》を書け、本人の前でお前が。と、言った。
見事にそれをこなしてみせた氷見をあの場にいた人間は若頭から出されたハッタリと言う名の課題をやってのけたとしか見なかっただろう。だがあの時、氷見は。
撒き餌かと疑問を持った上で駒に徹したと言う。
俺達にも悟らせず。
「セキュリティUSBは私も使用していましたから。組の機密事項、上納金やシノギ(組の稼ぎ)等の金銭管理の詳細事務などは」
「そうだよな、いつ見られるかわからない通常メモリなんかに保存できるはずがない」
「…一応、通常メモリに【データ】はありました。怪しまれて、本物を探されても困りますので」
先代からの引き継いだ機密、存続するための事務事項をその手に握って離さなかったのは氷見なりの意地であり、ささやかな復讐でもあったのかもしれない。
「黒橋くん?氷見を敵にまわすのはやめようね?この子思ったより抜き身の
「するわけがないでしょう。そんな事は貴方よりここ一ヶ月あまり側に置いている私のほうが承知してますよ?これから阪口でついた垢が
「……サド」
「何か?」
「いーえ、何にも?まあ、そんで話を戻すとな。川井には悪いが、データ流出させるのが実は俺と黒橋のなかでは暗黙の了解だったし、織り込み済みだったんだけど。川井の下に付けたのは数人で、誰が【野鳥】で、どこへ持っていくのかは予想はついても確実に証拠をとるためには泳がさないとならなかったからな、二人とも実はせっかちさんだから、あー、気が揉めた」
「色々と有りましたからね、その後。…色々と」
「ああ、色々と…な」
俺達の言葉は少ない。
「でもまあ、結局泳がしきったお陰で何とか証拠は揃いましたよ。【奴】がぐうの音も出ないような証拠がね?まあ、その為に哀れな
黒橋の声が冷える。
「あれだけ私と龍哉さんの間に波を立てておいて、未だに奴が息をしているのは
「!」
「おい、黒橋。…種明かしは早めに、か?」
「ええ。彼は
「…恐ろしい先生だよ、お前は」
「それはどうも」
「………。ところでさ、ちょっと行きたい所あるんだけど。ゆっくり腰を入れて話したいけど、
「…運、ねえ。貴方が運頼みするところなんて決まってますね」
黒橋の口角が、車内灯に照らされた薄暗い場所でもはっきりと笑みを形作る。
「【楽園】ですよ、限りなく門扉の狭い、ね」
「すみませんね」
目の前に立つ男に俺は静かに声をかけた。
一九○は超す大柄だが鍛え抜かれた身体を黒いスーツに包んで現れたのは。
沢西英眞──。
【coda di gatto】に着物を届けに来た、あの男だ。
「…いえ、とんでもない。櫻様は外出中でいらっしゃいますが、お知らせ致しましたら、なるべく早く戻られるとの事で」
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